フリクソス

つ、とケトルから細く落とした湯は、柔らかな午後の光を含んだ毛糸のようだった。まるみを帯びたコーヒーの匂いが、湯気を連れてふわっとたちのぼる。

粉が膨らむふつふつとした呼吸と生真面目な時計の音だけが、古い台所に転がっていく。


だいたい三十秒。くらい。


そういうことを厳密にしたがるやつだった。この淹れ方をしているおれをみたら、多分不機嫌になるんだろう。


いいんだよこれは、おれとおまえのだから。

誰かに出すやつじゃないんだから。


誰もいない店内を見回す。

あの話で残ったのは兄だったのに。

手に持ったカップに描かれた羽の生えたひつじが、一瞬だけ反射して目を灼いた。


喫茶 きんひつじ。

明日から、また店を開ける。

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