第49話-癒やしの調律、希望を繋ぐ心-

美咲視点

花梨が「起源の核」から戻ってきたあの日、私には、周りの人たちが見ているような、技術的なデータの成功や、世界の危機回避といったことは、あまり重要なことではありませんでした。ただ、彼女が、無事に、元の温かい身体と心を持って、私たちの元に帰ってきてくれた。それだけが全てでした。


シールドルームの冷たい床に倒れ込んだ花梨の顔は、驚くほど静かで、まるで深い眠りについているかのようでした。しかし、その肌は冷たく、生命の炎が今にも消え入りそうに見えました。


「美咲、頼む。身体的な回復は私が担当するが、精神的な安定と回復は、君の専門領域だ」


白石先生の切迫した声に、私はすぐに動き出しました。花梨の心は、起源の核で、世界の全ての絶望と対峙し、そして、それを乗り越えてきた。その消耗は、肉体的な疲労を遥かに超えているはずです。


私は、薬草学と精神薬理学の知識を総動員し、彼女のために特別な調合薬を作りました。それは、単なる栄養補給や睡眠導入のためのものではありません。彼女の光の力によって過熱し、研ぎ澄まされすぎた心を、静かに、優しく、「人間」の領域へと引き戻すための調律剤です。


病室で眠る花梨の横に座り、私は調合薬を飲ませ、その手をそっと握りました。彼女の手は、以前よりも強く、しかしどこかガラスのように繊細に感じられました。


「花梨は、私たちが守るからね。もう、一人で戦わなくていいんだよ」


そう語りかける私の声は、もしかしたら、眠っている彼女には届いていなかったかもしれません。でも、私の言葉と、私の心から発する温かさが、少しでも彼女の精神的な安寧に繋がることを願いました。


数週間が経ち、花梨は徐々に意識を回復させました。しかし、目を覚ました彼女は、時折、遠い目をして、起源の核で見た「世界の絶望」の幻影に囚われているようでした。


私の仕事は、ここからが本番でした。それは、「心のケア」、そして「光の力の記録」です。


白石先生は、「アルカディア」プロジェクトの立ち上げを宣言しました。それは、将来の危機に備え、花梨の光の力をアーカイブ化し、次世代の「光の導き手」に継承するための壮大な計画です。健太が、その技術的な側面の全てを担い、僕はその中で、花梨の「心」の側面を担当することになりました。


健太は、花梨の光のパターンを解析し、「希望のアルゴリズム」を作ろうとしていました。しかし、彼がどれだけ優秀でも、感情や精神といった非論理的な領域は、彼一人の力では扱いきれません。


「美咲の調合薬が、花梨さんの脳波に与える影響のデータを詳細に記録したい。そして、彼女が最も精神的に安定している時の、脳波の共鳴パターンを数値化したいんだ」


健太の要望は、僕の研究を、単なる薬草学から、精神波の解析という、新たな領域へと押し広げました。私は、花梨の日常に寄り添い、彼女が笑顔になった瞬間、健太と他愛もない話をしている時の安心感、私が淹れたハーブティーを飲んでいる時のリラックスした状態を、全てデータとして収集しました。


それは、まるで、花梨の「心の地図」を描く作業でした。彼女の心が、最も純粋で、最も温かい光を放つ瞬間を特定し、それを「心の安定因子」としてアーカイブに組み込むのです。


花梨にとって、自分の感情や記憶を全て解析されることは、非常に大きな負担でした。起源の核での体験は、彼女の心の奥底にあるトラウマを露わにし、それを再び呼び起こすことにもなりかねません。


私は、彼女が辛くなった時、すぐに気づけるように、常に彼女のそばにいました。解析の合間に、彼女を連れ出し、研究所の外の、緑の見える場所に連れて行きました。太陽の光を浴び、新鮮な空気を吸い、そして、普通の日常の些細なことに触れてもらう。それは、彼女の心が、再び「佐藤花梨」という一人の人間であることを思い出すための、最も大切な時間でした。


ある日、花梨がポツリと漏らしました。「美咲、私の光って、本当に誰かを救えるのかな。偉大なる者バリキーは、また戻ってくるって……」


その言葉に、私は静かに答えました。「花梨の光は、誰かを打ち負かすためだけにあるんじゃないよ。花梨の光は、誰かを信じる力そのものだ。花梨が、私たちを信じて、私たちが花梨を信じる。その『繋がり』が、偉大なる者バリキーのいう『絶望』よりもずっと強いって、私は知っているよ」


私の言葉は、技術的な根拠はありません。しかし、それは、私たちチームの「真理」でした。偉大なる者バリキーは、孤立から生まれる。そして、私たちの光は、繋がりから生まれる。


私は、その「繋がり」のデータを、アルカディアの「ヒューマン・インターフェース」の設計に組み込むよう、健太に依頼しました。未来の導き手が、花梨の力を継承した時、単なる強力なエネルギーだけでなく、仲間を信じる心も共に受け継げるように。


数年が経ち、花梨は大学を卒業し、自分の人生を歩み始めました。彼女は、もう、あの時の怯えた女子大生ではありません。しかし、その瞳の奥には、変わらない優しさと、深い強さを秘めています。


アルカディアシステムが完成し、私はその「継承コア」を見つめました。その虹色の光の中には、花梨の光のパターンだけでなく、私が彼女に語りかけた言葉、健太が彼女のために書いたコード、白石先生が彼女に託した希望、そして私たちが共に笑い合った日々の記憶が、全て封じ込められています。


私は、このシステムの「守護者」として、未来の導き手が現れる日まで、この「希望の結晶」を守り続ける。そして、その日が来たとき、彼女たちの心が、花梨の光の重みに耐えられるように、私が育てた薬草と、私の心の温かさで、精一杯サポートするでしょう。


私の使命は、科学者というよりも、「希望の調律師」です。闇に囚われた心を解き放ち、光と心のバランスを整え、未来へと繋げる。それが、花梨との出会いから学んだ、私の新しい生き方です。

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