第8話 魔王としての第一歩

 ヴェルニに言われるがまま、遠出の準備を始める。あの鬼母にすら抵抗していたのに、しぶしぶ寝室に戻った。遠出の準備といっても俺はやることが殆どない。荷造りはヴェルニがやってくれるからだ。


 さすが、長年魔王に尽くして来たメイドといった感じで、てきぱきと俺の洋服に財布、酔い止め薬などの旅の必需品を黒の上等な革製の鞄に詰め込んでいく。俺はベットに座り、ただ見ているだけであった。


 手伝いたくても、何したらいいか分からないし。それに、ヴェルニがどこか楽しそうなんだよな。王の間から寝室に戻ってきて以降、ヴェルニはまた仮面のように無表情になってしまった。でもよく観察すると、微かにリズムに乗って身支度を整えているのが分かる。本人がご機嫌ならいいか。


「ご主人様、身支度が整いました」


 ついに来てしまったか‥‥‥。ヴェルニの声を聞いた瞬間、びくっと肩を震わせた。以前の世界で10年以上引きこもっていたのだ。呼吸が荒くなり、体が小刻みに震えてきた。


 そんな俺の様子を見て、ヴェルニは静かに俺の前に跪き、俺の手を優しく取った。


「ご主人様、不安な気持ちは私にも分かります。ご主人様は自身の年齢よりも長くこの城で生活し、一歩も外に出たことがございませんでしたね」


 俺と同様にアルドも10年ここに引きこもっていたんだ。ヴェルニは俺ではなく、アルドに向けて言ったのだろう。だが、自分と重なることが多いからかまるで転生前の俺自身に向け、言葉を発したかように錯覚する。


「私のことを恨んでおいでですか?ご主人様に恨まれるのは心が痛みますが、それでも構いません。これは、ご主人様のことを思えばこその行動なのです」


 何かの策略があっての行動だと思っていたが、ヴェルニがアルドのことを思う心は本物だと思う。真っすぐ俺を見つめる瞳が僅かに潤んでいるのが分かったから。俺は、ヴェルニの思いに少しでも応えてあげたいと思った。


「恨んでないよ」


 そう言うことしか出来なかったが、俺の言葉にヴェルニが優しく微笑んだ。


 ‥‥‥もう、行くしかないな。覚悟を決めろよ、俺!そう心の中で自分を叱り、奮い立たせた。


 ゆっくりベッドから立ち上がり、寝室を後にする。魔王城の玄関は王の間の反対側にあるようだ。ヴェルニが先導するので、俺は後について廊下を歩いた。


 しばらく贅沢な装飾が施された廊下を歩いていくと、一際大きな扉の前についた。王の間の物と同じくらい立派な扉だ。ここが、魔王城の玄関だと一目で分かった。


 ヴェルニがその扉をゆっくり開ける。目の前には、窓の中から見た断崖絶壁の壁と魔王城へと続く一本の下り道が広がっていた。相変わらず、陽光が差し込まず暗い山の坂道を俺はじっと見つめる。


 唐突に呼吸が早まり、視界が歪み始める。そして、俺は情けないことに前に倒れ込んでしまった。長年、自分の家から一歩も出たことが無かったからな。おそらく発作のようなものだろう。


 なんて平静を装ってみたが、顔が青ざめ汗が噴き出してきた。そんな俺をヴェルニが支えてくれる。肩にそっと手を置いてくれるのはとても心強かった。


「ご主人様、大丈夫ですか?」


 心配そうにヴェルニが俺を見つめる。彼女の言葉に応えるように俺はよろよろと体を起こした。


「う、うん。平気平気」


 俺はふうっと息を吐く。そんなにアルドの境遇に共感したのか?と俺は自分の心に問いかける。こんなに頑張れるのはアルドの為?答えは自分でも分からなかった。


 ただ、何か前に進みたいと自身を駆り立てるものがヴェルニと手合せした時から俺の心の中に渦巻いていた。転生前の自分では成し遂げられなかったものを俺はつかみ取りたい。


 ぎゅっと拳を握ると玄関の入口手前までゆっくり歩く。ここからだ。ヴェルニ達の言う通り魔王になるにも、逃げだして人間の部隊に合流するにしてもこの城から出なければ、何も成し遂げられない。


 これが俺の充実した異世界ライフへの第一歩なんだ!


 そう心に強く刻み、前に進む。振り返るとヴェルニの微笑む姿が目に映った。


「アルド様が他の魔族を従え、魔王として君臨する姿をこの目で見られるのですね」


 ヴェルニが呟くのが聞こえる。それはちょっと気が早すぎるんじゃないですか、ヴェルニさん。


「この坂道を下っていくと一台の馬車をご用意しております。そこまで行きましょうか」


 俺とヴェルニは魔王城に続く大きな坂道を下っていくと、城と同様の黒い馬車を発見した。俺とヴェルニはその馬車に静かに乗り込む。御者である小さな角を額に生やした小人が、手綱を引くと黒の馬車がゆっくりと動き出す。


 ああ、ついに行ってしまうんだな。そんなことを思い、先程の決意がどこかに行ってしまったかのように憂鬱になって、軽く頭を抱える。


「ご主人様は何も心配する必要はありません。すぐにオルガのプライドをへし折り、人間共を蹂躙してしまうでしょう」


 その自信は一体どこからくるんですか?とヴェルニに問いたかったがぐっと我慢する。代わりにヴェルニの魔法を見てからずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。


「ヴェルニのあの空間魔法でそのオルガって四天王の部隊まで瞬間移動できないの?」

「それは出来ません」


 即答だった。


「私の空間魔法は私の半径100m程しか使うことはできないのですよ。アルド様の言う魔法扉ポータルとしての役目は残念ながらありません」


 はえ~、そうなんだ。俺は軽く頷いた。おそらく異空間に専用の武器や物を仕舞い、自由に出し入れできる能力なのだろうと勝手に考察してみる。


 面白いな、俺の重力魔法はどんな使い道があるんだろう。馬車に揺られながら自分の能力についてあれこれ想像してみた。すると、俺の考えを読んだかのようにヴェルニが口を開く。


「先代の魔王様は、自身に重力魔法をかけて、自在に空中を浮遊することが得意でした。アルド様もいずれ使いこなせるようになるでしょう」


 おお、舞空術みたいなものか。漫画やアニメでしか見たことなかったことが俺にも出来るのか?テンション上がってきた。


 ヴェルニとこの世界の魔法についてあれこれ話していたら、今日の宿屋に着いた。オルガのいるアスガルド城まで2日程掛かると言っていたからな。俺は馬車の中から宿屋の外観を観察した。


 まるで、幽霊屋敷のようだなと思った。大きく立派な屋敷に見えるが、辺りは霧に覆われ、レンガ造りの宿屋の壁や屋根は汚れ、窓はヒビが入っている。部屋の明かりはついておらず、代わりに宿屋の門に飾られたランタンの炎が怪しく揺らめいていた。


 俺は寒気がして、思わず身震いする。


「さ、着きましたよ。ご主人様。」


 ヴェルニが先に馬車を降り、俺の手を取る。


「ここは、寂れ誰も来なくなった辺境の宿屋。先代の魔王様がこの宿屋の雰囲気を大変気に入り、時折お泊りになった場所です。人気も無いので、安全ですし人間共の部隊もここを見つけられないでしょう」


 ヴェルニは淡々と語る。成程。自衛の為にあえてここに泊まる訳か。理由は分かったが、ちょっと怖いなあ。俺は、ヴェルニの後について歩き始める。


 だがこの時の俺は、宿屋の不気味な外観に気を取られて、ヴェルニの顔に小さく浮かぶ怪しげな笑みに気づかなかった。



 

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