未遂供述
俺は今、誰に向かって、何の為にこれを書いているのだろうか。と、書きながら思う。
おそらく誰でもない。かといって独白でもない。
これは俺たちが静かに結んだ共犯契約であり、その不在証明。あるいは、アイツの不在を肯定しないための、俺の一人芝居。
雨が降る灰色の日だった。濡れたアスファルトの匂いと傘に当たる水音。
そして、「俺さ、昨日、人を殺したんだ。」と、笑いながら話すアイツの声。
夕暮れの細い田んぼ道。蛙が共鳴する声と、遠くで犬が吠える声。
夏の始まりを告げる生ぬるい風が、優しく頬を撫でていく。
アイツの声は、いつもと変わらない軽やかなトーンだった。
「じゃあ、一緒に埋めに行く?」俺は、さも当たり前であるかのように、こう返した。
少しだけ驚いたような顔をしたけれど、アイツはすぐに肩をすくめ、また笑った。
「お前、ほんとに頭おかしいな。」
「お前が言うなよ。」
でも、それが唯一俺たちが心の中で繋がった瞬間だったのかもしれない。と今になって思う。
あの日々のことを思い出す。アイツは、弱くて泣き虫で怖がりで、誰にも頼れないガキだった。
アイツの中で死んだもの、俺が代わりに弔ってやれるかもしれないと心のどこかで思っていた。
優しかった頃のアイツとか、泣きながら俺に電話してきた夜とか、体育館裏で黙って俺の袖を掴んでたこととか。でも、少しずつその弱さを殺して、自分の中に秘めておくことでアイツは今の強さを手に入れたように見えた。それが本当かどうかは分からないけれど、その強さが俺には少しだけ怖かった。
結局、誰も死んでいなかった。パトカーのサイレンも鳴らない、ニュースにも載らない、花束にさえなっていない。
じゃあ、一体アイツは何を殺したって言うのか。
「俺!」
そう、アイツは自分を殺したのだ。感情だけを綺麗に切り取って殺したのだ。心臓は殺さず、心だけを殺したのだ。
それは他人の為ではなく、きっと自分の為だったのだろう。
俺たちは自転車を引いて町の外れの林へ向かった。
誰にも見つからないような、秘密基地みたいな、古い防空壕の跡があるって昔から噂になってた場所。
本当はそんなもの無いのかもしれないけど、俺たちはただひたすらそこに向かって進んだ。
俺は思った。
こういう殺人はどこに届け出たらいいのだろう。と。
警察にも、神にも、告白できない罪。
だけど俺はその罪を理解してしまった。
「なぁ?なんか怒ってる?」
「怒るほどの情熱はもうない。ただ、ずっと嫌いで、祈れないままでいる。」
そう答えた俺を、アイツは受け入れるように笑った。
気付けば、雨は少しだけやんでいた。
あの夜の林は静かだった。
懐中電灯の光が、枝の間を這って辺りを照らす。少し冷たくなった風が全身を撫でた。
俺たちはスコップを持って、地面を掘って、多分、一生誰にも言えない言葉を交わした。
でも、何かが本当に土の中にあるわけじゃない。
これはただ、俺たちの存在の記録。
俺たちは互いの世界の唯一の証人だった。
多分、俺たちは世界に適合しなかった。あるいは適合してしまったことを悔やみ、やめた。
それから誰にも迷惑をかけずに、密やかに世界を嫌う方法を探し続けた。そして辿り着いたのが、共犯という形だった。
具体的に何をしたとか話したとか、そんなのはもう覚えていない。いや、忘れたふりをしているだけ。
大事なのは、罪ではなくそれを分かち合ったという事実だ。
過去を殺し、今を生きようとするアイツにどうしようもない寂しさを感じながら、俺も同じように死んだ過去を引きずっていた。
「俺も、たぶん何人か殺してるよ。顔も名前も、何一つ覚えてないけど。」
俺は、ようやく少しだけ自分の過去に触れることができた気がした。今こうしてお前と一緒に居られることで、少しは報われるのかもしれないと思った。
「お前もこっち側なんだな。」
アイツはそう言った。その言葉が今までの全てを少しだけ肯定してくれたようでどこかで安心した。
アイツの言葉はいつだって呪いのようでいて、ひどく優しい。
しばらくして突然訪れた俺たちの終わり。とても静かだった。
何かが崩れたわけでも、血が流れたわけでもない。
ただ、ある日、アイツは何も言わずに俺の前から姿を消した。
未遂まま置き去りにされた祈りのように、共犯者を失った俺はひとりで咎を抱えている。
アイツがいた日々は、脳内のある種の心臓としていまだに息づいている。
会話の断片、土と煙草のにおい、雨の温度、夏の夜の冷たさ。
それらは一貫して現実よりも鮮やかで、俺は時折錯覚する。
アイツはまだこの世界のどこかで、俺の祈りを聞いているのではないか、と。
馬鹿げている?
そうだろうね。だけと、そうでも思っていないと俺はもう生きていられなかった。
これは懺悔でもないし、報告でもない。
ただの未遂の供述書。
アイツと俺の共犯関係が確かにここにあったという記録。
世界は無関心なふりをして今日も続いていく。
アイツが居なくなっても回り続ける世界なんて許せないと思う。
アイツが殺した心の墓標を探しながら、俺はひとり、この世界に遅れて絶望している。
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