第1章3

 パン職人の朝は早い。

 当たり前である。パンの発酵にどれだけの時間がかかると思っているのだ。


「よし、やるか!」


 午前5時、誰もいない学校の調理実習室で俺は眠気を払い飛ばすように声を上げた。

 今回作るのはカレーパンだ。朝の八時には渡したいので、めちゃくちゃ早めに作り始めなければならない。

 

 ここまで頑張る必要があるのか分からないが、啖呵を切った手前、自分の言葉は裏切れない。

 ならば今できる最高を用意するのがカッコいい先輩ではないだろうか。


 そう自分を奮起させ作業に取り掛かる。

 まずは、強力粉に砂糖とバター、ドライイーストに牛乳、量を測り同じボウルで混ぜていく。

 徐々に粘り気が出てくるのでとにかくこねる。無心でこねる。

 粉っぽさが消え、まとまりが出来たら、暖かいところでいったん休ませる。生地の中に含まれる砂糖をイースト菌に食べさせ発酵させるのだ。


 時間加速系の魔法が使えたならこの工程は省略できるのだが、あいにくこの世界では時間を操る魔法は禁止魔法に分類されており、使った者は逮捕されてしまう。

 この間、酒造メーカーがウィスキー樽に時間加速魔法を使ったとされ逮捕されていたのは記憶に新しい。


(まあ、時間をかけて育てるのもパン作りの醍醐味だよな。それに今回は中身も作らないといけないわけだし)


 発酵完了までの間に昨日と同じ手順でカレーを作る。今回は水と小麦の量を調整し、キーマカレー風にする、水気少な目、とろみ味濃いめだ。


(さて、味はっと――うまっ!!)


 味見がてらカレールーを一口食したところ、香辛料の爽やかな香りが鼻を抜け、ルーの中に凝縮された辛みとうま味が噛んだ分だけ爆発を繰り返し、体の奥底に火が付いたような感覚が生まれる。

 仕込みは上々のようだ。これならば冷めてもおいしさが確保できるに違いない。


「さてと仕上げにかかりますか」


 目を離している隙に好き放題大きくなったパン生地を整える。

 初めて生地を作ったときには予想以上に大きくなって笑ったものだ。

 

 生地自体はこれ以上大きくしなくていいので二次発酵はせず、6等分に切り分ける。

 切り分けた生地を整え、平たく伸ばし、その上にカレールーを乗せる。包み込む都合上、少し少な目にしておくのが失敗しないコツだ。

 餃子を包むような感覚で生地の端と端を手繰り寄せ蓋を閉じていく、それを手早く右から左に、しっかり閉じるために左から右に。


 六つの生地全てにカレーを包み込めたら、鍋にたっぷりの油を入れ加熱。

 溶き卵とパン粉を用意し、生地に纏わせていく。

 しっかりと卵を付け、パン粉もまんべんなくまぶせたら、いよいよ揚げ始めだ。


 油の温度を確認し、生地を入れていく。じゅわぁっと揚げ物特有の音が広がり、食欲を掻き立ててくる。

 揚げ物は慌ててはいけない。慌ててすぐに取り出してしまうと生地が生焼けになりすべてが台無しになってしまう。


 じっくりときつね色になるまで様子を伺いつつ、鍋伝いに魔法を込めていく。

 イメージするのは炎、そして凝縮されていく素材のうまみ。

 カレーパンの中身の素材を活性化させ、火の魔力量の増大化をできる限りまで行っていく。

 

(俺の料理魔法は時間と共に魔力は減ってしていくからな。食材の鮮度みたいに)


 魔法で灯した火がいつまでも続かないように、食材の魔力もいつまでも同じ場所に留まることはない。

 本来なら出来立てを食べるのが一番いいのだ。

 だが今回はそれが難しい。8時にカレーパンを渡して、三限目が11時半ごろ、3時間半は放置されることになる。

 それならば、食材そのものの力を上げて、誤魔化すしかない。


(これでどうだ……!)


 生地がこんがりきつね色になったことを確認し、油から引き上げる。

 油をきるための網の上に載せ、少し粗熱を取っていったら、カレーパンの完成だ。


「シャッキン先輩! おはようございます!! おお、なんですかこれ! めっちゃうまそうじゃないですか!!」


 けたたましい音を立てて扉があいたと思ったら、モカとレタの二人が、揃って入ってきた。

 つかつかとこちらに近寄ってくるモカを横目に、時計を見ると7時半。気が付くと二時間以上が経っていた。

 時計を見た瞬間どっと疲れが襲い掛かってきたが、最後にちゃんと確かめてもらうため、俺は気合を入れ直し、揚げたてのカレーパンを見せた。


「おはよう。これが秘策カレーパンだ」

「カレーパン! カレーパンって作れるんですか?」

「そりゃ、この世に存在するものなんだから作れない道理はないだろう」


 世のパン屋の人が聞いたらきっと全員同じ回答をすると思う。

 せっかくの揚げたてカレーパンだ。俺は興味津々と目を輝かせているモカにひとつ差し出してみることにした。


「揚げたて、一つ食べるか?」

「え、いいんですか! では早速いただきます!」


 ためらうことなくカレーパンを口いっぱいにほおばるモカ。

 次の瞬間彼女は目をカッと開き、体をのけぞり、天を仰いだ。


「う、うぎゃあぁっぁぁあああ!!」


 モカは火を噴いた。文字通りの意味で。

 出来立て魔力全開のカレーパンは壮絶な辛さだったのだろう、俺はそっと水を用意した。うんうん、ごめん。


「大丈夫か?」

「辛いと辛いと、うまいとうまいが、めちゃくちゃじゃないですか! おいしいのに辛い! 辛いのにおいしい!! ほぁぁああああ!」

「うおおい!?」


 火吹きトカゲもびっくりの火炎放射が迫ってきたので思わず飛び退く。

 だが、これだけ効力があるカレーパンなら数時間後にはちょうどいい感じで魔法が発動するに違いない。


「レタ。というわけだ。使うかどうかは君に任せる。これが俺にできる最大の手助けだ」


 俺はカレーパンをキッチンペーパーで包み、紙袋に入れ、モカの後ろに控えていたレタに渡した。


「ありがとうございます。ナナトウ先輩。あの、後ろの残りは?」

「あれか? あれは冷凍してゆっくり食べる」

「そうなんですね」


 パンはきちんと衛生管理したものなら1ヶ月は冷凍保存できる。今回は手作りだし、そこまでは持たないが、協力してくれた先生だったり、自分の昼用だったりすぐに消費できるだろう。


「……とても辛そう。ふふ」


 レタの表情が何故かほころんでいた。頬が赤くなり、何かを期待している視線をカレーパンに送っている。

 何をそこまで期待しているのかは分からない。試験を前にずいぶんとした余裕だ。

 

「ん? ああ、そうだな」


 レタの緩んだ笑顔に対してなんと返せばいいのか困り、俺は曖昧に返事を返した。

 昨日の反応を見てもそうだが、案外、辛いものが好きなのだろうか? まあ、それならそれで口に合いそうで良いのだが。

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