第5回 初恋の温度
佐々木キャロット
初恋の温度
※縦組み表示推奨
吐き出す息が白い。窓ガラスで切り取られた部屋の中にも薄い空気が漂っている。目の前に置かれたリモコンには手が届かない。エアコンはただそこに佇んでいる。折り曲げた脚は痛むが固まって動かない。部屋が暗い分、テレビの灯りが眼に痛い。誰も見ていない画面でイルカが優雅に泳ぐ。そういえば、初めてのデートは水族館だった。
出会ってから一ヶ月。
付き合ってから始めてのデート。
Twitterか何かで水族館デートはダメだと見たが、
その理由までは思い出せない。
でも、彼女は楽しいねって言っていた気がする。
一緒にイルカショーを見て、大水槽をぼんやり眺めた。
思い出にクリオネのキーホルダーを買った。
流氷の天使って言うんだって。
彼女はそう言って微笑んだ。
彼女はオシャレだった。
陰キャで根暗の僕には勿体ないくらい。
デートでも度々ショッピングに行った。
高そうな店ばかりで居心地が悪かったが、
行きたくないとは言えなかった。
このブランドのバッグが今欲しいんだ。
彼女はニコニコしていた。
一度、街で知らない男と歩く彼女の姿を見かけた。
楽しそうに笑って、腕を組んで、顔を近づけて。
「浮気」という言葉が頭に浮かび、二人の後を隠れて追った。
建物に入ったところで、見るのを止めた。
彼女に限ってと帰路についた。
翌日にあった彼女の笑顔は、
疑う僕を責めているかのように思えた。
クリスマスの翌日にプレゼントをあげた。
本当は当日に会いたかったが、用事があると断られた。
欲しがっていたブランド物のバッグ。
ありがとうと笑って、欲しかったんだと喜んだ。
昨日の用事はなんだったのだろう。
ついぞ聞くことはできなかった。
ネックレスを買った。
付き合ってから一ヶ月の記念日。
彼女の笑顔で不安を消したかった。
嬉しいという言葉が、
安らぎをくれた。
三日前に指輪をあげた。
プロポーズのつもりだった。
給料三ヶ月分とは言えないまでも、
それなりに良いものを選んだつもりだった。
途切れ途切れに紡いだ言葉を、
彼女は黙って聞いてくれた。
はい。喜んで。
彼女は目を細めながら、
ニコリと言った。
吐き出す息が白い。充電コードに繋がった携帯はピクリとも動かない。彼女へ送ったメッセージに既読はつかない。電話も繋がらない。マッチングアプリのトーク履歴も、今となっては見ることができない。写真フォルダを開いてみる。笑顔の彼女が眼に染みて、涙が出る。
カーテンの隙間から差し込む光がクリオネのキーホルダーを照らし出す。彼女は今もこの街を漂っているのだろうか。この冷えた街をゆらゆらと。もうプレゼントは届かない。言葉さえも届かない。ただ、これだけは伝えたい。
本当に、本当に君のことが好きだったんだよ。
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