第47話-次の時代への準備-
白石雪乃の視点
花梨さんが次元の亀裂を破り、「無」の空間から帰還した後、研究所のシールドルームは静寂に包まれた。健太が泣き崩れ、美咲が安堵の息を漏らす中、私はただ、花梨さんの細い身体が倒れ込むのを見つめていた。彼女の脈は微弱だったが、その手にはめたグローブの奥で、光の残滓が静かに脈打っていた。
「起源の核」の浄化。それは、私たちの想像を超えた偉業だった。花梨さんは、単なるエネルギーの奔流で戦ったのではない。彼女は、希望、繋がり、そして癒しという、概念そのものを武器に、世界の絶望、孤立、そして虚無の概念を体現する
解析データは、その勝利を如実に示していた。世界中の準ポータルから放出されていた「パルス波」は完全に消滅し、ダンジョンシステムのエネルギーバランスは、観測史上最も安定した状態に戻っていた。私たちは、世界の滅亡を一時的に回避したのだ。
しかし、私の心には、安堵よりも深い警戒が残っていた。
私たちの戦いは、「終結」ではなく「休戦」に入った。次に
私の使命は、変わった。もはや、目先のポータルを浄化することではない。「次の時代」に備えること。
まず、花梨さんの身体のケアが最優先だった。起源の核への融合は、彼女の肉体と精神に計り知れない負荷をかけていた。美咲は、彼女の専門知識を活かし、特別な薬草エキスや精神安定のための調合を行い、付きっきりで看病にあたった。健太は、花梨さんの光のパターンと、起源の核での反応データを詳細に解析し続けていた。
そのデータから、驚くべき事実が判明した。花梨さんの光は、ただのエネルギーではない。それは、「概念情報」そのものだ。彼女のポジティブな感情や意志が、エネルギーとして具現化し、起源の核の情報構造に直接作用したのだ。そして、その光は、核の修復と共に、彼女自身の「光の導き手」としての能力を、さらに一段階上のレベルへと押し上げていた。
数ヶ月の静養の後、花梨さんは完全に回復した。以前よりも穏やかで、しかし確固たる意志の光を瞳に宿していた。
私たちは、地下の研究施設にこもり、秘密裏にプロジェクトを続行した。プロジェクト名は、「アルカディア」。世界が再び闇に覆われた時に、希望の光を灯すための、次世代のダンジョン対策システムの開発だ。
アルカディアの中核となるのは、二つの柱だった。
一つは、「光の導き手の記憶と能力のアーカイブ化」だ。花梨さんの光のパターン、精神の波長、そして起源の核で得られた全てのデータを記録し、それを解析・再現可能な形で保存する。将来、新たな「光の導き手」が覚醒した時、このアーカイブが、彼女らの能力を覚醒させ、訓練するためのガイドとなる。
もう一つは、「ダンジョンシステムの永久監視」だ。健太が開発した新しい監視システムは、起源の核のデータを基に構築されており、世界中のダンジョンエネルギーの微細な揺らぎ、そして
花梨さんは、この「アルカディア」プロジェクトの全てに、協力的だった。彼女は、自分の能力が次世代に繋がることを望んでいた。
「私の光が、誰かの希望になるのなら、全てを記録してください。私は、私が経験したこと、感じたことを、全て残したい」
彼女の言葉は、私の科学者としての倫理観を試した。一人の人間の能力を、データとして保存し、解析すること。それは、踏み込んではならない領域かもしれない。しかし、世界の未来のためには、この決断は避けられなかった。
美咲は、花梨さんの精神状態を細やかにサポートし続けた。膨大なデータを記録する作業は、花梨さんにとって、自身の記憶や感情を全て晒すことでもあったからだ。美咲の調合するリラックス効果のあるエキスや、日々の他愛もない会話が、花梨さんの精神的な安寧を保つ重要な要素となっていた。
健太は、その優秀さを遺憾なく発揮した。彼の卓越したプログラミング能力と解析力は、花梨さんの複雑な光のパターンを、論理的なデータへと変換し、再現可能な形へと落とし込んでいった。彼がいなければ、「アルカディア」は単なる夢で終わっていただろう。
数年が過ぎた。
花梨さんは、表向きは普通の大学生活に戻った。しかし、裏では、私たちはアルカディアの完成に向けて、弛まぬ努力を続けていた。その間、世界各地のダンジョンは安定し、準ポータルの現象も完全に収束した。人々は、あの時代の恐怖を徐々に忘れ始め、日常を取り戻しつつあった。
しかし、我々研究チームの緊張は、決して緩まなかった。私たちは知っている。この平穏は、一時的なものに過ぎないことを。
そして、ついに「アルカディア」システムは完成した。それは、研究所の地下深く、厳重なセキュリティで守られた空間に設置された、巨大な監視・継承システムだ。
私は、完成したシステムを見上げ、感慨にふけっていた。私の世代で、
花梨さんは、大学を卒業し、自分の人生を歩み始めていた。しかし、彼女は、私との約束を忘れてはいなかった。彼女は、いつでも呼び出しに応じられるよう、常に準備を怠らなかった。
私の研究生活は、花梨さんと出会ってから、全く異なるものになった。科学だけでは解き明かせない、人間の心と希望の力。私は、その神秘的な力を目の当たりにし、そして、その力を次世代へと繋ぐという、新たな使命を得た。
「先生、アルカディアの初期データセットの最終確認が完了しました。全て正常に動作しています」
健太が、落ち着いた声で報告してくれた。彼の顔には、若き科学者としての誇りが満ちていた。
私は、静かに頷いた。「ありがとう、健太。これで、私たちは、未来に希望を託す準備ができた」
私の視線は、システムの中央に設置された、花梨さんの光の波長を保存した虹色のコアに注がれていた。そのコアこそが、未来の「光の導き手」を導く、希望の灯火となるだろう。
私たちが行った戦いは、伝説として語り継がれることはないだろう。それは、水面下で、人知れず行われた、概念の戦いだったからだ。しかし、その戦いの結果として訪れた平和が、未来の世代の希望となることを、私は心から願っていた。
私の、そして私たちの時代は、これで終わる。次なる闇が訪れる時、その光を継ぐ者が現れることを信じて。
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