17 生贄少女、一騒動の予感

「……なあチビ、お願いがあるんだけど」

「…………」


 ぷい、とチビはそっぽを向く。テジュは諦めきれないとばかりにそっぽを向いたチビの正面に移動して「ほんとに、お願い。『お手』はしないからさぁ」としおらしい声を出している。ちょっと聞いてやってもいいかな、とチビは腕を組んでテジュをちらりと見つめた。


「『待て』ってやつもあるらしい」

「…………」


 チビは目を瞑って天井を仰いだ。今日もギギ様の枝と葉っぱが、もさもさと魔王城の謁見室を覆っていた。

 テジュが読んだらしい、本人曰くは、犬のしつけの方法だということくらいさすがのチビもわかっている。


「…………」


 それをしたら人間は喜ぶと勘違いしてしまっているテジュに、一体どう説明して納得してもらえるのか――残念ながら、正しく説明する語彙はまだチビにはなかったし、知り合いにお手やおかわりをさせて喜ぶ趣味もない。

 果たしてどう言えばいいのか……と無言で考えた結果、チビは素直にテジュに向き合うことにした。


「お手、イヤ。おかわり、イヤ。待ても、イヤ。もう言わない。キライ」

「えっ、きら、キライ……!?」


 お手が嫌と言うよりもテジュにさせる行為が嫌という意味だったのだが、なんとも言葉は難しい。言い過ぎたかな……でもなあ、とチビはなんともいえない表情で口元をへの字にしている。


「う、わか……わかった。チビが、嫌なことは、しない……! ごめんな……!」

「…………!」


 気持ちが通じたことにびっくりして、チビはぱくぱくと口を動かす。言葉ってすごい、と目を白黒させてしまう。「今まで、嫌だったんだな……ほんと、ごめんな……」驚きすぎて、何度もこくこくと頷き返事をしてしまった。「でも……その……ボール、投げるのは……? おれ……あれ……好きで……」えっ。いや、えっ。とチビは意味もなく周囲をきょろきょろ見回す。「ボール……投げてもらうと……嬉しいんだけど……これもだめかな……」ボール? ボール? とチビの頭の上のフワフワもどうしたらとばかりにオロオロしている。


「……た、たまに、なら……?」

「わあ! ほんとに!? めちゃくちゃうれしーい! ボール! ボール! ボールぅ!」


 謎のコールが始まってしまう。繰り返されるコールを前にしてあわあわしているチビは、頭の上のフワフワをむしり取った。「フワワ~!?」ぽーんっ! と投げられたフワフワを、「わあーい!!!!」とテジュが追いかけ、謁見室の扉に体当たりをしてフワフワと戯れるように消えていく。

 ごろごろと転がって退場していくテジュを見送りながら、チビは「フウ……」と額の汗を拭った。いつものペースが崩れてしまって、ちょっとだけ焦ってしまった。


「くっくっく」

「ぬう!?」

「いや、チビちゃん。嫌なことはきちっと嫌って言えるようになったんだなと思ってな。前から態度には出してはいたが、偉いぞ。そういうのをはっきり言うのは重要だからな」


 チビとテジュの会話を微笑ましく見守っていたカシロが、大きな手でチビの頭をわしわしとなでる。カシロの手が動くのと一緒に頭を揺さぶられつつ、なんだかチビは照れてくる。ついでに、カシロと同じようにじっとチビを見ていたらしいアザトへと振り返り、ちらっと視線を向けた。アザトはわずかに目を見開いて、少しだけ遅れて口元に小さな笑みをのせる。ちなみに珍しくフォメトリアルはいない。


「俺たち魔族は我慢ってものがないからな。静かにしているのも星喰ほしくいの日くらいだろ。その日はさすがに外には出ないが……」

「う?」

「ん? 星喰の日のことか? ああ、星が食われちまう日のことだ。魔族も、その日くらいは静かにするもんだ」


 なぜかカシロは少しだけ寂しそうな顔をしていた。

 聞いたことのない言葉を聞いて、チビはきょとんと瞬く。ほしくい。お星さまを食べてしまう日ということは、真っ暗になってしまう日のことだろうか。

 夜の国はただでさえ真っ暗なのに、星の光がなくなってしまうだなんて。


「た、たいへん……」

「ん? そんなことはないぞ。それはともかく、なあチビちゃん。本当に嫌なときは殴るくらいのことをして止めてもいいからな。魔族のやつらは頑丈だし……いや、むしろチビちゃんの手の方が壊れちまうか?」

「ぬぬぬ」


 ぶんぶんぶん、と今度は自分の意思で頭を横に振る。


「はっはっは。殴るのは嫌か。俺もそんなに好きじゃねぇな。魔族だと好戦的なやつもいるから、最終手段だな」


 なんでも最終手段を持つのは大事だぞ、とカシロは最後にぽん、とチビの頭を叩いた。うーん……とチビは考える仕草をした後で、拳を突き出してみる。本人としてみれば至って真面目なのだが、ぽふりと効果音がつきそうなほどに可愛らしいパンチである。


「んー。いや、もう少し腰を入れてな……そうそう。チビちゃんの場合、拳じゃなくて平手の方がいいかもしれんな」

「んむう」

「……お前が、そういったことをする、必要はない」

「……たしかに魔王様の言う通りですね」


 失礼しました。とカシロは苦笑して頭の後ろをかいている。チビが繰り出していた拳を、アザトがそっと手のひらで止めた。


「争いで、拳を使うために、練習をする必要はない」

「フムウ……」

「拳を使うのは、どうしても、伝えたい感情があるときのみにすべきだ」

「????」

「うんうん」


 無表情のままに淡々と語るアザトに対して、カシロは納得するように深く頷いている。


「拳で語り合いたいときは自然と手が出るもんですしね。練習するなんて野暮です」

「うむ……」

「????」


 まったくもって何を言っているかわからないが、魔族と会話をしているとたまにこういうことがある。魔族からすると殴り合うこともただの会話の一つなのかもしれない。

 いろんな会話方法があるのだな、と呆れ半分な気持ちでチビが語り合う魔族たちを見上げていたとき、「ホワーーー!?」「ギャワーーーンッ!?」とても聞き覚えのある声が外から聞こえた。フォメトリアルとテジュである。


「この……ッ! 駄犬にもほどがあります…! 人の足前でコロコロコロコロと毛玉に戯れるなど、心底迷惑ですよ……!」

「ううう、ごめんよぉ……ごめんよぉ……」


 こめかみに血管を浮かばせたフォメトリアルに首根っこを掴まれる形で部屋に入ってきたテジュは、しょんぼりしょぼしょぼしながらフワフワを抱きしめている。

 おそらくフワフワを捕まえたテジュが寝転がって遊んでいたところ、歩いていたフォメトリアルの足にひっかかったというところだろう。目に浮かぶ。


「フォメ……」

「不思議と犬を彷彿とさせるようなその呼び方はやめていただけますか」

「んぬ?」


 人間の国のどこかには、ポメラニアンというもふもふの犬種が存在するらしいが、チビはあまり詳しくない。


「いえそうではなく! 私がこちらの来たのは別の話が……魔王様! 新たな人間を夜の国で見つけたと報告を受けました!」

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