第4話 入籍

 私たちを乗せた車は、今度は街に向かっているようだった。


 スマホを取り出し、現在位置を調べてみる――静岡県東北部、か。


 逃げようと思えば逃げられない距離じゃない。


 だけど逃げたら星降ほしふり様が封印から出て、天変地異が起こるっていうし……。


 こんな場所で天変地異とか、富士山が噴火しちゃうんじゃないかな。ヤバいんじゃないの?


 バッテリーが切れを知らせる画面が出て、スマホの画面が消えた。


「――あーあ、スマホの電池が終わっちゃった」


 私の声に応えるように、車がゆっくりと停止した。


「……貸してみろ」


 運転席から伸びてくるさとるさんの手に、私はおずおずとスマホを渡す。


 さとるさんは充電ケーブルをスマホに差し込み、私にスマホを返してきた。


「しばらく放っておけば、また使えるようになる」


 そう言って車を発進させ、また街に向かっていく。


 ……わざわざ、車を止めてまで充電してくれたの?


「ねぇさとるさん、これからどこに行くんですか?」


「役所だ。入籍届を出しに行く」


 やっぱりか。逃れられないか。


「届け出を出さないってのは――」


「お前が不便な思いをするだけだが、そうしたいならそれでもいい。

 星降ほしふり様と契約した以上、俺たちが夫婦なのは変えられん」


 私はがっくりと肩を落とした。


 ……なーんであの時、勢いで契約しちゃったかなぁ。私は。


 でも契約に応じないと、手を放してくれなさそうだったし。


 『柏木かしわぎ聡子さとこ」は、もう今日でお別れか。


 今日から『静珠しずたま聡子さとこ』になる――のかなぁ?!


 実感なんて、湧くわけがない。


「ねぇ、静珠しずたまってなんなの? どういう家なんですか?」


「元は神職ということしか伝わっていない。

 今は地元のグループ企業を束ねる、一族の宗家だ。

 だいたいの店で『静珠しずたま本家』と言えば、融通してもらえる」


 なんだそれ、漫画みたいだぞ。


「どんだけ大きい家なんですか……」


「分家が多いからな。それぞれが企業を経営している。

 クソ爺がグループ企業の会長で、親父が社長だ」


 お金持ち過ぎない?! 大企業みたいな規模になってない?!


 私はため息をついて告げる。


「……実感がわかない」


 運転席からフッと笑みがこぼれて来た。


「そのうち慣れる」


 ……そうやって、不意に笑うのは反則じゃない?


 不思議な居心地の良さを感じながら、私は運転するさとるさんを見守っていた。





****


 車が役所の近くの駐車場に止まる。


 私が車を降りると、さとるさんが車をロックして告げる。


「付いてこい、こっちだ」


 いや、役所の建物は見えてるし。


 なんだかいちいち、私に言葉をかけてくる。


 短いけど、気にかけてくれてるのかな?


 少し足早に歩いて、さとるさんと並ぶ。


 私の目線が肩に当たる。さとるさんの身長は、百七十後半かな。


 さとるさんの顔を見上げて歩いていたら、急に私の体を腕で通せんぼしてきた。


「――何々?! なんなの?!」


「……お前、自動ドアに体当たりする気か」


 あ、もう役所についてたのか。


 私は顔を火照らせながら、俯き気味に役所に入って行くさとるさんの背中を追った。





****


 窓口で書類を受け取り、記入台でさとるさんが必要事項を埋めていく。


 最後に私に入籍届とペンを渡して来て、さとるさんが告げる。


「覚悟が決まったら名前を書け。『静珠しずたま聡子さとこ』とな」


 記入欄の隣には、『静珠しずたまさとる』と書いてある。


 ……これを書いたら、もう『柏木かしわぎ聡子さとこ』とはお別れだ。


 私は深呼吸をしてから、空欄に名前をゆっくりと記していく。


 慣れない苗字に戸惑いながら、横にあるさとるさんの名前を参考に最後まで書ききった。


 全部終わってからペンと入籍届をさとるさんに手渡す。


「はい、後は好きにして」


「まだだぞ。次は身分証明書だ。外に写真機がある」


 婚姻届けを胸ポケットにしまったさとるさんが、外に向かって歩き出した。


 ――それなら、先に撮影してから中に入っても良かったんじゃない?!


 いまいち何を考えてるのか、分からない人だなぁ。


 私はさとるさんの後を追って、外にある写真機に向かった。





****


 入籍届を出してもらい、身分証明書の再発行手続きもしてもらった。


 カードの受け取りは後日になるらしい。


 役所から駐車場に戻った私に、さとるさんが告げる。


「そろそろ店が開いてる時間だ。服を買いに行く」


「あの、できればスマホの充電ケーブルを先に――」


「古いスマホはすぐに使えなくなる。古い契約が止まるからな。

 先に新しいスマホを買うか?」


「マジか」


 思わず素が漏れた。


 さとるさんがクスリと笑みをこぼして私に答える。


「マジだ――じゃあ先にスマホを買おう」


 車に乗り込むさとるさんを皆がら、私はポツリと告げる。


「だから、そうやって笑うのはズルいってば」


 私は小さく息をつくと、後部座席に乗り込んだ。





****


 新機種のスマホを購入し、今度は車で別の店に移動する。


 車が停止したのは、量販店じゃなくてブティックの前だった。


「……なんでこんな店に入るんですか?」


静珠しずたま本家の人間が、量販店の服なんて許しては貰えんよ」


「なにそれ……じゃあさとるさんのスーツも市販品じゃないんですか?」


 さとるさんが車から降りながら告げる。


「オーダーメイドだ。大した値段じゃない」


 いや~、そういう『僕は住む世界が違います』アピールされてもね?!


 私はなんだか疲れて、ため息をつきながら車から降りた。





****


 さとるさんに連れられて、恐る恐るブティックに足を踏み入れる。


 静かな店内は、お客さんの姿が見当たらない。


 マネキンやトルソーに洒落た服が飾り付けてあって、雰囲気が量販店とまるで違う。


 そもそも、お店の中にパステルカラーがない! どういうこと?!


 シックな色合いばかりの店内で、店の奥からスーツ姿の女性が現れた。


「あら、静珠しずたま本家の若旦那じゃない。今日はどうされたんですか?」


 さとるさんがぶっきらぼうに答える。


「若旦那はやめろ――妻に服を揃えたい。適当に見繕ってくれ」


 店員さんが私を見て目を見開いた。


「……奥様、ですか」


「そうだ。普段着を十着程度で充分だろう」


 そんなに買うの?! ここ、高そうだけど!


 戸惑う私に、店員さんが営業スマイルで近寄ってくる。


「では静珠しずたま様、あちらへどうぞ」


「はぁ……よろしくお願いします」


 女子高生が制服で現れて『妻です』と言われても営業できる店員――できるぞ?!


 私は店員さんに連れられて、奥にある若い子向けの服を見ていった。





****


 大量の紙袋をカウンターに置いて、さとるさんがクレジットカードで会計を済ませる。


「また来る。その時は頼む」


 店員さんがニコニコと微笑んで頷いた。


「はい、どうぞごひいきに」


 ……こんだけ一度に購入してたら、そりゃあ上機嫌になるか。


 さとるさんが紙袋を全て抱えて歩き出す。


 私は慌ててさとるさんに声をかける。


「少しは持ちますよ!」


「車は店の前だ。気にするな」


 相手にしてもらえない……気を使ってるのかもしれないけど、これはこれでモヤモヤする。


 私たちは車に荷物を詰め込むと、次の店に向かって行った。





****


 部屋に戻り、さとるさんが紙袋をリビングに置いた。


「後は自分で運べ」


 私は唇を尖らせて答える。


「言われなくてもそうします!」


 下着類まで全部入ってるんだから、そういうのは私に運ばせてほしかった……。


 さとるさんは仕事部屋に向かって歩き出す。


 ふと気が付いて、その背中に声をかける。


さとるさんは着替えないんですか!」


「着替えるに決まってるだろう。当たり前のことを聞くな」


 ……私服は何を着るのかな? ちょっと楽しみだ。


 私は紙袋を自分の個室にせっせと運び込みながら、今日の部屋着をどれにするか悩み始めた。

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