鎮魂の巫女

みつまめ つぼみ

第1話 日常の終わり

 LHRロング・ホーム・ルームが終わる同時に、私は鞄を手に取り椅子から立ち上がった。


 走り出す私に、クラスメイトが声をかけてくる。


柏木かしわぎさん、良かったら一緒にカラオケ――」


「ごめん! バイトで急いでるから! また今度誘って!」


 私は笑顔で断りを告げ、そのまま教室を飛び出した。


 廊下を駆け抜け、階段を一段抜かしで降りていく。


 跳ね回るショートボブの髪が、踊るように視界を遮った。


 ――そろそろ髪を切りたいな。


 お母さんが生きてれば、カットしてくれたのかな。


 脳裏に、遠い記憶にある笑顔がよぎる。


 胸の痛みを振り払うように頭を振って、一目散で下駄箱を目指した。





****


 靴を履き替え、昇降口を飛び出す。


 そのまま正門を出て、大通りをバイト先に向かって駆けて行く。


 息を切らしながら走っている私の前で、車道に止まる車から一人の男性が姿を見せた。


 私の進路を塞ぐように立ったその男性の前で、思わず私の足も止まる。


「……柏木かしわぎ聡子さとこさん、ですね?」


 息を整えながら、小さく頷いた。


 男性が名刺を取り出して私に手渡す。


「私、弁護士の山川と申します。

 貴女のお父さん――柏木かしわぎ浩一郎こういちろうさんの遺産処理を担当しています。

 少しお話をよろしいでしょうか」


 ……お父さんの?


「構いませんが、手短にお願いします。バイトの時間が迫ってるので」


 山川さんが頷いて答える。


「実は浩一郎こういちろうさんの父親、つまり貴女のお爺さんから、『貴女を引き取りたい』と申し出がありました。

 十八歳とはいえ、まだ高校生の聡子さとこさんに『これからの生活は無理ではないか』と」


 私はむっとしながら山川さんを睨み付けた。


「そんなこと、やってみなければ分からないじゃないですか」


 山川さんは微笑みながら私に尋ねる。


「本当ですか? 電気やガス、水道の契約はどうするんですか?

 住居の契約も、今は大家の温情で見逃されているご様子。

 浩一郎こういちろうさんの口座も凍結され、満足に生活費も出せていないのでは?」


「――それは!」


 細かいことなんて、私にはよくわからない。


 でも、今はまだ家で暮らせてる。


 バイトをしていけば、そのお金で生きていくことはできるはずだ。


 車の中から、別のお爺さんが姿を見せた。


「――聡子さとこ、強情を張るものじゃない。

 現実問題として、お前が一人で生きていくのは無理があるだろう」


 私は訝しみながらお爺さんを睨み付けた。


「……貴方は誰ですか?」


 お爺さんが微笑みながら答える。


「私は静珠しずたま源十郎げんじゅうろう浩一郎こういちろうの父親――つまり、お前の祖父だ。

 お前の家は、もう引き払っておいた。

 賃貸契約も解除したから、帰っても何も残っていないよ」


「――お父さんの骨壺は、どうしたんですか?!」


 お爺さんが小さく息をついて答える。


「地元に持ち帰ったよ。明日には本家の墓に入れる。

 聡子さとこも強情を張らず、本家においで。

 行き倒れるよりはマシだろう?」


 私はカッとなって声を荒げる。


「余計なお世話です! なんなら生活保護でもなんでも、生きていく道はありますから!

 それより、お父さんの骨壺を返してください!」


 弁護士の山川さんがお爺さんに振り返る。


 お爺さんがため息をついてから、私に告げる。


「それじゃあ静珠しずたまの本家まで取りにおいで。

 儀式を済ませたら、後はお前の好きにするがいい。

 ――山川さん、後のことは頼んだよ」


 山川さんがお爺さんに頷いた。


 車に乗り込むお爺さんを見つめる私に、山川さんが告げる。


「もう帰るところはありません。生活保護を申請するには、住居が必要です。

 今はひとまず、静珠しずたまさんのところに身を寄せるべきですよ」


 ――勝手なことを?!


 山川さんが車のドアを開けて私に振り向く。


 ……このままバイトに行っても、帰る家はない、か。


 私は大きなため息をつきながら、その車に乗り込んだ。





****


 車の中は、小さな小部屋のようになっていた。


 ソファに座るお爺さんが、缶ジュースを取り出して中央のテーブルに置いた。


「ここから一時間以上かかる。くつろいで過ごすといい」


「くつろげるわけがないでしょう?!

 勝手に家を引き払って、学校とかどうしてくれるんですか!」


「弁護士が全て手続きをしてくれる。

 お前は静珠しずたまの地で、新しい学校に通ってもいい。

 それが嫌なら、浩一郎こういちろうの骨壺を抱えて役所にでも駆け込みなさい」


 自分勝手なことばかり言って!


 私は鞄の取っ手を握り締めながら歯を噛み締めた。


 私が黙って俯いていると、お爺さんが私に告げる。


「儀式のことも、今のうちに話しておくべきだろうね」


 儀式? さっき少し言ってた話?


 黙り込んでいる私に、お爺さんが告げる。


静珠しずたま本家の娘は、代々巫女の役目を負う。

 古い時代より受け継がれてきた、神を祀る役割だ」


「……それが私と、何の関係があるんですか」


浩一郎こういちろうは私の息子、つまり浩一郎こういちろうの娘である聡子さとこも、静珠しずたま本家の娘だ。

 お前には選定の儀式を受ける義務がある」


 私は顔を上げてお爺さんを睨み付けた。


「そんな義務とか、私には関係ありません!」


 お爺さんが真顔で私に答える。


「該当者がいない場合は分家から巫女が選ばれるが、その場合は若くして死ぬことになる。

 本家の娘だけが、神事の負荷を軽減させることができるんだ。

 お前が断れば、分家の誰かが巫女となり、若くして死ぬ。それでも構わないのか」


 私は眉をひそめてお爺さんを睨み付けた。


「なにそれ……漫画か小説の読みすぎじゃない?

 そんな荒唐無稽な話、信じろって言うの?!」


 お爺さんが背もたれに背中を預けながら答える。


「ともかく、選定の儀は受けてもらう。

 その上で選ばれなければ、聡子さとこは好きな人生を生きればいい。

 新しい住居ぐらいは、私が手配しよう」


 そこまでして、儀式とかいうのを受けろって言うの?!


「……なにが目的なんですか」


「言っただろう? お前が次代の巫女なら、それを受け継いでもらいたい。

 これ以上、無駄に親族の命を失いたくはないからな」


 ……『これ以上』?


「どういうことですか、今の巫女は、誰がやってるんですか」


「先月、息を引き取ったよ。まだ四十代だったんだがな。

 分家の生まれだから、負荷に耐えきれなかったんだろう」


 私は唖然としながら答える。


「なに、それ……。

 じゃあ、私が巫女にならなければ、どうなるんですか」


聡子さとこと同年代の女子が何人か、分家に居る。

 彼女たちが代わりに、巫女の役割を負うことになるだろう。

 あの年齢で巫女になれば、四十を待たずに死ぬかもしれん」


 ――それ、私に選べってこと?! 選べるわけ、ないじゃない!


 私は怒りを吐き出すように大きなため息をついた。


「……儀式って奴を受けて、それで私の役目は終わるの?」


「選ばれなければ、それで解放してやろう。

 だが選ばれれば、お前には巫女を襲名してもらう」


 私は深呼吸をしてから、缶ジュースのプルタブを開けて一気に飲み干した。


「――いいわよ、儀式ぐらいなら受けてあげる。

 でも、それで私の義務は終わり! それでいいわね!」


 お爺さんがゆっくりと頷いた。


「『星降ほしふり様』が納得すれば、それで構わんよ」


 私はきょとんとしながら尋ねる。


「なにその……星降ほしふり様って。誰なのよ」


静珠しずたま本家の守り神だよ。巫女が祀る神格でもある。

 会えば分かるし、会わねば分からんよ」


 意味の分からないことばかり。


 ともかく、私の生活は破壊されてしまった。


 ……現地の役所に駆けこんで、そこからどうしようかな。


 私は、これから先の自分の人生をどうするか、迷いながら計画を立てていった。





****


 車が日本家屋の前で止まり、お爺さんが告げる。


「降りなさい。星降ほしふり様に会わせよう」


 ドアが自動で開き、私は仕方なく鞄を手に、車から降りていく。


 ……大きなお屋敷。お金持ちなのかな。


 玄関の前では、一人の青年がスーツ姿で腕を組んで立っていた。


 その青年が不機嫌そうに舌打ちをした。


「本当に連れて来たのか、クソ爺」


 私の背後で、お爺さんが答える。


「見ての通り、十八歳になりたての女子高生だ。

 お前も若い嫁ができて嬉しかろう?」


 ――嫁?!


 慌ててお爺さんに振り返って尋ねる。


「嫁って、なんのことですか?!」


 お爺さんがニヤリと微笑んで答える。


聡子さとこ、紹介しよう。お前の夫になるさとるだ。

 二十五歳だが、このぐらいなら許容範囲内だろう?」


「そうじゃなくて! なんで私が結婚しなくちゃいけないんですか!」


「それが星降ほしふり様のお言葉だからな。

 選定の儀式が無事に終われば、お前たちは晴れて夫婦だ」


 私が茫然とその言葉を聞いていると、玄関から苛立ったような青年――さとるさんの声が聞こえる。


「知ったことか! 勝手に決めるな、クソ爺!」


 その声に驚いて振り返ると、さとるさんは私から目を逸らして告げる。


「あんた、儀式の結果がどうなろうと逃げろ。

 後のことは静珠しずたまの人間が後始末をする。あんたには関係がない」


 私はおずおずとさとるさんに告げる。


「でも、お父さんの骨壺を取り返さないと……」


 さとるさんが舌打ちをして告げる。


「そのくらい、俺があんたに届けてやる!

 いいか、今からでもいい! 逃げ出せ!」


 なんだか、怖い人だな……。


 お爺さんが私の前に出てきて告げる。


「いい加減にしないか、さとる

 ――こっちだよ聡子さとこ。ついておいで」


 私はおずおずと足を踏み出しながら尋ねる。


「……本当に、お父さんの骨壺を返してくれるんですよね?」


「儀式が終わればな」


 私はさとるさんの横を通り過ぎる――悟さんが舌打ちするのが聞こえた。


 ……私だって、不本意なのに。


 そのまま玄関で靴を脱ぎ、お爺さんの背中を追って板張りの廊下を歩いていった。





****


 お爺さんは渡り廊下を抜け、その先にある離れに向かっていく。


 いつの間にか背後からは、さとるさんも付いてきてるみたいだ。


 私はお爺さんに尋ねる。


「ここに何があるんですか?」


「『幽世かくりよの門』だよ。星降ほしふり様がそこにいらっしゃる」


 木造の離れは、年季が入ってくすんだ色をしている。


 もう日も落ちて、外は真っ暗だ。


 お爺さんが離れの入り口で電気をつけると、中が照らし出されて奥に続く廊下が見えた。


 ……この先で、何が待ってるんだろう。


 お爺さんの背中を追いかけ、離れの廊下を歩いていく。


 廊下を抜けると、岩づくりの大きな部屋にでた。剥き出しの岩でできた、武骨なへやだ。


 その奥、正面の岩には大きな穴が開いていた。


 まるで洞窟のような穴の奥には、光が届いてないように真っ暗だ。


 お爺さんが穴に向かって告げる。


星降ほしふり様、聡子さとこを連れてきました」


 洞窟の奥から、小さな子供のような声が返ってくる。


『ご苦労様、それじゃあ儀式を始めようか』


 男の子のような、女の子のような。子供の声であることだけは分かる。


 ――突然、穴の中央から子供の手が突き出された。


 その手が私に向けられ、招くように動く。


『こっちへおいで、聡子さとこ。選定の儀式をしよう』


「なにこれ?! なんで穴から腕が生えてるの?!」


 慌てる私に、お爺さんが振り返って答える。


「あれは星降ほしふり様の手だよ。あれを握っておいで」


 ――『あんなもの』を握ってこいっていうの?!


 戸惑う私に、背後からさとるさんが告げる。


「だから言っただろう。早く逃げろと。今からでも遅くないぞ」


 私は固い唾を飲み込んで、洞窟から生えてる腕を見つめた。


 ここで逃げたら、私が同年代の女の子を見殺ししたことになる。


 少なくとも儀式を終えて『違う』と言われれば、それはもう私の責任じゃない。


 ゆっくりと深呼吸をしてから、恐る恐る腕に近づいていく。


 近づいても、洞窟の奥は見えない。


 入口から切り取ったかのように、綺麗に闇で閉ざされていた。


 腕の前まで来ると、その腕が私に向けて握手を求めて来た。


 ……握れば終わり。握れば終わり。


 私はもう一度深呼吸をしてから、その手を握る――次の瞬間、私の体を淡い光が包み込んだ。


「――なにこれ?! 何が起こってるの?!」


 戸惑う私に、洞窟から声が聞こえる。


聡子さとこ、君が次の“鎮魂しずみたまの巫女”だ。

 夫はそこのさとるだけど、文句はないよね?』


「はぁ?! 勝手に決めないでよ!

 文句あるに決まってるでしょう?!」


 洞窟からクスクスと笑う子供の声が聞こえる。


『これは命令だよ、聡子さとこ。言う通りにできないなら、私はこの封印を壊してしまうからね』


「命令とか、何様よ?!」


『神様だよ。そっちこそ私を勝手に呼び出して、こんな場所に封印するだなんて。

 それこそ酷いと思わない? 自由もなんにもないんだ。

 だからせめて、“美味しい栄養”を分けてもらわないとね。

 聡子さとこさとるの子供なら、強い子供が生まれるよ。保証してあげる』


 子供が生まれる?! 何を言ってるの?!


 混乱する私の背後から、さとるさんの声が聞こえる。


「そんな化け物の言うことなど聞かなくていい!

 とっとと手を離して戻ってこい!」


「そんなこと言われても、放してくれないんだけど?!」


 洞窟の奥から、また子供の声が聞こえる。


『君たちが結婚しないなら、私の封印が解けるよ?

 もう他の分家の子たちじゃ、私を抑えることはできないんだ。

 私が外に出たら、日本中が大変なことになるけど……それでもいいかな?』


 私は闇の奥を睨みながら尋ねる。


「……なによ、大変なことって」


『あちこちの火山が噴火して、嵐が日本中を襲うね。

 地震もたくさん起きるし、日本が沈んじゃうかも?』


「――迷惑甚だしい神様ね?! なんでそんなことをするの?!」


『私だって、やりたくてやってるんじゃないんだ。

 ただ、私は“居るだけで天変地異を起こしちゃう神”ってだけ。

 文句があるなら、私を呼び出した静珠しずたまの先祖に言ったら?』


 ……なんだか分かんないけど、頷かないと手を放してくれそうにないな。


「分かった! 分かったから手を放して!」


 私の体がさらに大きく光り、その光が全て闇の中に吸い込まれていった。


『……ご馳走様。今ので“契約終了”だ。

 君が新しい“鎮魂しずみたまの巫女”。そしてさとるが君の夫だ。

 契約を破ると封印が壊れるから、気を付けてね』


 やっと私の手が解放され、闇の中に子供の腕が消えていった。


 静まり返った岩づくりの部屋で、私は茫然と洞窟を見つめていた。


 お爺さんの声が聞こえる。


聡子さとこ、こっちへ戻っておいで」


 振り返ると、微笑むお爺さんと、機嫌の悪そうなさとるさんが私を見ていた。


 さとるさんが舌打ちをして告げる。


「あんたが契約した以上は、結婚には従う。

 だが俺は、子供を相手にするつもりはない。

 自分の子供を作るつもりもない――そこは理解しておけ」


 戸惑いながらお爺さんに近寄ると、私に声をかけてくる。


「よくやってくれた、聡子さとこ

 お前が当代の『鎮魂しずみたまの巫女』。お前が居てくれれば、しばらくは安泰だ。

 元気な女の子を生んで、次の巫女を育てておくれ」


「――私の子供も、巫女になるって言うの?!」


 お爺さんが頷いて答える。


「当然だろう? 静珠しずたま本家の娘は、全てその資格がある。

 その中で星降ほしふり様が選んだ娘が、次の巫女だ」


 訳が分からない……どういう家なの? ここは本当に、現代の日本なの?


 さとるさんは私を見ると、背中を向けて外に向かっていった。


 お爺さんが私に告げる。


「さぁ、お前の部屋に案内しよう。付いておいで」


 歩き出すお爺さんの背中を見て、私はため息をついた。


 ――今日は本当に、何が起こってるの?


 少し遠くなりかけたお爺さんの背中を、私は慌てて追いかけた。

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