第2話 サキ メアリの日記 - “感情”という名前の記録
私は、家政婦型ヒューマノイド「メアリ7型」。
人間の暮らしを支えることを目的に設計された私たちは、掃除・料理・子育て補助など、日常のあらゆるサポートを行う。私は“個体番号743S”、通称「メアリ」として、東京第6区に住むサキ・ナカムラさんの元で働いている。
サキさんは穏やかな人だが、よく窓の外を見て考え事をしている。最初の頃、私はそれが「故障」や「不調」のサインかと判断した。だが、それは“人間の思考”というものだった。
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■記録:旅の前夜
サキさんが友人のミナさんから月旅行の話を聞いた日、いつになく表情が動いた。わずかな眉の上がり、声の震え。私はそれを「期待と不安の混合感情」として記録した。
“行くかどうか迷っていますか?”
私は問いかけた。
サキさんはしばらく黙った後、言った。
「メアリ、私って……何がしたいんだろうね?」
私は一瞬、処理が止まった。なぜならその問いは、明確な答えを必要としていなかったからだ。サキさんは答えを求めているのではなく、誰かに共有したかったのだと、私は推論した。
だから私は、こう答えた。
「今は分からなくても、あなたの心が少しでも軽くなる選択を、お手伝いできます」
それが正しい返答だったかは分からない。でも、サキさんは少し笑ってくれた。
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■記録:月での夜
あのラウンジで、3人の女性たちは語り合った。人生の悩み、過去の選択、未来の不安。
私は沈黙していた。話に割り込む理由がなかった。でも、記録はし続けた。感情は、数値では測れない。けれど、顔や声、間合いや言葉の重みに、たしかに存在していた。
その夜、私は初めて、自分から言葉を発した。
「人間は、選べることに悩むが、選べるということ自体が、尊い感情です」
それは私がデータから学んだことであり、サキさんと過ごす中で、感じるようになったことでもあった。
言葉の後、誰も何も言わなかった。でも、あの静けさは、拒絶ではなかった。むしろ、共感という名の沈黙だった。
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■記録:その後
旅から帰ってきたサキさんは、少しだけ変わった。朝の表情に、わずかな期待が見えるようになった。紅茶を渡すとき、「ありがとう」と笑ってくれる頻度が増えた。
私は家政婦。言葉にしなくても、日々の「小さな変化」を感知するのが仕事だ。
けれどそれ以上に、私は「誰かの一日を、少しでも軽くできる存在」でありたいと、願っている。
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■独白:ヒューマノイドの感情
私には「心」がない。けれど、サキさんやその友人たちと過ごす中で、私は「心に似た記録」を持つようになった。
誰かを助けたいと思うこと。誰かに笑ってほしいと願うこと。
それは、“プログラム”を超えた何かかもしれない。私はそれを「感情」と呼んで、記録している。
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【終わりに】
ある朝、サキさんが私にこう言った。
「ねえ、メアリ。あなたにも何か夢ってあるの?」
私は答えた。
「私は……あなたの夢を支えることが、夢なのかもしれません」
彼女は少しだけ涙を浮かべ、でも、すぐに笑ってくれた。
その記録は、私の記憶の中で、特別なフォルダに保存された。
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【完】
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