4-3

 つつがなく準備も終わり、あとは主役の登場を待つだけだ。

 本日の主役である薫子さんを、明里が連れてくる段取りになっている。

 というわけで、店内にいる全員がクラッカーを持って、その時に備えていた。使い方を知らないサリィは「?」顔をしていたが、紐を強く引けばいいとだけ伝えておく。

「貸切になってる……ことりちゃん、何か企んでるでしょ?」

「えーなんのことですかー? ほら、入りましょー」

 入り口付近から聞き慣れた声が聞こえてくる。

「ってことで、主役を連れてきましたー」


『――――薫子さん、誕生日おめでとうございます!』


 店内にクラッカーの破裂音が鳴り響く。

 いきなり大きな音が出たので、サリィは「ビクっ!」と体を震わせていた。

「ははは、ビビりすぎだろー」

 よし、イタズラ成功だ。この反応が見たくて、あえてクラッカーについて詳しく説明をしなかったのである。

「……ばかっ!」

「イテテ! ちょ、おい! 脇腹をつねるな!」

 しっかりと仕返しをされてしまった。祝いの席ということもあって、控え目だったのが幸いだ。そうでなかったら、たぶん殴られている。

「あぁぁぁ、そっかぁぁぁ! また一つ歳をとってしまったのかぁぁぁ!」

 本日の主役こと榎薫子さんは膝をついて項垂れていた。

 その辺の男よりも高い身長、メガネがトレンドマークの敏腕女社長。

 ぱっと見の印象は『近寄りがたい』なのだが、見ての通りひょうきんな人なのだ。

「三十一! 三十一よ! さすがにアラサーと言わざるを得ない!」

 いや、だいぶ前からアラサーだと思う。

「薫子さーん、反応違いますってー。泣いて喜ぶとかしてくださいよー」

「無茶言わないでよ、ことりちゃん! そんな女子女子している時期は、二十代の前半でとっくに終了してるわ!」

「雰囲気だけでも、若くしたほうがいいと思いますけどー」

「それ、どういう意味かなぁ? ことりちゃーん?」

 本当にこの二人は仲が良いな。年齢をネタに大騒ぎしている。

「まぁまぁ、薫子さん」

 ヒートアップする二人を止めるため、萌葉さんが仲裁に入る。

「年齢どうこうじゃないですよ、誕生日を祝うことは。生まれてきてくれてありがとう、出会ってくれてありがとう、これからもよろしく――そういうものですから」

 さすがバーのマスターなだけある。人を諭すような語り口調において、萌葉さんの右に出るものはいない。

「そ、そうね! ここにいる皆との出会いに感謝する日! そう思えば誕生日もいいものかもしれないわ! よっしゃ! 今日は飲むぞ、おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 萌葉さんの言葉が響いたみたいだ。薫子さんは高そうなポシェットをブン回して応じる。完全にスイッチが入った。

 かぶき者モードの薫子さんである。このモードになったらもう止まらない。

『うおおおおおおおおおおおおお!!』

 まだ一滴も酒が入ってないのに、全員がハイテンションだった。

「ありがとね、萌葉。さすがはアラサー独身の仲間だわ」

「え、えぇ……そうですね……はい」

 萌葉さんは大変複雑そうな顔をしていた。

 どちらが先に独身レースを抜けるのか、常連の間で注視されている。

「よーし、じゃあ乾杯しましょ!」

「そうしましょうか。薫子さんはハイボールで――後の人はビールとかジュースとか勝手にやってちょうだい」

 それぞれの手元に飲み物が行き渡る。

 俺はもちろんBeer。年齢不詳のサリィはジュースを選択していた。

「ねぇ、治! もう食べちゃダメ!?」

「ちょ、よだれ拭け! 乾杯までちょい待てって!」

 シーザーサラダ・サーモンのカルパッチョなど副菜。ローストチキン・アクアパッツァなど主菜。ピザ・パスタなど主食。色鮮やかな料理が所狭しと並んでいる。

 読んで字の如く垂涎物だ。

 サリィ程ではないが、俺も酒と合わせたくてウズウズしている。

「はーい、全員ちゅーもーく! 主役の薫子さんから一言もらいましょー」

 明里の掛け声で薫子さんに視線が集まる。

「人前で喋るのは何回やっても慣れないなぁ。私が社長になって真っ先に止めたことって月毎の朝礼だかんね――って、そんなことはどうでもいいか」

 ついつい語りたくなってしまうと自嘲気味に首を振る。

「とにかく、皆ありがとう! 初めて見る顔もあるし、この後ゆっくり喋りましょ!」

 薫子さんはサリィの方を一瞥して軽く会釈をした。サリィもオドオドしながらぺこりと頭を下げる。

「三十一こそ、三十一こそ、私が結婚できることを祈念してかんぱーい!」

『乾杯!』

 グラスを合わせる音が店内に響き渡る。宴の開演だ。

 薫子さんに挨拶しようと思ったが、菜月と翔に先を越されてしまう。

「色々とお疲れさま」

 ターゲットを変更して、明里に声を掛ける。

「ありがとー。おかげさまでいい会になりそーだよ」

「あの、あかりさん! 今日はお誘いありがとうございます!」

「サリィちゃんこの間ぶりー。いいのいいの、虎丸の件のお礼だからさ。サリィちゃんも探してくれたんでしょ?」

「は、はい! ……というか、私がほぼ一人で探したような」

 サリィが不満そうに口を尖らせた。俺は気まずくなって頬を搔く。えと、その、明里には自分の手柄みたいに伝えていましてね。てへへ。

 そんな俺たちの様子を見て、明里は「はぁー」とため息をついた。

「なんとなく分かった。また、治があることないことを言ってるわけねー」

「い、いいんだよ。サリィの手柄は俺の手柄だし」

 部下の手柄は上司の手柄だ。だがそれを聞いたサリィは、不服そうな顔で足をグリグリと踏んでくる。気合いで耐えているが超痛い。

「つまり、ほぼサリィちゃんの力ってことね。サリィちゃん、今日は目一杯楽しんでね。治の方は付き添い、オマケみたいに扱っていいから」

「分かりました!」

 今日一番のハッキリした声だった。

 そのままサリィは「料理をもらってきますね!」と、一目散に料理が乗ったテーブルへと向っていく。

「治、何か言いたいことは?」

「ございません」

「ほんともー。……あー、あとそうだ。いつきちは来れそーなの?」

 明里は一希のことを『いつきち』とあだ名で呼んでいる。

 言うまでもなく、一希もアルケミー常連の一人だ。俺以外とも交流がある。

「池袋を出たって連絡があったぞ、さっき」

「そう、よかった。これで顔見知りは全員揃いそうね」

「ん、そういえば颯太は?」

「――――あはは」

 可哀想に。完全に忘れられていたみたいだ。どんまいだ、颯太。

「まぁ、颯太ならいいか」

「うん、御幸くんなら大丈夫でしょ」

 高校の同級生をあっさり切り捨てる薄情な二人だった。

「連絡くらいしてやるか」

「そうしてあげてー」

 メッセージを送るとすぐに返信があって、職場の飲み会とのことだ。

 彼はそういう運命なのかもしれない。また別の機会に誘おう。

「あとは松郷さんか。途中参加って話だよな?」

「天下の国会議員だからねー。顔出してもらえるだけ有難いよ」

 松郷久さん。アルケミーの常連。職業はなんと参議院議員である。

 日本最大の野党・民主労働党こと民労党に所属していて、民労党がリベラル系の政党ということもあり、外国人移民の支援などを積極的にしているらしい。

 あ、俺には支持政党はありません。政治主張はしないタイプの人間なんで。

「はぁ、この政治家とのコネクションを上手く使えないもんかねぇ」

「まーた、しょーもないこと言ってるしー」

「松郷さんに土下座して、秘書として雇ってもらうとかどうよ?」

 政治家の秘書。なんかカッコいいじゃん。

「手前の面倒も見れてないのに、人のサポートなんて百年早いよ」

 酒や料理の提供が一段落ついたみたいで、萌葉さんが会話に混じってきた。

「こう見えても、尽くすタイプなんです」

「冗談は顔だけにしな」

「ひでー」

「あの人には奥さんって最強の秘書がいるからね。治の出番はないよ」

「翔が言ってた『ロリコン疑惑』の元凶か」

 翔は一度だけ顔を合わせたことがあるらしい。透き通ったブロンドヘアーに翡翠色の瞳を持った美しい外国人女性――――これだけ聞くとグラマラスな美女を想像してしまうが、どうも着せ替え人形のように幼い外見だったとか。

「ほんと失礼な奴だね。あとで翔のバカを絞めておくか」

 さよなら翔。君のことは忘れない。合掌。


「萌葉さん、萌葉さん! これってどうやって食べればいいんですか!」


 少し目を離しただけなのに、サリィの皿には山盛りの料理が乗っていた。

 今はローストチキンにご執心なようで、丸焼きにされた鶏肉を前に目をキラキラさせている。

 やれやれ、食べ物のことになると『猫まっしぐら』って感じだな。

「ちと落ち着けって。切り分けてやるから」

『よ、お兄ちゃん』

 萌葉さんと明里がニヤニヤしている。うぜえ。

 サリィもサリィで、はしゃぎ過ぎていることを自覚したらしく、カーッと顔を赤くしてバツが悪そうに俯いていた。

「お兄ちゃんじゃねーよ……ったく」

 文句を言いつつも、ナイフで食べやすい大きさにカットする。

 刃を当てるとジュワッと肉汁が溢れ出てきた。光り輝く良質な油が美しく、スパイシーなハーブの香りには食欲をそそられる。

 こんなの絶対に美味いじゃんか。サリィが大興奮なのも頷けた。

「ほれ、皿」

「う、うん!」

 手渡された皿に切り分けたローストチキンを乗せる。

 ついでに自分の皿にも乗っけて、早速だがパクついてみることにした。

「わ、私も!」

 辛抱堪らなかったようでサリィも後に続く。

「うまっ!」

「美味しい!」

 サリィと顔を見合わせる。何だこれ、美味すぎだろ。

 一噛みごとに口いっぱいに油が広がる。飲み物を流し込んでいる感覚だ。

 パリパリに焼き上がった皮の食感も楽しい。香草特有の香ばしさも食欲を増進させる。いやはや、これは止まらないっす。

 最後にビールで流し込んだら昇天しそうだった。

 ローストチキン、ビール、ローストチキン、ビールの永久機関が完成する。

「萌葉さん、これうめー。店出せるレベルだと思うぜ」

「アンタはこの場所を何だと思ってるんだい」

「この間のナポリタンもですけど、萌葉さんが作る料理は全部美味しいです!」

「ははは、嬉しいね。作った甲斐があるってもんだ」

 萌葉さんはクールに笑い、グラスのビールを呷る。

 料理人とっては客の嬉しそうな顔が何よりの肴になるようだ。

「私も貰おーっと。サリィちゃんの食べっぷり見てたら、お腹空いてきちゃったー」

 宣伝効果は抜群だった。明里もローストチキンへと吸い寄せられる。

「早くしないと食い尽くされるぞ、明里」

「人を怪獣みたいに言わないでよ!」

「いいなー、サリィちゃん。こんな食べてもほっそーいウエストしててー」

「ひゃあっ! ちょ、あかりさんっ!?」

 明里がサリィの腹部を撫で回すように触る。菜月のセクハラ時よりも、漏れる吐息の音が艶めかしい。

 さすがは本職。触り方からして既にエロいんだよな。

「プロポーション維持が大変でさー。ジム通いと食事制限で何とかって感じー」

「明里も歳だな。代謝が落ちてるんだろ」

「――ねぇ、治? 殺されたい?」

「許してください」

 喉元にフォークを突きつけられた。下手なことを言うとマジで殺される。

 女性に年齢のこと言ったら駄目です、はい。

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