ダンジョン配信で殺した彼女と、いま暮らしている

ルノ

高層ビルのダンジョン

「皆さん!ここで状況をおさらいします!」


少女は疾走していた。

背後にはひび割れたコンクリート、窓から見えるのは月。

肩に乗せた小型カメラが、彼女の息遣いと共に揺れながら、視聴者へと臨場感たっぷりの映像を届けていた。


「ここはF市南西に位置する高層ビル!今から49分前に、ここはダンジョン化しました!」


額に浮かぶ汗を拭う余裕もなく、少女は口を動かし続ける。

息は上がっていたが、目の光はまだ潰えていない。


「偶然近くに居合わせた私は、即座にネットで対策局に通報!探索受理されたのが、40分前!」


走りながら彼女は語る。

言葉の勢いはそのまま、階段を一段飛ばしに駆け上がる脚力へと繋がっていた。


「数々の魔物!数々のトラップ!それらを潜り抜け、いま、私は──屋上に到達しつつあります!」


そして視界の先、重く錆びた扉が見えた。


「道中の状況が見たい方はタイムシフト申請をお忘れなく!」


呼吸を一つ、大きく吸い込むと、少女は勢いのまま扉へ肩をぶつけるように突入した。


ギイイイィィン!


金属音を残して開いたその先。

月が浮かぶ空。

瓦礫まみれの屋上。

そして。


──それは、いた。


全長三メートルを優に超える漆黒の狼が、月明かりを背にしてこちらを睥睨していた。


「ダンジョンのボス確認!現在時刻21時23分!リアルタイムでこの放送を視聴中の対策局の皆様、準備、お願いします!」


カメラを通じて少女は叫ぶ。

少女の声に反応したかのように、狼は、一歩踏み出した。


「グルルルル……」


威圧の咆哮。

少女の背に悪寒が走った。


そう、討伐は少女の務めではない。

少女達のような「探索者」の役目は、あくまでダンジョンの構造を調べる事。

出現するモンスター、そしてダンジョンのボスまでの経路を調べる。

その為に、ダンジョンへの入場を許されているのだ。


本格的な討伐は公的機関であり相応の軍事力を持つ「ダンジョン対策局」の役目。

だから、少女はこれ以上危険を冒す必要はない。

ないのだが。


「……っ!」


狼の威圧に、思わず身を引いてしまう。

その一歩で、扉との距離が開いたことに気づく。

それと同時に、腕に巻かれた小型モニタに表示される「コメント欄」がざわめき始める。


「プレミだな」「なんで下がるの」「逃げろ」「いやもう無理やろ」「あーこれは死ぬ」


罵声、冷笑、応援、皮肉──雑多で、統一感のない視線が彼女を貫いてくる。


それが、彼女の呼吸を乱す。


(……くそ、うるさい)


一歩ごとに迫る狼。

それに押されまた一歩下がる。

その足は既に、ビルの端に達していた。


圧倒的な殺意。

手持ちのスタンガン程度ば役に立ちそうもない。

殺される。

そう思ったとき、配信コメントにこう表示された。


「死ぬ気で戦ってみれば?」


「その前にバク転してみろ」


「最後に笑わせてくれ」


怒りで頭の中が、真っ赤に染まる。

少女は決意した。

肩からカメラを外し、自分の顔に向ける。

そして笑顔を作る。


「さあ!お立ち会い!これから皆様には──絶対に見ることが出来なかった光景をご覧いれましょう!」


叫びながら、少女は屋上の縁から跳躍する。


空中で回転。

スローモーションのように映し出される空中演技。

けれど。


着地地点など、最初から存在していない。

少女はそのまま、自由落下へと移る。


そしてコメント欄は爆発する。


「うおおおおお!!」


「飛んだああああ!!」


「死ぬぞこいつ!!!」


「跳躍芸人www」


少女の脳内に、アドレナリンが分泌される。


(誰が殺されてなどやるものか、これが私だ、私の生き様だ)


(お前達に、それを刻みつけてやれたなら)


(私は死んだって)


その時、少女の左腕に激痛が走る。


「っが……!?」


咄嗟にカメラを離してしまう。

画面は空を舞うカメラの視点から少女を捉える。

その左腕には、巨大な狼の顎が食い込んでいた。


──奴も、跳んできたのだ。


コメント欄が再び爆発する。


「ボス!?」「追ってきた!?」「ヤバすぎる」「狼、飛んだ」「え、これ両方死ぬんじゃね?」


脳内麻薬の関係か、痛みは感じなかった。

空中の中で、少女は狼を睨みつけ、そして笑う。


(どうせ落ちるんだ、腕の一本や二本──どうでもいい)


(せめてコイツを道連れに!)


そのとき、コメントに異変が起きた。


「殺せ」


一つの言葉。

誰かの冗談か。

けれどそれはすぐに二つ、三つと増えていく。


「殺せ」「殺せ」「殺せ」


次々とコメントが、重なり始める。

その瞬間、世界がねじれた。

少女の体に、火のような何かが流れ込む。

左腕が再生し始める。

そのまま狼の顎を、こじ開ける。


「っはは……!これが……配信による、言霊の力……ってわけ……!」


コメントに宿った「意思」が、少女に超常を与える。

「殺す」ためにだけ。少女の力は今、人間の底を超えていた。


だが、それでも足りない。

ダンジョンボスを討つには軍一個小隊に相当する火力が必要なのだ。


少女は──もうすぐ死ぬ。


それは誰の目にも明らかな、確定事項だった。

あと数秒もしないうちに地面へ激突し、肉も骨も内臓も、すべてが跳ね砕けて終わる。


だが少女は笑っていた。

血の気が失せた顔に、狂気じみた輝きを灯しながら。


「私が死ぬ前に、殺してあげる」


左腕──再生されたその力強い腕を、狼の片目へ突き入れる。


「グギャアアアアアッ!」


咆哮。

反射的に首を振る狼の頭上に、少女は身軽に跳ね上がり、脚で首筋を押さえ込む。


重力が手助けする。

速度が殺意に変わる。


「お前が、先に死ね」


そう吐き捨て、彼女は全体重をかけて踏み込んだ。

その直後、1人と1体は地面に衝突した。


──轟音。


高さ三十メートルの落下エネルギーが集中した一点が、狼の頭蓋を破壊する。

骨が砕け、肉が裂け、狼はその咆哮をあげることもなく、地面に叩き潰された。


確かに──少女は狼を殺した。


だが、それは同時に少女をも破壊する衝撃。

狼を下敷きにしたとはいえ、その質量と衝撃は跳ね返る。

背骨がきしむ。視界が反転する。脳が揺れ、意識が千切れる。


(ここまでか──)


その瞬間。

世界が、止まった。

時の流れが、まるでゼロになったかのようだった。

血飛沫も肉片も、カメラも瓦礫も、すべてが空中で静止する。

そして少女の視界に、淡い光の通知が浮かび上がった。




「単騎でのダンジョンボス討伐」


「スキル入手権を獲得」


「選択されるまで全ての物理法則を停止とする」





「──あ?」


少女が、狼の血の海から這い出す。

浮いていた。

血も骨も肉体も、すべて空中で止まっていた。


狼の体液が宙で凍り付き、落下していた自分のカメラまでもが彼女の周囲で浮かびながら、静止していた。


彼女だけが、動けている。


(……物理法則が……止まってる?)


腕に巻かれたモニタのコメント欄も、凍りついたように流れていない。

いや──それは違う。

一つだけ、コメントが表示されていた。


「おめでとう」


たった一言だけの祝福が、凍結された世界の中にぽつりと表示されていた。


「……誰?」


応えるものは居なかった。

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