39話 “絶穿(ぜっせん)”
◇◇◇◇三人称セレナ視点になります◆◆◆◆
◆セレナ◆
結末は決まっている。
ツキ・ランセリアの魂はもうすぐ私のものになる。
あとは、あの突きを凌ぐだけ。勝利条件はたったそれだけ。
それが簡単にはいかないことは、わかっている。迫りくる槍の穂先の速度は凄まじいものだ。
呪水に操られる直前のツキ・ランセリアにわずかに残された自由意志が繰り出した最後の足掻き。消える寸前のツキの最後の輝き。
この一撃さえ凌げばツキの魂の火は燃え尽き、呪水に支配される。ツキの自由意思は消失し、感情のない傀儡としてセレナの意のままに操られることになる。
呪水の力は支配の力。ノーミアにとって最愛の人。ツキ・ランセリアの心を私が奪う……。
それはおそらくノーミアの心にもっとも残酷な傷跡を残すだろう。
(私は、私と同じ感情をノーミアに味わわせたい。そして私と同じように、ノーミアの心を壊したい)
もうすぐそれは叶うはずだ。
……この一撃さえ凌げば!
ツキ・ランセリア、最後の突き。最強の槍使いの最高の技。これさえ凌げばすべてが私の思い通りになる!
「補給隊! 私を守りなさい!」
「はっ!」
セレナが声に出す前に、補給隊の5人はすでに、動いていた。最短距離でセレナを目指すツキ・ランセリアの槍。その軌道に5人の男たちが割って入る。
成人男性5名による肉の壁の完成。
この時点でセレナの命が救われることが確定した。しかしそれだけでは終わらない。補給隊のメンバーはベテランの戦士であり、熟練の槍使い。屈強な体を持ち、魔具継承者の技だって対処可能な武器の技量を身につけている。
さらにローク・マーシャルは天槍ロンギヌスの仮宿となっている。かりそめではあるが魔具継承者となったことで、通常時よりも遥かに力を増している。加えてロークは槍の達人。たゆまぬ努力によって魔具継承者を単独で破るほどの実力を身に着けた猛者。彼らならば、ツキを防ぐくらいの槍の技量があるはず。
だが、
「そこをっ、どけええええええええええええええええッ!!!」
ツキが咆哮すると同時に、ゲイボルグが輝き出した。光の奔流が渦巻き、らせんのように槍を包み込む。槍と使用者、ふたつが光の中で混然一体と混ざり合い、溶け合った。
「なんだこれは……光!?」
ツキは人間ではなかった。あれはもう、“破壊”という名の意思だった。貫通の概念が、ただまっすぐに進む。それ以外の何物でもなかった。
セレナの脳裏にある槍使いの伝説が想起される。古代の戦争をたった一人で鎮圧したと言う英雄『神槍セレオス』……彼が繰り出す究極の突きと言っても過言でないその技の名を、セレナは聞いたことがあったはずだ。
(なんだっけ……セレオスの奥義の名前……)
いまや巨大な光の塊となったツキに向かって補給隊が武器を繰り出していく。先陣を切ったのはローク・マーシャルのロンギヌス。ツキのゲイボルグと、ロークのロンギヌス。2本の槍の穂先が触れあったその瞬間、セレナは悟った。
(あ、だめだ。これ)
キン! という金属音とともに天槍ロンギヌスが空中に弾け飛ぶ。原型を保って弾き飛ばされるだけで済んだのはさすがの強度だ。だが、魔具を弾かれた人間には、そのような強度はない。ロークの右半身が突きの光に包まれた。瞬間、螺旋の輝きの中にロークの肉体が消失していく。残った左半身もらせんの中に巻き込まれて、肉体を分解され挽き肉になった。さらにそのひき肉が正体不明のエネルギーに焦がされ塵へと化していく。
ああ、そうか。あれに触れたら、何もかもなくなるんだ。技でも、肉体でも、魂ですら──全部、巻き込まれて、消える。
ひとり、またひとり……他の補給隊のメンバーも次々と槍の光の中へと飲み込まれていく。歴戦の猛者をもってしてもツキの技にまったく抵抗出来ていない。
あの技の前では技とか肉体の強さとか関係ない。この世から消えちゃうんだ。
セレナの肉の壁となっていた5人はほぼ一瞬ですべて失われた。
なんだろう。これ。ほんとうに人間の突きなのかな。これもう技じゃないじゃん。「破壊」じゃん。人間って技を極めたら、破壊っていう現象そのものになれるんだ。
眩い光が目の前に迫ってくる。これが“死”なんだ。
知らなかったな。死っていうのは、光ってるんだ。
セレナが破壊の光の温もりを肌で感じたその時だった。凄まじく強い風が吹き、セレナの髪がなびいた。
空中を舞っていたロンギヌスが急降下してきたのだ。そして急速に回転し柄でセレナを払い飛ばしたのだった。
強烈な一撃が腹部にめり込み、体がくの字に折れた。その勢いで10メートルほど吹き飛ばされ、セレナは建物の壁に体を強烈に打ち付けた。建物の壁に蜘蛛の巣状の亀裂が入った。セレナの皮膚が破れ、肉がブチ切れ、きしんだ骨が粉々に折れていく。衝撃が体中を乱反射しながら駆け回り、傷ついた内臓が各地で絶叫をした。絶望的な痛みが体のあちこちで燃え上がっている。
大量の血が口からゴボっと吐き出された。セレナの意思じゃない。セレナの体が勝手に血を吐いたのだ。天使様の癒しを受けてなお、セレナのダメージは深刻だった。
痛い痛い痛い痛い……。
全身を貫く痛み……セレナは建物のそばの地面で指一本動かせなくなってうずくまっている。
……でも、生きてる。私、生きてる!
あの破壊から逃れることができた。ロンギヌスが逃がしてくれた。
大きなダメージを負いはしたけど、あの一撃をしのげたんだ。
痛みで意識が霞む。だが、生きている。――私、勝った。勝ったんだ。
ツキ・ランセリアは、セレナが先ほど立っていた場所の後方で、槍をまっすぐに突き出して“残心”の姿勢をとっていた。
ツキの移動した範囲の地面が、バチバチと稲妻とともに煙を上げている。
あれが……ツキ・ランセリア。戦場に投入すれば一騎当千の働きをするとされる魔具継承者。そのなかでも魔具との適合率が98%を超える特異個体。ツキ・ランセリアは特別な魔具継承者だ。その最後の一撃を、私はしのいだ。
というか天槍ロンギヌスが助けてくれた。ものすごい勢いで突き飛ばしてくれた。あの勢いでなければきっと死んでいた。大きなダメージは負ったが、セレナは聖女だ。天使様の癒しの加護を受けている。誰よりも強い加護を。ケガはいずれ治る。相応の時間はかかるだろうが、また動けるようになる。
(ロンギヌスはどうなったの……?)
見ると、ロンギヌスはツキの技を受けて柄が真ん中から折れ曲がってしまっていた。セレナを庇って、壊れてしまったのだ。
(身を呈して私を守ってくれた……本当にいい子ね……ごめんね)
まあロンギヌスも時間を掛ければ再生するはず……。
セレナは生き残った。体はボロボロだし、時間をかけて呪水になじませた優秀な部下たちもあっさり失った。けれど、ツキ・ランセリアはまもなく呪水に堕ちる。彼女を味方につけることができれば、おつりがくる戦果と言える。
セレナは勝利したのだ。セレナの口から安堵の息が漏れ出た。
(よかった)
予想外の展開の連続だった。この街では小規模な騒動を起こして呪水で操った倉庫の管理者を犯人に仕立てて、めでたしめでたしで締めくくるつもりだったのに。もっと時間をかけて、旅の先々でゆっくりと騒動を起こしていく計画だったのに。なんでこんなに早い段階でセレナの正体が露見してしまったのか。
(そうよ……呪水を見分ける方法はないはずなのに……ノーミアはどうやって呪水を嗅ぎつけたの?)
まったくあの子はいつもセレナの想定を超えてくる。ノーミアはいつの間にか呪水を判別する方法を独自に発見していたのだ。そしてセレナが黒幕であることを突き止めた。
そのせいで計画は大きく狂った。町に呪水をばら撒くことが出来ていなかったら、倉庫から出た時点でノーミアに制圧されていた。
(やはりノーミアは特別な聖女……そういうことなの)
まあいい。呪水の力で、どうにかこの場は凌げたのだから。ツキ・ランセリアへの呪水のキスが成功した時点で勝利は確定した。
危なかったが、あの破壊を最後にツキの意識は消え、呪水の支配に呑まれたはずだ。
ツキ・ランセリアは“残心”の姿勢のまま動いていない。セレナを追撃して来ない。それがツキが支配されていると判断する根拠だ。
「ツ゛キ゛……ッ」
セレナはツキに呼びかけようとしたのだが、上手く声がでない。体中にダメージを受けているのだから当然か。
ならばとセレナは念じる。ツキが呪水の支配下にあるのならば、セレナの通信が通じるはず。
『ツキ・ランセリア! 聞こえてる?』
「……」
ツキからはなんの反応もない。通信が届いているかもわからない。
(くそったれ! それじゃあまだ操れてない可能性があるってことじゃない)
今は動きはないが、もしツキが意識を取り戻したりしたら?
セレナは今は動けない。ロークは死んだ。ロンギヌスも壊れてしまった。今度あんな攻撃をされたら終わりだ。今度こそ死んでしまう。
だからセレナは必死で祈った。
(……お願いです。ツキ・ランセリアを操ってください! 私を助けてください! そうできなかったら、私は負けてしまいます)
負けるとはいったい何を意味しているのか。セレナは自分でもよくわかっていなかった。何に敗けるのか。誰に敗けるのか。しかし敗けたら終わりという確信、それだけはハッキリと感じていた。
(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■)
セレナの祈りに【声】が応えた。その瞬間、セレナの絶望は深まった。【声】の要求はあまりにも過酷で、事実、死刑宣告のようなものだったからだ。
(そ、そんなの。あんまりだわ。あんなに……あんなに尽くしてきたのに!)
もう【声】にはつきあいきれない。逃げなくては。この場から一刻も早く。セレナは目を見開いた。ボロボロになった体に鞭打って、この場から逃れようともがく。目からは涙があふれ、口からは血が滴っている。
馬の蹄の音が聞こえたのはその時だった。
(まさか……?)
今この場所に、近づいてくる者があるとしたら、あの子しか考えられない。
「ツキ様ぁ~!!!」
その声を聞いた瞬間、セレナの心臓が激しく脈打った。
その声は間違いなく、ノーミアのものだったからだ。立ち去ったはずのノーミアがこの場に戻って来た。
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