episode 6./晴空離別/
「…そろそろリアを起こせ。いつまで寝かす気だ」
「んー、もう3時間は寝てるかな」
「…いいから起こせ。気が緩みすぎなんだよ。こいつも君も」
腕組みをして若干の青筋を立てながら、さっさと目覚めさせろと催促をしてくる。いい加減、自分のテリトリーで好き勝手されるのをやめて欲しいのだろう。
思いをひしひしと感じられる表情と、口調だった。
「リアー、起きて。お目覚めの時間ですよぉ」
だが、こう起こしてしまうと弊害がある。
例えば…
「─────ぁ、エネ…」
こうして目覚めた瞬間、ところ構わず抱擁をねだる、というかしてきてしまう。これが普段のおはようの挨拶なのだが、今は状況が違う。なんせ、隣でニヤつきながら見ている人間がいるのだから。
「あー、リア、今は二人っきりじゃないよ…」
「あ───、あぁ!?」
言われて我に返ったのか、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。
「いや…いいんだ…つ、続けてくれ」
かというヨナは笑いを堪えてとんでもなく震えている。
「ぁああっ!もう!!あーーあぁ!!!」
そしてリアは恥のせいでパニックになっている。
いつも以上に単調で酷い言葉の羅列を見るに、彼女の頭は想像以上に湧き上がっているようだ。
「リア、もー…その癖直そう?」
「イヤ」
即答だった。
「ふ…、くぅ─────、はぁ、く─────!」
声を大にして笑いはしないが、呼吸が出来ず死にかけている。
いっそのこと死んでくれればいいのに。なんてボヤくリアを知ってか知らずかその笑心は留まることを知らぬようだ。
悪気はこれっぽっちも感じない。
ただ、笑いすぎ。
リアが自決しかねないほどにバカ笑いするのは是非ともやめて頂きたかった。
「はあ。笑いすぎて疲れた。ちょっと外の風に当たってくる」
「え、出ないって」
「気が変わったんだ。君らも来るならおいで」
ころころと気の変わる女だ。
今のさっきで外に出る、などと言っている。
「まあいいけど」
「よし、じゃあ行こう」
ここ着くまでに掛かった長い通路を戻ると、来た時より短く感じる。
出口に近づくと、ヨナは深い呼吸をして、ゆっくりと重い扉を開いた。そこから差し込むのは燦燦と輝く日の光。
あまりの明るさに目が眩んだ。
完全に開いた瞬間に吹き抜ける風と荒廃した街の煤のような臭い。
ほんの少し混じる草花の匂いがちょっぴり嬉しい。
外へ出ると、厭になるほど青々とした雄大な空が広がっていた。すう、と息を吸い込み、笑う。
「はは…、見てるかオキタ。空が、晴れてる」
「オキタ?」
「昔の知り合いさ。最も、浅くは無いけどね」
腕を目一杯広げて何度も深呼吸を繰り返す─────そんなことだけ。
「─────じゃあ、私たち行くね」
研究室に一度戻った後、ヨナにそう伝えた。
「待て待て、次何処に行くか決めてるのか?」
「んー、まだかな」
「じゃあ、次はここに行くといい」
そう言って渡されたのは、限りなく精巧に作られた地図だった。
「リタリス…?」
「ああ。さっき話しに出てたアダム派閥の病院跡地。そこのガレージに私が使ってた外装が置いてある。旅の足に使いな。」
「外装?って言うとなにかの装備?」
「脚につけるんだ。レンドロイゾ配合の特殊装備でな、人にかかる負担をかなり減らしてくれる。勿論リアのもある」
「本当?ありがとう!何だかんだヨナって面倒見いいよね」
「うるさい。行くんだろ?忘れ物をするなよ」
「勿論。アンプルはしっかり持ってる。それと、これは返すよ」
腕に装着していたバングルを外してヨナの目の前に置いた。
「なんで?持っていってくれよ」
「だってこれがあれば私たちが何処にいるか分かるんでしょ?」
「そりゃそうだが…」
「ふふん。ヨナはほっといたら私たちのこと忘れちゃいそうだから、これは私達との繋がり。忘れないように、また会えるように」
「─────そうか…そうか。わかった。あ、まて、じゃあ代わりにこれだけは持っていけ」
取り出したのはかなりコンパクトな物体だった。
「これ一つに生体情報と地図が乗るようになっている。ホログラムにもならないが基礎的な情報は全て見られるし、きっと役に立つはずだ」
「─────…どうしてここまで?」
その問いかけに対して、ヨナは照れくさそうに頭を掻いた。
向き直った瞳は宝石のような光度で力強く輝いている。
何度も見せたあの笑顔で、
「私は、君ら二人を応援しているんだ」
その旅の終着点が如何であれ、楽しくあることを願っている
「まったく…、結局散らかしっぱなしだったな」
二人が去った後、散らばった設計図や飲み終わったコップなどを愚痴を零しながら片付ける。
久しぶりに人と会った。
研究所同士でコンタクトを摂ることは出来ないし、外に出るのはもっと無理で、ずっと孤独でいるものだと思っていた。
そんな中、どこからか拾ってきた鍵で扉を開いてズケズケと入ってくる二人に興味が湧いた。二枚目のドアで悪戯を仕掛けてみたり、最初は自分の出せる最高の冷たい声で声を掛けてみたり。
「エネに、リア。可愛い二人だったなぁ」
子供がいたらこんな感じだったのだろうか。
私と、彼との間に─────。
失戦のことを思い出したのも久しぶりだった。
いや、蓋をしていた記憶を漁り返しただけなのかもしれない。でも、忘れてはいけないものにも蓋をしていた。
そこらに散らばった設計図やガジェットは全て彼との思い出だったのに。
「くそ──。なんか今日は感傷的だ」
片付けを進めていると、腹が不機嫌な音を立てた。
「それなりの時間たってるもんな。お腹すいた」
彼女たちに振舞うために作ったものがまだ余っているのを思い出し、キッチンに向かった。
温めようと思って火をつけた時、二人の反応を一つづつ思い出す。新鮮な反応をする二人が可愛くてたまらなかった。
ふわりと湯気が上がって、香りも一緒に立ち上ってゆく。
「そういえばエネ、リア。言ってなかったがコレは私の得意料理でな。遠い昔によく作ってたんだ─────」
思い出すのはもっと前のこと。
だけれど、想像するのは先のこと。
雲は去って、光る大地に足を置く。
傷んだ赤色と言うけれど、きっとそれは思い出の証。
蒸す煙草が少し染み、去る背中にはふたつの影。
また会えるよと願った君へ、届くようまた火を立てる。
忌まわしいものに蓋をして、いつかの写真を立て掛けよう。
それはきっと、忘れたく無いものだから。
♢
温もりの残らぬ、冷え切った夜の道路の上に響く。
チャペルの様に繰り返し、黒く染まった建物たちが音を拾って彼方へと。
グラスの中に出来た世界は相も変わらず今にも割れて壊れてしまいそうだ。
連日の雨により、割れた管からひた流れる薄汚れた雨水が、地面に浮かぶ黄金の月に話しかける。
それに答えた月は満面の笑顔を見せ、さらに、さらに高く登って地上を照らす。
「〜、〜♪」
ご機嫌そうにハミングを奏でながら歩く月下道中。
少女は不意に聞いてみた。
聞き覚えのあるような、ないような。
「エネ、それなんて歌?」
歌、と言うのはへんだろうか。
曲…もそこまで当てはまると思えない。
鼻歌…まあ、歌か。
「〜、ん?サンタルチアだよ」
その曲、サンタルチアは数えるのも億劫な程に遠い昔の有名なものだった。
夕涼みしよう。
げに美しい波止場にて。
「Venite all’agile barchetta mia,Santa Lucia, Santa Lucia〜」
ついには声に出し始めて歩く。
能天気ぶりは呆れ果てる程に。
「もぉ…」
彼女が億劫、というか怪訝な表情になるのも致し方のないこと請け合いないと思う。
さて、ヨナとの別れから3週間ほど経ったが、未だ目的地に辿りつけていない。
監獄病院リタリス。随分と物騒な名前だが、ヨナ曰く失戦の象徴とされる場所で、そこでの死傷者は万を優に超えたそうだ。
「んー」
隣を歩く猫耳少女、リアが何か難しい顔をして手記の裏をまじまじと覗き込んでいるようだ。
「どうかした?」
顎に手を当て唸るリアに何を見つけたのか問うてみる。
と、意図してない質問が私の顎をぶち抜いた。
「裏、ちゃんと読んだ?」
「へ?」
私に限ってそんなことあるか。
いっつもいっつも読み飛ばし、読み間違いがないように何度も繰り返し確認しながら読んでいるのに、見過ごすところなんて─────?
「あ」
あった。
茶色いボロボロの洋紙の右下に、座標らしきものと地名が書いてあった。
“33°08'31"N 117°11'09"W”
この表記を見る限り、旧世界地図を調べてみた方が良さそうだ。
端末を取り出し、地図を旧世界に変えて座標を入力する。
ヨナのくれた端末は、あれから相当役に立っている。
旧世界と今の地図を変えることもでき、現在地も俯瞰視点からわかるようになっている。
私には到底理解のできない原理で出来ているのだろうから、壊さないようにできるだけ丁寧に扱うようにしなければならない。私は旧世界地図を見る度に思うのだが昔の人々はこんなのでどう生活していたのだろうか。
ほぼ全てが海で隔てられていて、別の大陸に行くには何かしら難しい手段を取らないといけないと思う。
海の上を走る乗り物とか、空を飛ぶ乗り物とか。
そんなのがあったりしたら可能なんだろうけど、昔の人類はそこまで発達していたのだろうか。
まあ、そんなわけないだろう。
私たちの時代でも頑張って函とかだ。
空を飛ぶ乗り物なんてあるはずもない。
そこら
辺で無造作に転がっている鳥を模した鉄の塊は空に憧れた阿呆が見た夢の果てに作ったただの無価値な物体だろうし。
「どこだった?」
「えと、旧世界地図だと…なにこれ、どう読むんだ」
旧世界地図だと言語が統一されてなかったみたいで、ただでさえ読みづらい旧文字なのに、こんなの読めるわけもないだろう。
ただの落書きにしか見えない。
「翻訳、つかえば?」
その手があったか。
あれだけ世話になっているはずなのに、翻訳という素晴らしい機能があることに気づけなかった。
ていうか、なんでリアの方が詳しいんだろう。
「えと、んー、見つからないってさ」
「…新世界地図だと?」
「ちょい待ってね」
新世界地図の方に数値を打ち込むと、リタリスの正確な場所と距離が算出された。
「ここから10万km─────」
「冗談でしょ…?なんで?」
「…ごめん、心して聞いて。─────私たち、逆に進んでたみたい」
「エネぇ…しっかりしてよ」
心底面倒臭がっている表情のリア。
「ごめんごめん。リタリスに着いたら休憩出来るかもしれないし、頑張ろ?」
「曰く付きの建物で休めるかなぁ…」
「何言ってんの。曰くの付いてない建物なんてある方がおかしいじゃない」
「確かに」
気を取り直した二人が踵を返し、歩き出してしばらく。
「きーもちいいねぇ」
晴れた空の下、初めてとも言える月明かりの元で元気よく歩く二人。時々攫う風が少し冷たくて、それでもどこか温もりを感じられずには居られなかった。
「だけど、晴れたぶんさ…」
陰になる部分に蟲がうぞうぞと集まっているのが気持ち悪い。
「あれ、前から思ってたんだけどさ、なんの蟲だと思う?」
赤い芋虫みたいな、手のひらサイズの大群。
成虫らしきものはその場で羽をばたつかせて威嚇している。飛び立つ訳では無いが、白い斑点の着いた赤い外皮が開く度に幼虫のような背中が見えて寒気がする。
「ちょっと、石投げてみようか」
「いいね」
各々、自分の手にあった石を握り込む。
思いっきり振りかぶって、投石機を思わせる力強さで腕を強ばらせ─────、
「せぇ…のぉっ!!!!」
蟲の群れ、そのど真ん中目掛けて豪速球ライナーをぶん投げた。ビル上から人が落ちた時のような大きな音を立てて石は着弾し、
「「うわぁぁぁぁぁ!!!」」
爆散した幼虫の汁が凄い勢いで飛びかかってきた。
「うげぇ」
「きったなぁ」
服に飛びかかった汁は黄色。匂いは…しない。
だが。
「ねぇ。ちょっと待って、リア、見て」
「…?─────!!!!」
なんと、地面まで続く蟲の群れがこちらを目掛けて走って来ていた。成虫のスピードは弾丸もかくやという程。
「無理無理無理無理無理!!!!」
「エネが変なことさせるからぁ!!」
「リアだってノリノリだったでしょ!?」
全力で走っても一定の距離感を保つどころか少しづつ近づいてくる蟲にさらなる寒気が立つ。
足元まで近づいてきた時、成虫の一匹がふくらはぎに飛びついてきた。
「─────」
何やらうぞうぞと動いて何かをしている。
「エネ!エネ!それ早く取った方がいいよ!なにか…気持ち悪いのが出てきてる!!!」
触覚だろうか。黄色のうねうねがすんごい本数蠢いていた。
その1本が足に触れた瞬間。
「いぃぃぃぃぃ」
あまりの気持ち悪さに足をむちゃくちゃに振って剥がそうと試みたが、足に返しがついてるみたいに離れない。
「うわぁぁ!!!エネ、取って、取ってぇ!!!」
蟲嫌いを極めているリアの背中に二、三匹飛びついていた。最早パニック状態となったリアはエネのホルダーにかかっているものをちぎって足元にぶん投げた。
「来るなぁっ!!」
それは地面に落ちると鋭い閃光を放って、爆音を立てて爆ぜた。
石を投げた時より大きく爆散した蟲たちの破片が鈍い音を立てて雨のように降ってくる。
「─────…次見かけても、石、投げないでおこうか」
「ほんと…そうしよ」
足にしがみついた蟲を握りつぶして心に誓った。
2日後。
地図を確認する度に遠くなってるような気がする。
実際に縮んでいるはずなのに、どうしても遠い。
蟲のこともあってか、少し苛立ちが募る。
「シミになってるし」
「白だからね、目立つよね」
乾いたシミを何度も嗅ぐリア。
臭いはしないって言っていた割には凄く気になる様子。
そんな時、月が段々と覆われてゆくのが見えた。
「そんな…また、雲が…」
ああして陰る黒い雲にいい思い出がない。
急いで建物の影に入らなければ、アルカリ性の雨に打たれてただでさえ最悪な空気がもっと悪くなってしまう。
「リア、あそこに行こう」
向かった先には、屋根だけがかろうじてある壁の崩れたあばら家。身を縮こませておけば雨風は凌げる。
段々と風が強くなってきて、雫が地面を打つ音が鳴り出した。
粒は雨へ。雨は豪雨へ。
気づいた頃には絶え間なく吹き荒れる嵐のようになっていた。だが、ひとつだけ気になることに気がつく。
「リア、匂いは?」
「ない。ないよ。前みたいに臭くない。これ、もしかして」
恐る恐る手を出すリア。手はあっという間にびしょ濡れになってしまった。
「痛くない?」
「─────うん。痛くないし、臭くない。水だよ、水」
まさか、本当に─────?
意を決して飛び出してみる。
「冷たっ!冷たいけど、これ本当に─────!」
「そうみたい!」
続いて飛び出してきたリアが腹に抱きついてくる。
「ふふ。きもちーね。まさか本当にただの水だなんて」
「エネ、冷たい」
濡れた服が顔に引っ付くのか、自分からくっついてきて不満そうなリア。
雨はまだまだ降り注ぎそうで、止むには時間がかかるだろう。そう思った二人はジャケットを脱いで、薄手のシャツ一枚でもう一度豪雨の中に飛び出した。
走り回ったり、飛び回ったり。水溜まりを蹴ってみて、飛び込んでみて。たまに空に口を開いたりして水分補給。
丁度いいので匣を展開してまた水を貯めておく。
遊び疲れた二人は未だ雨の中で座り込んでいた。
「エネ、服が透けてる」
「そりゃあね。雨の中にいれば透けるよ。そういうリアだって見えてるけど?」
「…えっち」
人に指摘するくせに、指摘されたら隠すのは卑怯だと思う。
そんな彼女がいじらしくて、少しちょっかいをかけたくなった。
「ほら、おいで」
あぐらをかいて、その中にリアを座らせた。
大人しく従うリアを心いっぱい抱きしめる。
冷たい服の下に、ほんのり暖かな肌の温もり。
なんだか下腹部がきゅんとして、彼女の耳を撫でた。
小さな吐息は雨の音にかき消され、二人の世界が作られる。小さな膨らみに手を当てると、少しリアは身震いした。
どうしてこんな気分になるのかは分からない。
きっと、雨で興奮した頭のせいだろう。
結局私は昔の人間と何ら変わらない。
小さな体に欲情して、その体が欲しくなる。
拒まない彼女が悪いとは言わない。
頭に過ぎる罪悪感は、快楽という麻薬で霧散していった。
斜掛けのアヴリオ @fusinoge
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