道祖神ちゃんと人間くん

@mollyfantasy_banned

第1話

 夏休みの午前、蝉の声を背に、小さな神社の石段を上る足音が響く。

 人間くんがその神社に通うようになったのは、たしか、小学六年生の夏からだった。


 理由なんて特にない。ただ、家から近くて、散歩コースの途中にあったから。

 いや——もしかすると、その神社にまつわる話をいつも聞かせてくれた、おばあちゃんがいなくなってからだったかもしれない。


 苔むした鳥居をくぐると、草が茂った境内に、ぽつんと古びた拝殿。

 誰が建てたのか、いつからあるのかも分からない。でもそこには、誰かがかつて「神様がいる」と信じていた形跡が、確かにあった。


 人間くんは、手を合わせて小さな声で言う。


「今日も来ました。……特に変わりはありません」


 願いごとじゃない。報告みたいなものだ。

 おばあちゃんは、よく言っていた。


 ——神様っていうのはね、気まぐれだけど、寂しがりやなんだよ。だから時々、顔見せに来てあげないとね。


 そんなことを、信じていたわけじゃない。でも、信じるふりをすることはできた。

 神様を信じていたんじゃなくて、おばあちゃんが言った言葉のぬくもりを信じていた。


 掃除用のほうきを取り出して、落ち葉をはらっていると、背後から風もないのに、ひやりとした気配がした。

 振り返ると、そこには——


「そなた、随分と律儀な子じゃの」


 少女が立っていた。


 白くて少し時代遅れな着物のような服。黒髪は長く、さらりと風もないのに揺れている。

 年齢は……自分と同じくらい? いや、それより幼い、小学生くらいに見える。でも、その目は年齢よりずっと奥深く、古いものを宿していた。


「……誰?」


「我は道祖神。この社に祀られていた神、である」


 彼女は、まるで当たり前のことのように言った。

 人間くんは、一瞬言葉をなくして、それから小さく笑った。


「……冗談にしては、変な格好だな」


「ふむ、信じぬか。無理もない。そなたは“願って”はおらなんだ。……されど、“通った”ではないか」


 その言葉に、人間くんの胸の奥が、かすかに揺れた。


---


「……いや、待って。道祖神って、あの……道端の石像とかの?」


 人間くんが戸惑いながら尋ねると、少女はほんの少し口元をゆるめた。


「うむ、それもまた我の一つの姿じゃな。旅人の無事を祈る、村の境を護る……それが、我が名に宿る役目じゃった」


 人間くんは目をそらし、少し後ずさるようにして、境内の端の石灯籠に腰をかけた。


「……でも、神様ってもっと、こう……威厳があるっていうか。君、小学生くらいにしか見えないし」


「姿形は、祀る者の心のありように応じて変わるものじゃ。そなたの眼には、これが相応しく映ったのじゃろう」


 少女はまっすぐに見つめ返してくる。声は静かだが、どこか底知れぬ重みがある。


 人間くんは黙った。

 彼女が言っていることは、突拍子もない。けれど、なぜだか嘘に聞こえなかった。

 ……いや、本当のところ、信じたいだけなのかもしれない。


「ほんとに神様なの?」


「うむ」


「じゃあ、なんで今まで姿を見せなかったんだよ」


「我はずっとここにいたぞ。ただ、見える者がおらなんだ。聞こうとする者も、祀ろうとする者も、な」


 その言葉に、心のどこかを軽く叩かれたような感覚があった。

 祈っていたわけじゃない。でも、来ていた。通っていた。それが、なにかの答えになるなんて、思いもしなかった。


 道祖神ちゃんは、ほんの少しうつむいて、小さな声で言った。


「……そなたが来てくれたから、我はまた、目を覚ますことができた。礼を申すぞ、人間くん」


「名前、なんで知ってるの?」


「“人間”というものは、名を告げぬままに何かを捧げる……そういうところが、昔から好きじゃ」


 少女の目がふわりとゆるんだ気がした。

 その表情は、どこか懐かしくもあり、不思議と胸の奥が温かくなるようだった。


---


 蝉の声が、一段と高くなった。

 その神社の境内には、変わらず風の音と木々のざわめきが満ちている。

 けれど、たしかにそこに「何か」が現れた。


 信じるには、まだ早い。けれど——

 人間くんは、その日から「神様」と呼ばれる少女と、毎日言葉を交わすようになった。


---


 翌日。

 夏休み明けの中学校は、蒸し返すような暑さと、宿題を忘れた誰かのうめき声で騒がしかった。


 人間くんは、教室の隅の窓際の席に腰を下ろし、ぼんやりと外の空を見ていた。

 強い陽射しが照りつけているのに、ふと風が吹くと、あの神社の境内を思い出してしまう。


「なあ、こっくりさん、やってみようぜ!」


 教室の中心で、クラスの男子がひときわ大きな声をあげた。

 昼休みの雑談の中で、その単語が何度も飛び交っていたのは聞こえていたが、人間くんはあまり気にしていなかった。


「マジで? あれってなんか変なこと起こるって噂あるじゃん」


「でもTikTokでバズってるやつ、ガチでペン動いてたって!」


「それって自分で動かしてるんじゃ……」


「いやマジ! 深夜の教室とかでやると本物が来るんだって! “チャレンジ動画”流行ってんだよ今!」


 こっくりさん。

 名前は昔から聞いたことがある。紙にひらがなと「はい・いいえ」と書いて、10円玉を使って質問をする、いわゆる降霊術の一種。

 昔はこわい話の定番だったけど、今は「バズりネタ」になってしまったらしい。


「……くだらない」


 つい、小さくつぶやいた。

 その声に、前の席の女子がちらりと振り返った。


「え、なに? 興味ないの?」


「いや、別に。ただ……遊びでやるもんじゃないんじゃないの、そういうの」


「え〜〜〜人間くん、意外とそういうの信じるタイプ?」


「信じてないけど、意味もわからず真似するのって変だと思うだけ」


 女子は「ふーん」と曖昧に笑い、また教室のざわめきに戻っていった。


 人間くんは、机の中に手を入れ、ポケットに入れていたお守りを無意識に触った。

 おばあちゃんがくれた、小さな布袋。中には何が入っているのか、もう覚えていない。


「……神様って、呼んだら来るのかな」


 そんなひとりごとを呟いたのを、自分の耳が拾った。

 もちろん、誰も気づかない。


 でも——神社で出会ったあの少女の顔が、ふと脳裏によぎった。

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