アガナキサマ

偽尾

エピローグ

 この記録は、ある種の“祈り”に似ている。


 わたしが目にしたもの、耳にしたもの、そして体験したことの一切を、この文章に書き留めておく。

何のために、ではない。誰かに届く保証もない。

ただ、それでも書かねばならないという義務感に駆られている。

この記録が、せめて何かの“警告”として残ることを願って。


 名を名乗るつもりはないが、仮にわたしのことは「A」とだけ記しておく。

 ここに記す一連の出来事は、個別に見れば単なる都市伝説の域を出ない。

しかし、全ての事件に共通する“ある言葉”が存在することに気づいたとき、わたしは恐怖を覚えた。

それは単語でも、記号でもない。

人が名を与えた“なにか”であり、“名づけてはならなかった何か”である。


──その名を「アガナキサマ」と、便宜上呼んでおく。


 わたしがこれから記すのは、「アガナキサマ」に関する七つの出来事である。

これらはすべて、日本のあちこちで実際に語られていた怪談や失踪事件、あるいは信仰の変遷などと関係している。

いずれも“伝え聞いた話”であり、“記録には残されていない”。

だが、これらの出来事を掘り下げるほどに、わたしの中でひとつの確信が芽生えた。


 この世には、名も、形も、定義もないまま、

ただ“信じられてしまった”という理由だけで、実体を持ってしまう存在があるのではないか──と。


 それらは神とも悪魔とも異なる。

人の想念の“残滓”のようなものかもしれない。

けれど、それを軽視してはならない。

なぜならその名が囁かれた場所には、必ずと言っていいほど“誰かが消える”からだ。


 各章で語られる話は、わたしが全国を巡り集めた“語り手たちの記録”である。

 彼らは最初こそ疑い、迷い、否定していた。だが、最後には全員が、“あの存在の気配”に触れていた。


 あなたは、どう思うだろうか。

彼らの語る言葉の中に、何を見いだすだろうか。


 では、最初の記録を語るとしよう。

それは山間の小さな集落で起きた、渇きと祈りの記録である。

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