34 生贄少女、決意する


 ***


「うぬぬぬぅ……」


 柱の影に隠れて、チビは密かにタイミングを計っていた。


「く、く、うぬう……」

「何を先程から一人で唸っているのですか?」

「ぬえ!? フォ、フォメ!?」

「あなたが先程からこちらを窺っていたことなどお見通しです」


 背後を探っていたはずの人間が、なぜか自分の後ろにいる。

 持っていた何かを慌てて背中に隠しつつ動揺を隠せないチビに対して、フォメトリアルは嘲笑うように眼鏡のブリッジを無意味に持ち上げている。

 うーうーと唸るチビを見下ろし、「まったく」と首を振ってため息をついている。


「どうせまた、なんらかのいたずらを考えていたのでしょう? ふふん。あなたが考えていることなど、お見通しで――」

「フォメ、べん、きょ!」

「……はい?」


 突き出したのは、フォメトリアルがチビのために取り寄せた、人間の子ども用の本である。シリーズものであるため、3と書かれた本をフォメトリアルの眼前に突きつける。


「べんきょ……おねがい、しますッ!」


 そう言って、ぺこんと勢いよく頭を下げたチビを、フォメトリアルはまるで不思議な生き物を見たとでもいうように、ぽかんと口をあげて瞬きを繰り返している。


「え……チビ、あなたが、勉強……勉強を、私に、自分から……?」

「……話す、だいじ、おもった。私、話、したい」

「……そうですか」

「いままで、ごめん、なさ。フォメにも、ごめん、言おう、おもった」

「いえ、私に謝罪は不要ですが……もともと私が無理にさせようとしたことですし……」

「でも、てか、げん! てきど! いっぱいむり!」

「それは、まあ、そうですね。……わかりました」

「私、いっぱい、みんなと、話したい! がんば、る!」

「ええ、ええ!」


 できる言葉で必死に伝えるチビに対して、気づけばフォメトリアルはチビと視線を合わせるようにしゃがんでいた。「がんばる!」と繰り返すチビに、「ええ、わかりました! 力の限り、私もお手伝いしますとも!」と力いっぱい頷く。その瞳がわずかに潤んでいることには、フォメトリアル自身も気づいてはいなかった。


 ***


『あ、い、う、え、お!』

『チビ、お上手ですよ! 今度はもう少しはっきりと!』

『あ、い、う、え、おー!』

『その調子です!』


 フォメトリアルの指導の声と、幼く可愛らしい少女の声が、いつの間にか魔王城のそこかしこで聞こえるようになった。城の中は、幼く高い声がよく響く。


 その声に耳を傾け、ふうんとシトラは顔を上げた。手には布を持っており、モヤモヤたちとともに魔王城の回廊を拭いている最中であった。


「……チビとかいう、人間の声か? なあ、兄貴。今更だけどよ、なんで人間が魔族の城にいるんだ?」


 兄貴と呼ばれるのも久しぶりだな、とカシロは心の中で苦笑しながら、そんなことはおくびにも出さずに、「色々あったんだよ」と短く返答する。この短い中で、本当にたくさんのことがあったのだから。


「それよりシトラ。お前、いつ森に帰るんだ? タイミングによっちゃ、道が雪で閉ざされるだろ? 村のやつらも心配するだろうし」

「雪くらい俺の氷でなんとかできる。……兄貴がいなくなってから、こっちだって色々あったんだ。俺一人くらいいなくなっても問題ないくらい、みんな強くなった。それより、俺が壊した城の修繕の方が重要だ。ギギとかいう魔族の枝で穴は塞がってるけどよ。さすがに完璧じゃねぇし……」


 あ、こんなところにも埃が。とシトラはごしごしと布を動かしている。


「ギギ様だろ。様をつけないと、またフォメトリアルに怒られるぞ。……お前は本当に、大雑把なくせに、変な所で細かいやつだな」

「え、そうか?」

「そうだな。まあでも、お前が細かいことが気になるやつだから、この城にまで来てくれて、こうして俺たちはまた話すことができたんだろうな」


 ***


 さて、ここで一つ、お話を。

 宵の風が止まるとき。

 それは人間の国との道が開くときでもある。


 宵の風は、博士とあだ名される魔族が、城の一室で観測しているのだが、風が止まった回数と吹いた風の大きさ全てが合わさり決まるある日のことを、星喰の日と魔族は呼ぶ。


 星喰の日とは、人間の国との扉が、もっとも大きく開く日のこと。

 夜の国の、星が喰われる日である。


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