デイリー・サカザキ
@maipotapota
さくさくチョコクロ
このデイリー・サカザキがなくなると困る。
24:30の定時からダラダラと作業を続け、終わらせるのを諦めて帰途につく26:00、金曜日と土曜日は特別が待っている。
通勤路から少し外れたデイリー・サカザキで、この時間にやきたてパンの陳列が佳境を迎えると知ったのは3年前のことだ。仕事終わりで糖が切れた頭が幻を見せる。住宅街から天ににょきりと突き出た魅力的な看板灯へ、蛾のようにフラフラと吸い寄せられ、逸る気持ちを抑えながら、車通りのほぼ無い堤防道路を安全運転で飛ばした。名家のショーファーも舌を巻く滑らかさでその敷地に乗り入れ、車を塀に向かって前向き駐車すると、私は足早に押し戸をあけて奥の棚に直行した。
サクサクのチョコクロワッサンはトングで掴むと見た目以上にずっしりとしている。まだチョコがあたたかく固まっていないのが、重心の感じでわかるようになってきた。
それからあした会社で食べる用のパン、ハムタマゴサンドと迷ってからレーズンブールを袋にいれ、レジでホットコーヒーといっしょに精算する。実家の頃から通って3年になるが、この曜日、この時間のシフトはいつもこの細いおじさんだ。車掌のような独特の節回しでレジをまわし、お釣りもきっちり額の大きい順に並べてカルトンをよこした。
運転席に腰を落ち着ける前にブールをリュックにしまい、コーヒーのカップをハンドルの横に安置。そそくさとシートベルトをまわし、チョコクロワッサンの包みをあけてかぶりついた。
さくさくの皮が何重にも重なって、ゴージャスな食感だ。前歯が空洞にあたり、とろりと温かいチョコレートがしみ出す。ザクザクとじゅわじゅわの組み合わさった咀嚼のひとときは、まさに至福だ。
クロワッサンとホットコーヒーを交互にはこびながら幸せのため息をついていると、敷地にハイビームが差した。塀の向こうの民家でセンサー灯が付き、空いていた私の隣のスペースに、黒いセダンがバックで入ってきて止まった。深夜で塀があるとはいえ、躊躇なく民家に向けてバック駐車をかます無神経さよ。しかしながら夜に生きるものの礼儀として、(かなり相好を崩していただろう私は)できるだけ駐車場の塀をまっすぐ見ているようにした。
視界の端で、背の高いスーツ姿の男がドアをあけて降車するのが見えた。あくまでも視界の端で。男はまず車の側で一服し、すぐに手元でタバコをもみ消して仕舞ってから、デイリー・サカザキへ入っていった。
3分もしないうちに、男は弁当の上にタバコを2箱のせて店から出てきた。
堅気っぽくなくて酒とタバコしかのまないような見た目なのに、このコンビニでいちばんしっかりした大きい弁当じゃないか。さっきはよく見えなかったけど、タバコとか専用のケースとかに入れてそうなのに。似合わね〜。あくまでも目の端である。
男は車のドアを開け、タバコの箱を助手席に放り込んだ。そして弁当を持ったまま、ボンネットに腰掛けた。
そこで弁当を食べ始めた。
コーヒーをすすりながらわたしは噎せた。しかもフォークだし。「お箸付けますか?」て聞かれて「いえ、フォークで」って言ったんかな。街灯のかすかな光で鮭の切り身の輪郭が見える。夜陰でごはんは美味しく感じるのだろうか。ルームライトも点けずにクロワッサンを頬張る自分を棚に上げて、その食べっぷりを見てしまう。スリーピース着てる細身の人の食べ方には見えない。「はぐっ、はぐっ」と効果音を付けたくなる。育ちはいいけどわんぱくの名残がある高校生という感じだ。喫煙後の飯はどうですか、美味いですか、そうですか。
いつの間にか私はクロワッサンを運ぶ手を止めていた。顔は辛うじて向けていなかったが、口は半開きのまま、コーヒーカップを掲げて止まっていた。視界の端で男が身じろぎして、何万分の1秒だけ、ほんの一瞬だけ視線がかち合ったような気がした。私はごまかしのためにコーヒーをがぶ飲みした。そしてまた噎せた。
こぼさないようにコーヒーを置き、存分に咳き込んでいると、コンコン、と窓ガラスが鳴った。
むせて気づかない振りをしていたが、男はしつこくノックする。わたしはもっと噎せる振りをする。鍵はかけてある。どうしよう。エンジンかけてない風で乗り切れるか、とチャージしたばかりの糖を無駄遣いするでたらめの思考が、ガリレオのBGMで脳裏を走る。噎せるのにも限界があって、むせすぎて逆に喉の変なところを使ってしまったらしく、ピリッと小さく裂けるような痛みがはしった。その瞬間私は顔を上げてしまい、本当にすぐそこにいた男と目が合った。男はクルクルと窓のハンドルを回すしぐすさをして見せた。くそ、パワーウィンドウじゃないのがバレていたか。
「......なんでしょう」
私は観念して、窓のシェードがあるぶんだけほんの少し開けた。
「そのパン、おいしい?」
デイリー・サカザキ @maipotapota
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。デイリー・サカザキの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます