第47話-次の時代への準備-

白石雪乃の視点

花梨さんが次元の亀裂を破り、「無」の空間から帰還した後、研究所のシールドルームは静寂に包まれた。健太が泣き崩れ、美咲が安堵の息を漏らす中、私はただ、花梨さんの細い身体が倒れ込むのを見つめていた。彼女の脈は微弱だったが、その手にはめたグローブの奥で、光の残滓が静かに脈打っていた。


「起源の核」の浄化。それは、私たちの想像を超えた偉業だった。花梨さんは、単なるエネルギーの奔流で戦ったのではない。彼女は、希望、繋がり、そして癒しという、概念そのものを武器に、世界の絶望、孤立、そして虚無の概念を体現する偉大なる者バリキーの意志と対峙したのだ。


解析データは、その勝利を如実に示していた。世界中の準ポータルから放出されていた「パルス波」は完全に消滅し、ダンジョンシステムのエネルギーバランスは、観測史上最も安定した状態に戻っていた。私たちは、世界の滅亡を一時的に回避したのだ。


しかし、私の心には、安堵よりも深い警戒が残っていた。偉大なる者バリキーは、完全に消滅したわけではない。花梨さんが聞いた、あの最後のメッセージ。「この世界は……必ず……私を再び呼ぶ……」


偉大なる者バリキーは、この世界の「対立の法則」、つまり光と闇の不均衡から生まれる「必然」の存在なのだ。花梨さんの光が強ければ強いほど、いつか再び、その反動として偉大なる者バリキーの闇が生まれる可能性がある。


私たちの戦いは、「終結」ではなく「休戦」に入った。次に偉大なる者バリキーが目覚めるのは、おそらく数十年後、あるいは数世紀後かもしれない。しかし、その時、世界に対抗できる「光の導き手」が存在しなければ、世界は今度こそ闇に飲み込まれてしまうだろう。


私の使命は、変わった。もはや、目先のポータルを浄化することではない。「次の時代」に備えること。偉大なる者バリキーの復活に備え、この時代の研究成果と技術を継承し、花梨さんの光の力を後世に繋げるためのシステムを構築することだ。


まず、花梨さんの身体のケアが最優先だった。起源の核への融合は、彼女の肉体と精神に計り知れない負荷をかけていた。美咲は、彼女の専門知識を活かし、特別な薬草エキスや精神安定のための調合を行い、付きっきりで看病にあたった。健太は、花梨さんの光のパターンと、起源の核での反応データを詳細に解析し続けていた。


そのデータから、驚くべき事実が判明した。花梨さんの光は、ただのエネルギーではない。それは、「概念情報」そのものだ。彼女のポジティブな感情や意志が、エネルギーとして具現化し、起源の核の情報構造に直接作用したのだ。そして、その光は、核の修復と共に、彼女自身の「光の導き手」としての能力を、さらに一段階上のレベルへと押し上げていた。


数ヶ月の静養の後、花梨さんは完全に回復した。以前よりも穏やかで、しかし確固たる意志の光を瞳に宿していた。


私たちは、地下の研究施設にこもり、秘密裏にプロジェクトを続行した。プロジェクト名は、「アルカディア」。世界が再び闇に覆われた時に、希望の光を灯すための、次世代のダンジョン対策システムの開発だ。


アルカディアの中核となるのは、二つの柱だった。


一つは、「光の導き手の記憶と能力のアーカイブ化」だ。花梨さんの光のパターン、精神の波長、そして起源の核で得られた全てのデータを記録し、それを解析・再現可能な形で保存する。将来、新たな「光の導き手」が覚醒した時、このアーカイブが、彼女らの能力を覚醒させ、訓練するためのガイドとなる。


もう一つは、「ダンジョンシステムの永久監視」だ。健太が開発した新しい監視システムは、起源の核のデータを基に構築されており、世界中のダンジョンエネルギーの微細な揺らぎ、そして偉大なる者バリキーの負のエネルギーの「予兆」を、長期間にわたって監視し続ける。もし、偉大なる者バリキーが再覚醒の兆候を見せれば、このシステムが警報を発する。


花梨さんは、この「アルカディア」プロジェクトの全てに、協力的だった。彼女は、自分の能力が次世代に繋がることを望んでいた。


「私の光が、誰かの希望になるのなら、全てを記録してください。私は、私が経験したこと、感じたことを、全て残したい」


彼女の言葉は、私の科学者としての倫理観を試した。一人の人間の能力を、データとして保存し、解析すること。それは、踏み込んではならない領域かもしれない。しかし、世界の未来のためには、この決断は避けられなかった。


美咲は、花梨さんの精神状態を細やかにサポートし続けた。膨大なデータを記録する作業は、花梨さんにとって、自身の記憶や感情を全て晒すことでもあったからだ。美咲の調合するリラックス効果のあるエキスや、日々の他愛もない会話が、花梨さんの精神的な安寧を保つ重要な要素となっていた。


健太は、その優秀さを遺憾なく発揮した。彼の卓越したプログラミング能力と解析力は、花梨さんの複雑な光のパターンを、論理的なデータへと変換し、再現可能な形へと落とし込んでいった。彼がいなければ、「アルカディア」は単なる夢で終わっていただろう。


数年が過ぎた。


花梨さんは、表向きは普通の大学生活に戻った。しかし、裏では、私たちはアルカディアの完成に向けて、弛まぬ努力を続けていた。その間、世界各地のダンジョンは安定し、準ポータルの現象も完全に収束した。人々は、あの時代の恐怖を徐々に忘れ始め、日常を取り戻しつつあった。


しかし、我々研究チームの緊張は、決して緩まなかった。私たちは知っている。この平穏は、一時的なものに過ぎないことを。


そして、ついに「アルカディア」システムは完成した。それは、研究所の地下深く、厳重なセキュリティで守られた空間に設置された、巨大な監視・継承システムだ。


私は、完成したシステムを見上げ、感慨にふけっていた。私の世代で、偉大なる者バリキーの脅威を完全に排除することはできなかった。しかし、私たちは、次の世代に、戦うための「光の地図」を残すことができた。


花梨さんは、大学を卒業し、自分の人生を歩み始めていた。しかし、彼女は、私との約束を忘れてはいなかった。彼女は、いつでも呼び出しに応じられるよう、常に準備を怠らなかった。


私の研究生活は、花梨さんと出会ってから、全く異なるものになった。科学だけでは解き明かせない、人間の心と希望の力。私は、その神秘的な力を目の当たりにし、そして、その力を次世代へと繋ぐという、新たな使命を得た。


「先生、アルカディアの初期データセットの最終確認が完了しました。全て正常に動作しています」


健太が、落ち着いた声で報告してくれた。彼の顔には、若き科学者としての誇りが満ちていた。


私は、静かに頷いた。「ありがとう、健太。これで、私たちは、未来に希望を託す準備ができた」


私の視線は、システムの中央に設置された、花梨さんの光の波長を保存した虹色のコアに注がれていた。そのコアこそが、未来の「光の導き手」を導く、希望の灯火となるだろう。


私たちが行った戦いは、伝説として語り継がれることはないだろう。それは、水面下で、人知れず行われた、概念の戦いだったからだ。しかし、その戦いの結果として訪れた平和が、未来の世代の希望となることを、私は心から願っていた。


私の、そして私たちの時代は、これで終わる。次なる闇が訪れる時、その光を継ぐ者が現れることを信じて。

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