第2話
「メリク?」
名を呼ばれてメリクは振り返り、辺りを見回した。
「こっちだよ、上!」
上階を見上げると、そこに友人であるイズレン・ウィルナートの姿があった。丁度音楽教室の窓から身を乗り出すようにして、こっちに向って手を振っている。
「何してるの? イズレン」
「何してるってお前こそ。城に帰ったんじゃなかったのか?」
今日は講義を終えて午前中のうちにイズレンとは別れたのである。イズレンは学院の奥にある学院寮の寮生なので、ああして一日の講義が終わった後も学院のどこかでたむろしている。
「あ……ちょっと一度帰ったんだけど……」
と言いつつも姿も、鞄も午前中に見たままの姿であるメリクを、イズレンは不思議そうに見下ろしていたが、それならと中を指差して来た。
「よかったら上がって来いよ。今友達と集まって話してる」
メリクは一瞬考えたが、すぐにイズレンを見上げた。
「……行ってもいいかな?」
こういう誘いには悪気なく、メリクはいつも乗って来ない少年だったので、大した期待も無しにかけてみた言葉だったのだが、今日に限って彼が頷いたのを見て、イズレンは意外そうな顔をした。だがすぐにいつもの屈託の無い笑顔で笑った。
「いいよ、上がっておいで。あ。音楽室の扉は開いてないから教員通路から入って来い」
「うん、分かった」
扉を開けば教室の中にはイズレンを含めて五人の青年達がいた。
物珍しそうに、彼らは入って来たメリクを眺めているが、メリクはその視線を受けても特に不快な感じは受けなかった。
「よろしく」
「あ、よろしくお願いします。サダルメリク・オーシェです」
「すげぇ本物だよ」
「だから本当だって言ったじゃないか」
「ウィルナートからよく君の話を聞いてるよ。優秀な友人が出来て良かったなウィルナート」
可笑しそうに一人の青年が言ったが、相手もイズレンである。彼は皮肉には取らず、足を組んで席についた。
「俺のこの前の総学の試験の半分は、間違いなくメリクのノートの力で出来てる」
「王家の人間に悪い遊びを教えるなよー」
「教えてねーよ!」
「あははっ、君も悪いやつに眼をつけられたなオーシェ」
「そんなことは無い。俺とメリクは信頼し合う友人同士だ」
「嘘臭いことこの上ないな」
「メリク、こいつら四人も俺の寮仲間なんだ。ちなみに優秀な奴は一人もいない」
イズレンが言うと四人が一斉に「お前に言われたくねーよ!」と反撃している。
その様子にメリクは声を出して笑った。仲が良さそうだ。いつもこんな風に話しているのだろうということがよく分かる。
「ここに座るといいよ」
「そういえば丁度今、オーシェの話をしてたんだよ」
「バカ! 言わなきゃ分かんなかったのに!」
「?」
メリクが問いかけるようにイズレンの顔を見上げる。
彼は誤摩化すような顔で笑った。これは何か悪いことをしている時の顔だ。
「……ただの他愛無い世間話だよ」
「こいつがな、サダルメリク・オーシェの恋の相手を分析してたんだ」
「おい! 人聞きの悪いことを言うんじゃない! 別にメリクだけを面白可笑しく取り上げたわけじゃないぞ。皆のもしたじゃないか。単にたまたまメリクの番だったんだ。誤解させるなよ」
「精神学の応用さ」
「『魔術師は世界を常に観察すべし』だろ?」
差し出された紙に書かれているのは、魔術学院の女学生らしい名前の数々だった。
どうやらメリクの恋の相手として彼らが分析予想して書き出したもののようだ。
メリクからしてみれば微笑むしか無いような名前である。会ったことも無い人の名前も連なっているのだから、罪も無いただのお遊びだ。
「おや? 反応があんまりないな。結構真面目に考えてたのに」
メリクの表情をうかがっていた青年の一人が首を傾げた。
「そんなはずは無いぞ。俺の分析ではメリクは知的美人タイプが好みと出てるんだ。そこを主軸に人を選抜したのに!」
「僕そんな話したことあったかなぁ……」
「見た所だ。だってどう考えてもお前は、見かけだけ可愛くて頭が軽い女が好きなはず無いじゃないか」
「そんな分析誰でも出来るぞ。もっとサンゴール最高学府王立魔術学院の学生らしい分析をしろよ」
「引っ込めイズレン!」
「何をー⁉ お前らなんかメリクと付き合うの怖いとか、肝の小さいことを言っていたくせに!」
「あっ、今言うなよ! 本人がいるじゃないか」
「今だから言うんだ。そういうことを陰で言うと悪口になるんだぞ。メリクは俺の友人だ悪口なんか言わせないぜ!」
「いい子ぶりやがってこの野郎!」
わあわあと遣り合い始めた青年達を、右へ左へと交互に見遣っていたメリクはとうとう吹き出した。こんな遣り取りは王宮ではとても望めないものだろう。
「その中に本命はいたかい?」
当の本人であるメリクが笑っているので、青年達もホッとしたようだ。
「いなかった」
メリクが笑いながら首を振る。
青年の一人が隣にいたイズレンの頭をはたく。
「ほら見ろ!」
「あれ⁉ 嘘だ! 絶対この中にいるはずだー!」
「王宮に住まうサダルメリク・オーシェがこんな学院のその辺を歩いている女なんか好きになるわけないだろ。何たって王宮なら他国の数多の美姫とも会う機会があるんだろうから」
「あ……」
そんなことは無いよと自分の言葉でそれを伝えようとした時、隣の席でふてくされたように頬杖をついてたイズレンがはっきりと口にした。
「いやメリクはそういう風には人を見ない奴だから。自分を王家の人間だなんてこれっぽっちも思ってないからな」
「そうなのか?」
「あ、はい……。城の公務とは僕は全く無関係だから」
青年達は顔を見合わせ合う。
「でも確かに話してみると印象違うな。もっと固い奴かと思ってたけどさ」
「全然固くないぜ。こんな真面目そうな顔してるけど頭ん中は随分ボーっとしてるし」
イズレンがぽんぽん、と無遠慮にメリクの栗色頭を軽く叩いてくる。
「ぼーっとなんかしてないよ」
「してるだろうが。この前なんか神妙な顔でマリク・フォルナーのあの退屈な講義を聞いてるからすごいなと思ってよく見てみれば、礼拝堂の壁に描かれてる猫の数数えてたくせに」
「あれは……なんか礼拝堂の壁に猫のモチーフって珍しいから気になっただけで」
「見てる所が何か独特っていうかな。だって毎日【鋼の女王】と【
「まあ確かに俺達からしてみれば、オーシェも気性がもっと厳しいのかと思ってたけどな。こうして見ると普通の子だなぁ」
「だから普通なんだってこいつは!」
「【魔眼の王子】の唯一の弟子だぜ? どんなにおっかない奴かと思うだろ普通!」
そういうのも仕方ないんだろうなとメリクは今では思うようになっている。
特にリュティスの方はこうしてサンゴールの民にとっても、とにかく公の場にすら滅多に出て来ない謎の人物と見られているのだから。
【魔眼】を持ってる大変怖い魔術師らしいという噂は広まっていても、庶民が実際に王子リュティスを見る機会などそうそうあるはずもない。
「王家とはちゃんと一線引いて育てられてるんだよこいつは」
イズレンがそう言ってくれたので、メリクが自分で言うよりも青年達には伝わったようだった。
「そうなのか」
「う、うん。そうなんだ」
「へぇ~そんなもんなんだなぁ。色んな噂があるからもっと王家の内情に関わってるのかと思ってたけど……そりゃそうだよな。実際に王家の血が流れてるわけじゃないしな。あ、ごめん。気にしてたか?」
「ううん! 気にしてない。むしろそんなことで誤解されるより、はっきりそう思ってくれた方が僕は嬉しいんだ」
「そうか、よかったぜ」
「なあ、例の【魔眼の王子】ってどんな人なんだ? すっげえ怖いってのだけは知ってんだけど」
「俺、長兄が宮廷魔術師なんだけどさ、師団の首脳部すらも、あの王子のことだけは恐れて息を潜めてるって聞くぜ。いや俺も見たことねーけど」
「今何歳くらいだ? 三十かそこらだろ? 普通なら魔術師年齢から言ったら三十なんかまだ若造の部類だぜ。それが【知恵の塔】の長老だって、あの王子にゃ頭が上がらんらしい」
「竜を魔力で殺せるって聞いたぞ」
「嘘だろ! 竜は【精霊の亜種】だから魔力耐性ものすげぇんだぞ!」
「眼を合わせただけで人を殺せるってな」
「実際どうなんだ? 師弟関係結んでるのなんかお前だけだしさ……やっぱり怖いのか。それとも弟子のお前には、人並みに優しかったりするものなのか?」
それを聞いた時、突然ミルグレンを見るリュティスの隠れた双眸を思い出していた。
リュティスに優しさが全く無いかと言えば、それは嘘になる。
だがそれを享受出来る人間はごく僅かに限られているのだ。
「…………とても厳しい人だよ」
メリクはそれだけをぽつりと言った。
青年達の間にやけにずんと重く、その言葉が響き伝わる。
「僕もあの方の本質に触れたことは一度もないから」
「そう……か。何か色々お前も大変なんだなぁ……」
「城に行ければいいってもんでもないんだな」
「そりゃそうだよな。単純に堅苦しいだけだろ? 俺なんか気楽な寮生活だけどさ」
「バカ! 気楽じゃねえよ。総学のテスト一つでも落としたら即刻退去の処分になるんだぞ。いつでも首に縄を一本括りつけられていることを忘れるな。明日をも知れぬ身なんだ俺達は」
「何をいいように言ってんだお前は遊び歩いてるくせに」
「うるせーな!」
「いやでもそんな堅苦しい奴じゃなくてホッとしたぜ。俺らいつも学院でたむろしてるからな。何かあったらいつでも来ればいいさ。王宮じゃおちおち愚痴も言ってられないだろ?」
「元気出せよな。ほら、この菓子でも食えよ」
「あ、ありがとう。嬉しいです」
なんだか気を遣われてしまったとメリクはイズレンの方を見たが、彼は友人達に構われているメリクの方を見て笑っていた。友人達がメリクのことを気に入ってくれて彼も嬉しいらしかった。
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