『ダンジョンシード』~芽生える異能、彼女の日常~

@Nico11

第1話-芽生える種-

西暦20XX年、世界はダンジョンと共にあった。

「ダンジョン」――それは突如として現れた、異質な空間。内部には見たこともない奇妙な生物が生息し、貴重な資源が眠っているという。出現当初は人類を脅かす存在として恐れられたが、今ではその危険性を承知の上で、多くの冒険者たちが富と名声を求めて潜り、経済を回す新たな産業の一部となっていた。


そんな時代に生きる私は、ごく普通の女子大生、佐藤花梨(さとう かりん)。ダンジョンのニュースはテレビやネットで毎日流れてくるけれど、私とはまるで無関係な世界の出来事だと、そう思っていた。


今日だって、いつも通りの日常だ。午前の講義が終わり、スマートフォンで今日の献立を検索しながら大学のキャンパスを歩く。学食でランチを済ませた後、図書館で課題のレポートを片付ける。特にイベントがあるわけでもなく、目標があるわけでもなく、ただ漠然と日々を過ごしている。


「佐藤さん、これ、今日のレポート。締め切り、明日までだからね」


背後からかけられた声に振り返ると、担当教授が申し訳なさそうにレポート用紙を差し出していた。


「あ、はい、先生。ありがとうございます!」


受け取ったレポート用紙は、なぜかいつもよりずっしりと重く感じられた。提出が明日の朝、となると、今夜は少し頑張らなければならないだろう。


レポートの参考文献を探しに、私はいつもの古本屋ではなく、少し離れた商店街の奥にある小さな骨董品店へと足を向けた。何となく、今日の気分はそっちだったのだ。


店の扉を開けると、古い木の香りと、埃っぽいような、しかしどこか懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。店内には雑多な品々が所狭しと並べられていて、どこを見ても飽きることがない。


「いらっしゃい」


カウンターの奥から、白髪交じりの店主が顔を上げた。仙人のような雰囲気の、穏やかな目をしたお爺さんだ。


「あの、何か面白そうなものないかなって思って」


私は曖昧に答えた。特に探しているものがあったわけではない。ただ、この店の不思議な空気が好きだった。


店主はにこりと笑うと、カウンターの隅を指差した。


「ああ、そうかい。それなら、この間仕入れたばかりの珍しいものがあるよ。見たこともない代物でね、私も初めて見た」


視線を向けた先には、手のひらに乗るくらいの小さな箱があった。蓋を開けると、中には黒曜石のような、しかしどこか生体的な光沢を放つ、奇妙な「種」が収められていた。大きさは小指の先ほど。表面には複雑な幾何学模様が刻まれているようにも見える。


「これ、なんの種なんですか?」


尋ねると、店主は首を傾げた。


「さあてね。あらゆる図鑑を調べてみたが、どれにも該当しないんだ。ただ、妙な『気』を感じるだろう?」


言われてみれば、確かに。その種からは、微かな、しかし確かな存在感が漂っている気がする。ただの石ではない、と直感的に思った。


「珍しいものだとは思うが、なにぶん正体不明でね。この値段でどうだい?」


店主が提示した額は、驚くほど安かった。普通なら二の足を踏むような怪しい品かもしれないが、なぜか私はこの種に強く惹きつけられた。不思議な魅力があった。


「買います!」


衝動的に、そう告げていた。レポートのことも忘れ、私はその「種」をそっと持ち帰った。


自宅に戻り、夕食を済ませてから、私は購入した種を改めて眺めた。やはり、ただの種には見えない。触れると、ほんのりとした温かさが伝わってくる。


「とりあえず、植えてみるか」


何の植物の種か分からないけれど、とりあえず鉢に植えてみることにした。観葉植物用の小さな鉢に、園芸店で買ってきたばかりの培養土を入れ、そっと種を埋める。そして、ジョウロで水をやった。ごく普通の、水道の水だ。


「これで、何か芽が出るのかなあ……」


半信半疑ながらも、明日の朝が少しだけ楽しみになった。レポートの山を横目に、私はベッドに入った。


翌朝、目覚まし時計の音で目を覚まし、ぼんやりとした頭でリビングへと向かった。眠い目をこすりながら、コーヒーを淹れようとして、ふと、鉢に目をやった。


昨夜、種を植えた鉢だ。


「え……?」


私は思わず声を上げた。鉢の中には、土からにょきっと突き出るようにして、手のひらサイズの「空間」が広がっていたのだ。それは、まるで小さな口を開けた洞窟のようにも見える。洞窟の入り口は黒く、向こう側がどうなっているのかは全く見えない。ただ、そこから微かに冷たい空気が流れ出してくるのが分かる。


明らかに、植物の芽ではない。


恐る恐る指を伸ばしてみる。触れると、ひんやりとしていて、物質的な固さはない。まるで、空間そのものに触れているようだ。


「これが……ダンジョン?」


脳裏に、テレビで見たダンジョンの映像がよぎった。巨大な入り口、不気味な気配。それとは似ても似つかない、あまりにも小さく、可愛らしい「ダンジョン」が、そこにはあった。


まさか、昨日のあの種が、こんなものを生み出すなんて。


私は混乱し、心臓がバクバクと音を立てるのを感じた。これは夢なのだろうか?何度か瞬きをしてみたが、目の前の光景は変わらない。


意を決して、私はその小さな空間に、恐る恐る足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る