プロローグ④/緑の幻影

※このエピソードは番外編「時を超えたプレゼント/アロウの宝物」や未公開の本編エピソードを踏まえたお話となっています。

雰囲気で読めると思いますが、抽象的な内容となりますことをご承知おきください。




「『出る』というほどではないのですが…」

そういって担当者はリビングにあたる応接間を横切り、庭に面した硝子扉を開け放つ。

タイル張りのテラスがあり、その先は樹木の生い茂る庭園となっていた。

外気に満ちる濃い緑のにおいが鼻先をくすぐる。

「満月の晩には庭園の奥で不思議なことが起こると言われています。…ご案内いたします」

庭に降り、担当者の先導で3人は樹々の間を通る小径をたどる。

足元では花壇に雑草が生い茂り、あちこちで植木が伸び放題になっている。

「わあ…『ミリリアの秘密の庭』みたい!」

荒れ放題の庭に、フィリーが歓声を上げる。

「なんだそれ?」

「ええー知らないの!?…ってアロウは知らないか。子供向けの本だし。」

アロウは現代の文化に疎かった。

「…不勉強ですまんな。内容を教えてくれるか?」

頭をかきつつ困った顔をするアロウに、フィリーは内容をかいつまんで説明する。

忘れられた古い洋館に迷い込んだ少女が妖精に出会い、力を合わせて庭を再生していく物語。

「初等学校の図書室にはだいたい置いてある名作だよ!ひっそりしたお庭を見ると、不思議なことに出会えないかなーって想像しちゃう!」

はしゃぐフィリーにリルは目を細めてほほ笑む。

「実際この庭は他の場所より魔力が満ちてるよ。妖精くらい、出るかもね?」

「本当!?」

「妖精ならまあ…大丈夫…なのか?」

アロウが少し不安そうにつぶやいた。

先導していた担当者が足を緩める。

「着きましたよ。あちらです。」

樹々の間を抜けると、そこは草花の生い茂る自然風の庭園となっていた。

曲がりくねった小川が流れ、ところどころに橋がかけられている。

その水源は、奥まったところにある泉のようだった。



ゆらゆらと揺れる水面が月明かりを反射している。

ほぼ円形のその泉の周囲を白い大理石で作られた円柱が等間隔に囲み、ドーム状の屋根を支えている。

ドーム屋根の中央は骨組みだけになっており、空に浮かぶ月が見えていた。

小さな泉は、庭園の装飾建築物に包まれるようにひっそりと存在していた。

「この泉に満月が映る夜、あやしげな人影を見ただとか、コインを投げ入れると願いが叶うとか、いろいろ言われていますが…確かなことは何もありません。」

不動産屋の担当者が書類を見ながら説明する。

「ただ、噂ばかりが先行してしまい、借り手も、常駐管理する者もいなくなっておりまして……」

リルが質問を担当者に投げかける。

「管理者がいなくても入居できるの?」

「入居されるということでしたら、管理人についてもいま一度募集をかけます。」

具体的な入居の話を続けているリルと担当者を置いて、フィリーは泉を覗き込む。

水は澄んでいて、夜の暗さを宿しているものの特別に不気味ということもない。

その時、ふわりと甘い花の香りが鼻先をかすめた。

夏の夜に漂う香りの源を探してフィリーはあたりを見回す。

じゃり、と背後で小石を踏みしめる音がした。

「……アロウ?」

振り返るとアロウが泉のすぐ外、庭との境界で立ちつくしていた。

その視線は、フィリーを通り越して泉の上に注がれている。

彼の胸元で、ペンダントがふわりと揺れていた。

フィリーはそのペンダントを知っている。

ロケットになっていて、中には小さな肖像画が納められているのだ。

いつもシャツの内側に大切にしまわれているペンダントが、風もないのにふわりと浮き上がった。

アロウの視線を追って、泉の上に視線を戻す。

しかしフィリーの目にはただ暗い泉の上に月が映るだけ。

「………レラ」

背後で、かすかにアロウが誰かの名前をつぶやくのが聞こえた気がした。

その名前を、フィリーは知っている。

アロウの目は、いつも遠く過ぎ去ったものに向けられている。

古い書籍の文字を追う時、古代遺跡の壁画を眺めるとき、そしてペンダントの肖像画を見つめるとき。

アロウはいつもフィリーには手の届かない遠くを見つめる目をしている。

そして、同時にどこかあきらめたような目をするのだ。

フィリーは首にかけていた魔導式ゴーグルをぐっとつかむ。

見えないものを見るための道具。

これを使えば、アロウと同じものを見ることはできる。

でも今は、これを使う時ではなくて…

「……ここにする」

自分で思ったより強い声が出た。

「えっ?」

リルと話していた担当者が振り返る。

「ここに、決めます!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る