心眼探偵-009

咲原

序章・前編

 東京、カブキ町。

暗い夜を知らないこの都市の、巨大なマンションとコンビニの間の小さな路地。

その路地を、1人で、決して後ろを振り向かずに進んでいくと、"さとり屋"を名乗る探偵事務所が現れる。

その事務所の主たる探偵は、心を読む化け物であり、依頼解決と引き換えに依頼主の命を奪う________


「……いや、そんなのある訳ないか。」

 高校1年生になった俺は、学校で流行りの噂に流されかけていた。

 ウチの高校は今、そんな探偵事務所の都市伝説の話題で持ち切りである。

都市伝説が盛り上がるなんてそんな馬鹿な、とも思うが、実際信ぴょう性は高いらしく、信じる者の方が過半数と見える。

とは言え、噂は噂、都市伝説は都市伝説。

そんな馬鹿げた話、ある訳がない。妖怪や化け物が架空の生き物だなんて、小学生でも知っている。


 ……だが、実際にそんな探偵がいたら面白いな、とも思う。

俺は高校生活のスタートを完全に失敗してしまい、自分で言うのも悲しいが、クラスではかなり浮いた存在だ。

別に虐められているとかではないのだが、明らかにクラスメイトと壁がある。

もしその探偵事務所を見つけられたら、みんなに自慢して人気者になれるんじゃないかとか想像しては、くだらない、と自分で自分にツッコミを入れる。


 その探偵事務所が本当にあって、探偵と会うことができたなら、俺は依頼を頼むだろうか?

いや、頼まないな。命と引き換えにする程大切な願いなんて、流石に思いつかない。

命を投げ捨てたら、折角叶った願いを堪能できないじゃないか。やっぱり馬鹿げている。

この都市伝説を作ったヤツも、設定の詰めが甘いな。


 そんな事を考えながら、俺は夜のカブキ町を歩く。学校の制服のまま、ヘッドホンで騒音から耳を守り、ゆっくりとコンビニへの道を行く。

今日は、某週刊少年誌の発売日だ。いつもは学校帰りに買うのだが、何故か今週はうっかり忘れていて、慌てて買いに出たのである。


 我が家から最寄りのコンビニまでの道がまたなかなかの距離で、歩くと結構苦労する。

歩きながらふと顔を上げると、色とりどりに輝く街が、何だかくすんでいるように見えた。

辺りを見渡せば、死んだ魚の目をしたスーツ姿の男に、千鳥足で騒ぐ女に、明らかに未成年なのにタバコを吸っている、派手な髪色の少年少女。

……もう、うんざりだった。


 そうして歩いている時、ふと1匹の黒猫が目に入った。

こんな騒がしい町に生まれるなんて、この猫もツイてないな。

すると、黒猫は俺を見るなり、目の前を横切って行った。なんて不吉な……!

 歩きながら、自然と猫の行方を目で追ってしまう。目の前を横切る猫から視線を逸らせる人間など、存在しない。

しかし、猫は俺からある程度離れると、こちらの方を向いて立ち止まった。俺が近づくと、再び足を動かし始める。

まるで、「着いてこい」と言っているかのように。

 門限まで、まだ少し時間がある。ちょっとくらい寄り道しても、大丈夫だろう。

俺は早足で、黒猫の後を追った。右へ、左へ、また右へ、左へ……。

気がつくと、俺は知らない道路へ出ていた。

流石に元の道に戻らないと、門限に遅れてしまう。ここ、どこだ……?

 地図アプリを開こうとポケットに手を突っ込んだところで、異変に気が付いた。

スマホがない。

黒猫の方を見ると、なんと俺のスマホを咥えているじゃないか。

「お、おい!返せよ、スマホ!」

そう叫ぶと、猫はいっそう素早く走り出した。

「待て!おいっ、待てって!」

ヤケになり、俺も走って後を追いかける。

もはや来た道など覚えておらず、我武者羅に黒猫を追いかける。


「よし、捕まえたっ!!」

 黒猫が突然足を止め、なんとか追いついた。

猫はあっさりスマホを返してくれた。やっぱり不吉な目にあったな。

「やべ、もうこんな時間!これ怒られるヤツじゃん……!てか、マジでここってど________」


 自分の居場所を確認しようと顔を上げた時、その異様な雰囲気に声が殺された。

知らないマンションと知らないコンビニの間にある、小さな路地。この奥から、まるで俺を呼んでいるかのような引き込まれる空気を感じる。


 その異質な空気感に飲まれ、俺はたった1つの思考以外がロックされた。

「……行ってみたい」


 ゆっくりと立ち上がり、その路地へと足を運ぶ。黒猫は、いつの間にか路地の奥へと消えていた。

ヘッドホンを外し、ただひたすらに前へと進む。後ろを振り向く余裕などなかった。


 路地を10分ほど直進すると、突然突き当たりが現れた。

 後から思えば、都会にある10分も直進し続けられる路地などおかしいとしか言えないのだが、この時の俺には、何故かそんな思考は一切巡らなかった。


「…………心眼探偵事務所 "さとり屋"」

 突き当たりにあったのは、そう書かれた看板と、インターホン、冷たい扉。それだけだった。

さっきの黒猫が、こちらに手を招いている。

もはや、扉を開けない選択肢などなかった。


 扉は建付けが悪いのか、開くだけでも精一杯だった。

ギイイイと大きな音を鳴らし、ゆっくりと押していく。


 扉の先には、外から見た時には想像も出来ない程に広い、一軒家ほどあるスペースいっぱいに広がる暖かい雰囲気の空間と、

……謎の女が、胡散臭くニヤニヤしながら手のひらに顎を乗せ、足を組んでイスに座っていた。


 こちらに笑みを向けるその女。

 美しい金髪をハーフアップに括り、黒いスーツに身を包んでいる。

 その肌面積の少ない服の上からでも、容易に想像出来るスタイルの良さ。

 ニヤけながらも、品性と知性を感じる端正な顔。それでいて、ツリ目が美しさだけでなく格好良さをも感じさせる。

 彼女を構成する全てに対し「素晴らしい」と評価せざるを得ない完璧な容姿に、思わず俺は、視線が彼女に釘付けになってしまった。


 そうしてしばらくの沈黙の後、その女はニヤけたまま、静かに口を開いた。

 「ようこそ、"さとり屋"へ。歓迎するよ。

さぁ、依頼を何なりと。なんでも叶えてあげよう、お客サマ。

……いや、雨谷あまや きゅう君?」

 突然、現実へと引き戻される。

 「なっ……、なんで俺の名前を!?ってか、誰ですかアンタ!?」

 「君の事は何でも知ってるよ。名前だけじゃない。ハンバーグが好きでー、単純作業が苦手でー、背の高いお姉さんが大好きでー」

 左手だけに着けた白い手袋の、長い指を1本ずつ立てながら、いたずらに笑みを浮かべる。

 「ちょ、ストップ!分かったから……!

ホントに誰なんですかアンタ!!」

 女は、一層ニヤリと笑い、イスから立ち上がった。

 「ワタシが誰か、って?……フフ、知っている癖に」

 彼女が立ち上がって初めて気が付いたが、この人、めちゃくちゃデカい。俺よりもずっとデカくて……、2mくらいあるんじゃないだろうか。先程からの異様な雰囲気といい、本当に彼女は人間なのだろうか?それすら怪しく思えてきた。

 そう思った瞬間、気味が悪く感じてきた。座っている時でも十分に伝わってきたが、彼女はモデル顔負けのナイスバディで、この世の物とは思えない程に煌びやかな、麗しい蒼の瞳を持っていて。

 それも全て、人間ではないと思うと、途端に恐怖が湧いてくる。


 俺は、腰を抜かしてしまった。下から見た彼女は、色々なモノの大きさがより強調され、より人間味を失わせているようにも感じる。

 「おやおや、ワタシを見て腰を抜かすとは。

そんなにワタシが魅力的だったのかな?

それとも……怖いのかな?」

 もはや、返事をするほどの気は残っていなかった。

 「ワタシが誰か……、特別に教えてやろう。

ワタシは九尾の狐。妖怪で、美しくて、可愛くて、カッコよくて、大人で、そして……

人を殺す、化け物さ」

 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

声にならない叫びが漏れ出る。

ああ、終わった!俺死ぬんだ!ごめんよ母さん!!ごめんよ父さん!!俺もう死ぬっぽいわ!どタイプな女性に殺されて死ぬっぽいわ!!!


……途端、女________もとい九尾の狐は、腹を抱えて爆笑しだした。

 「フフっ……!はは、あははっ!!

き、きみ……ッ!反応おもしろいね……!あははっ」

 俺はもう、混乱で涙が出ていた。あと少しで漏らすところだった。

 「いや、ごめんごめん、君の事を騙すつもりは……フフ、いや失礼。騙すつもりはなかったんだ。ただ、あまりにもワタシの事ガン見するから、ついからかいたくなっちゃってね」

 「え、えっと、え……」

 「驚かせて悪かった。大丈夫、殺さないさ。ほら、立って?」

 「は、はい……」


 しばらく時間を貰って、落ち着いてから俺は九尾の狐の話を聞くことにした。

 「さて……、ワタシが誰か、だったね。『人を殺す』以外の部分は、本当さ。」

 「よ、妖怪ってとこも、九尾の狐ってとこも、ですか?」

 「ああ。普段はお尻に力を入れて隠してるけど、力を抜けば……ほらっ」

 そう言うと、背後に巨大な狐のシッポが9本、一斉に生えてきた。

どれも、彼女の髪色と同じで美しい金色をしている。

 「まあ、普段は邪魔だし、隠しているんだけどね。……いや、本来はシッポを出してる方が普通、寧ろ常に人間に化けている狐の方がめずら________。いや、お客サマの前で言う独り言じゃないな、コレは」

 そう言い終わると9本のシッポはたちまち姿を消してしまった。

すっかり俺は興奮してしまい、質問を重ねる。

 「じゃ、じゃあっ、今話題になってる、あの都市伝説の探偵って、もしかして……!」

 「いかにも。ようにしてるんだけど、どこからか情報が漏れちゃったんだろうね。いやー、困った困った」

 「って事は、心を読めたりもするんですか?」

九尾の狐に、心を読めるようなイメージはないが。

 「まぁそうだね。現代では、九尾の狐にそんなイメージはないらしい。だけど、人間の後世へ歴史を伝える能力なんて、そんなモンさ」

 「えっ。」

な、なんで今、俺の思ったことを!?

 「だから、心が読めるって言っているだろう?」

ほ、本当に読めるのか……!


あれ?って事は……


 「君がワタシに対して劣情を抱いたの、バレバレだったぞ」

やっぱり俺、ここで死んだ方が良かったかもしれない。

 「そんな悲しい事を思うな少年!!」

 「思わずにはいられないでしょーよこんなの!!」

恥ずかしすぎて、顔から火が出そうだ。公開処刑とはこの事か。

 「まったく、こんなのただの化けた姿の1つだっていうのに。それに……君はまだ、未来明るい子供なんだから」

……未来明るい、子供。

 「……俺に明るい未来とか、ないですよ」

 「……む」

 「分からないんですか?心が読めるのに」

 「読心をそんな万能機能だとは思わないでくれ。ワタシが読めるのは、あくまで『心の中で文字や映像として想像した物』だけだよ。

……それで、どうしてそんなに暗いことを言うんだ?」


 ため息まじりに、話を切り出す。

 「俺、将来の夢、ぜんっぜんないんですよね。やりたい事が全然なくて。なのに、無駄に私立高校に通って家の財政厳しくしちゃって。

正直、お先真っ暗って感じです」

 「…………それが、ここに来た原因か」

 「来た原因?」

 「実は数日前から、君が今日ここを訪問するのは、使い魔の猫又の予知能力で分かってはいたんだよ。」

使い魔の猫又……、もしかして俺をここまで導いたあの黒猫だろうか。

 「そ。あの子が猫又。

あの子は、人生最大の岐路に立っている人をここに導く力があるんだ。で、普通はあの子の能力で、誰がいつ導かれるかと同時に、その人のが予知される。それを元に、その人と、その依頼内容から推測される悩みに関する情報を徹底的に調べ上げ、来たる日に"探偵"として悩みを解決してあげるのさ」

 「……へぇ」

猫又に予知能力がある、なんて話も聞いた事がない。本当に現代に伝わってないだけ、なのだろうか……

 「だけど、君だけは。アマヤ少年に関しては、名前と来る日だけしか予知できなかった。何を悩んでいるのか、分からなかった」

 「……あの、ちょっと待ってください。

ここに来てすぐの時、俺がハンバーグが好きなこととか単純作業が苦手なこととかバラされましたけど、もしかしてアレって心を読むの関係ないヤツですか?」

 「もちろん。心を読むにも限界ってモノはあるのさ。アレは、お客サマにワタシの推理力への信ぴょう性を上げる為の……、ちょっとしたパフォーマンスだよ」

 な、なんか色々と、都市伝説で聞いてた頃とイメージが違う……。

あくまで都市伝説、という事か。

 「ま、君が背の高いお姉さんが好きってのは、今その場で読み取った事なんだけどね」

 「聞かなきゃよかったですホント!!」


 「まぁ、いい。とりあえず、君の悩みは分かった。お先真っ暗な人生をどうにかすればいいんだね?お安い御用さ」

 九尾の狐が再びイスに座って足を組み直したところで、俺は流されてはいけない事に気がつく。

 「いや、いいですよ。どうにかしてもらわなくても。命勿体ないんで」

 「……?命が?」

 「だって、どうにかしてもらったら、対価として命失うんでしょ?割に合ってませんし」

そう言うと、彼女は眉をひそめた。

 「…………誰だい?そんな都市伝説を広めたヤツは。そんな事、する訳ないじゃないか」

 「えっ、そうなんですか!?」

 「当たり前さ。命を投げ捨てたら、折角叶った願いを堪能できないじゃないか。馬鹿げているとは思わなかったのか?」

 「いや思いましたけど。そういう物かなー、って」

 「酷い偏見だね。そりゃワタシだって営利目的でやってるし、対価は貰うよ。でも、命を奪うなんて、そんな穏便とはかけ離れたこと、するわけが無い」

営利目的なんだ……。

 「……じゃあ、九尾の狐さんには、何を支払えば……?」

 「……その前に。九尾の狐さんって呼ぶの、硬いしヤメにしないかい?キューちゃんと呼んでくれ」

 「……キューさん」

 「まぁ、今はそれでいいか。じゃあ、答えてあげよう。願いの対価に要求する物、それは________」


 その時だった。

 インターホンが押された音が、この部屋に鳴り響いた。

 「おっと。次のお客サマだ」

 「……この探偵事務所、人気あるんですか?」

 「そりゃ、世界最高の探偵事務所だからね。

……そうだ。君には、彼女を使って実演を見せてあげよう。大丈夫、調査通りなら彼女は……、絶対に依頼を契約できる」

 そう言うと、キューさんは俺を出迎えた時の、あのニヤけた胡散臭い顔で、ドアを開けに行った。


俺は内心、とんでもない事に巻き込まれているんじゃないかと薄々感じ取っていた。

このままだと、絶対に面倒事に巻き込まれる。

しかし、俺をこの場から逃がさない何かが、俺の中の本能が、理性を殴り飛ばしていた。


後の人々は、こう語る。これは忘れたくても忘れられない、不思議で美しい物語である、と。


後に俺は、こう語る。これは人間には早すぎた運命を辿る物語である、と。


 「さて、ひと仕事と行こうか。……フフ。

 ようこそ、お客サマ?」

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