めくるめく物語

和本明子

第1話 【なんでも願いが叶う本】

 夏休みのある日の午後。


 外はアスファルトの道路を溶かすような強烈きょうれつな太陽光が降りそそいでいたが、町の図書館としょかんはひっそりと静まり、冷たいエアコンの風が心地よく館内を包んでいた。


 窓から差し込む光が本棚に並ぶ色褪せた背表紙を照らしている。


 館内の一角で小学生の“角野千晴スミノ チハル”が静かに読書に没頭ぼっとうしていたが、ふと前方に目をやり、小さな声で向かい席に座る幼馴染おさななじみに声をかけた。


「レン、ちゃんと夏休みの宿題をやっているの?」


「い~や~」


 “飛本漣ヒモト レン”は机に積み重ねられた数冊の本を横目に、ノートに落書きをするだけで、無気力な様子で答えた。


 レンは短髪に半袖はんそでのTシャツ、にショートパンツ姿で、スポーツ万能な少年らしい風貌をしており、図書館にいるには少々不釣り合いな印象を与えている。


 家が近所同士の幼馴染おさななじみであるレンは、レンの母親の頼みでチハルに連れられて夏休みの宿題を片付けるためにやってきたのだ。

 しかし身体を動かすことが好きなスポーツタイプのレンは、静かな環境や勉強に集中することが苦手で、宿題どころか本に目を通す気になれなかった。


 そんな中、チハルがレンに小声で注意する。


「あんたね‥‥。宿題を終わらせないと、去年みたいに学校が始まったら先生に怒られて、放課後に残されることになるわよ」


「解ってるけどさ、どうも乗り気になれなくて。読む本を決めるのも文章を読むのも疲れるし、ゲームや漫画の読書感想文だったら良いのになぁ‥‥。RPGだって、あれも読み物扱いにしてくれないかな」


 肩をすくめながら答えるレンの態度にチハルは苛立いらだちながらきびしい口調で返す。


「なに言ってるのよ。とりあえず今日はせめて読書感想文用の本を決めて、本を半分ぐらいまで読まないと帰さないからね。レンのおばちゃんにも強く言われているんだし」


 レンは驚いたように「えー!?」と口ごもると、チハルは「静かにしなさい。私の方が『えー』って言いたいわ」と厳しさを隠さなかった。


 そんな時、図書館の奥からひときわ落ち着いた雰囲気ふんいきまとった一人の少女が歩いてくるのが見えた。


 美しい長い髪をなびかせ、誰にも気取らず冷静な佇まいで歩むその少女は、どこか神秘的な印象を与える。


 チハルとレンは瞳を奪われ、無意識のうちに少女の後を追いかけた。


 少女は本棚の間をゆっくりと舐めるように見渡しながら歩き回り、やがてチハルとレンの視線に気付いたのか、二人の元へと近づいてきた。


「ねえ、ちょっといいかな?」


 少女はひかえめな声でたずねた。


「は、はひっ?!」


 あまりにも突然の呼びかけに、チハルはおどろきと戸惑とまどいを隠せない返事をしてしまった。


「見ていたらとか知っていたらで良いんだけど‥‥この図書館で“キラキラ輝いている本”を見たことはないかしら?」


 少女は、どこか切実な表情で尋ねた。


「『キラキラ輝いている本』って?」と、チハルとレンは同時に口にしたが、長年図書館に通ってきたチハルでさえ、そのような本の存在に心当たりはなかった。


「ごめんなさい、ちょっと知らないかな。図書館の職員さんにいてみたら?」


「さっき訊いてみたけど、やっぱり誰も知らなかったわ。ありがとう、それじゃ‥‥」


 少女がその場を立ち去ろうとしたが、“キラキラ輝いている本”に興味を引かれたチハルが呼び止める。


「ねえ、待って。なんでそんな本を探してるの?」


 本好きによる好奇心からの質問だった。


 少し沈黙ちんもくしたのち少女はどこかさびしげに答える。


「笑わないで聞いてほしいんだけど‥‥。実は昔、お母さんから聞いたことがある本で、お母さんが言うには、その“キラキラと輝いている本”は“なんでも願いが叶う本”といわれているの」


 その言葉にチハルとレンは一同に驚きの声をあげてしまう。


「何でも!?」


「何でも願いが叶うって、それ本当なのかよ?」


 とレンが訝しげに漏らした言葉に少女は反応するように答える。


「さあ、どうかしら。いかにも作り話しだけど‥‥。幼い頃にお母さんがその本を実際に有るって言うから、もしかしてと思って探しているのよ」


 少女の言葉に興味きょうみを抱き始めたレンは目を輝かせながら言う。


「キラキラ輝く本‥なんでも願いが叶う本‥‥面白そうだな! なあ、チハル、俺たちも探してみようぜ!」


 その提案にチハルも思わずうなずく。


「うん、私もすごく興味あるわ。ねえ、もしよかったら私たちも、その『なんでも願いが叶う本』を探すのを手伝わせてよ」


 チハルたちの熱意ねついに戸惑いつつも、


「え、あ、その‥‥。別に良いけど‥‥」


 少女はつい受け入れてしまった。


「あ、オレは飛本レン


「私は角野千晴チハルっていうの。あなたは?」


 しばしの間のあと、少女は小さく名乗った。


香田真凛コウダ マリン‥‥」


 その名を聞いたチハルが、ぱっと表情を明るくした。


「ヘー可愛い名前だね。マリンちゃんって呼んでいいかな?」


 親しみあふれる申し出に、マリンは視線をらしながら、


「好きにすれば‥‥」


 そっけない態度で返さられてしまった。


 やや不機嫌ふきげんにも見える反応に、チハルは一瞬驚いたものの、すぐに小さく笑った。なんだかんだで嫌がっていない気がする――そんな手応えを直感的ちょっかんてきに感じ取ったのだ。


 こうして夏休みの宿題をほっといて、三人はうそまことかの『何でも願いが叶う本』を求めて、図書館内をくまなく探すことになったのであった。

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