『神さまを殺したのは、だれ?』

ソコニ

第1話『神さまごっこ』



 伊織が死んだ日の朝、私は神を殺すことを決めた。


 いや、正確には神なんて最初からいなかった。でも、神のふりをした化け物なら、確実に存在していた。そしてその化け物は、私の親友を殺した。


 私の名前は如月沙羅。聖カトリーナ学園の3年生。これから話すのは、学園で起きた大量殺人事件の真相だ。警察は「集団自殺」として処理したけれど、それは嘘だ。


 真実を話そう。


 神さまごっこという名前の、最も残酷な殺人ゲームについて。


---


 全ては、あの放課後から始まった。


 10月15日、木曜日。私は生徒会室で書類整理をしていた。文化祭まで2週間。企画書の山に埋もれながら、いつものように平凡な高校生活を送っていた。


 そのとき、廊下の向こうから声が聞こえてきた。


「神様、お許しください! 私が悪かったんです!」


 女子の泣き声だった。必死に謝っているような、怯えているような。でも、この時間に学校にいる生徒なんてほとんどいない。


 私は書類を置いて、廊下に出た。


 声は礼拝堂の方から聞こえてくる。近づくと、重い木の扉の隙間から光が漏れていた。


「許してください! 二度としませんから!」


 また同じ声。今度はもっと切迫していた。


 私は恐る恐る扉に近づき、隙間から中を覗いた。


 そして、見てしまった。


 忘れることのできない光景を。


 礼拝堂の中央に、一人の女子生徒が土下座していた。2年生の森川美咲だ。彼女は全身を震わせながら、床に額をこすりつけている。


 その周りを、30人ほどの生徒が円形に取り囲んでいた。皆、制服の上に白いローブのようなものを羽織り、首には手作りらしい十字架を下げている。


 そして円の最も奥、祭壇の前に一人の男子生徒が立っていた。


 田中健太。2年A組の、普段はおとなしい生徒だ。でも今の彼は、まるで別人だった。金色の十字架を首に下げ、白い衣装を身に纏い、両手を天に向かって広げている。


 まるで、本物の神のように。


「森川美咲」田中の声が礼拝堂に響く。「お前の罪は重い」


「はい……はい……」美咲は泣きながら答える。


「お前は昨日、神の命令に逆らった。『3階の階段を使うな』と言ったのに、お前は使った」


「申し訳ありませんでした……」


「その結果、何が起きた?」


 美咲の顔が青ざめる。そして、震え声で答えた。


「佐藤太郎くんが……階段で転んで……」


「そうだ」田中は満足そうに頷く。「お前が神の意志に逆らったから、無実の者が傷ついた。これが神の怒りだ」


 周りの生徒たちが、一斉に頷く。まるで一つの生き物のように、同じタイミングで、同じ角度で。


「でも神は慈悲深い」田中は続ける。「お前に贖罪の機会を与えよう」


 田中は祭壇の上から、何かを取り上げた。


 カッターナイフだった。


「自分の罪を、血で清めろ」


 私の血が凍った。


 美咲は震えながらカッターナイフを受け取ると、自分の左手の甲に刃を当てた。


「やめて!」


 私は思わず叫んでいた。


 扉を蹴り開けて、礼拝堂に飛び込む。


「何してるの! やめなさい!」


 美咲の手からカッターナイフを奪い取る。彼女の手には既に浅い切り傷があり、血が滲んでいた。


 礼拝堂が静まり返った。


 30組の目が、一斉に私を見つめている。敵意に満ちた、冷たい視線。まるで聖域を汚した冒涜者を見るような目だった。


「如月沙羅」


 田中が私の名前を呼んだ。その声は、もう高校生の声ではなかった。もっと古い、もっと重い、何か別の存在の声のようだった。


「君は神を冒涜した」


「神? あなたが?」私は笑った。恐怖と怒りで、声が震えていた。「馬鹿言わないで。あなたはただの高校生よ」


 田中の目が、一瞬光った。


 人間の目じゃない。何か別の生き物の目だった。


「神を信じない者に、罰を」


 田中がそう言った瞬間、周りの生徒たちが一斉に立ち上がった。皆、同じ表情で、同じ動作で。まるで操り人形のように。


 私は美咲の手を引いて、礼拝堂から走り出した。


「走って!」


 美咲は泣きながら私についてくる。後ろから、足音が追ってくる。一人ではない。大勢の足音だ。


 廊下を駆け抜け、階段を駆け下り、校舎の外に出る。そこでようやく、足音が止んだ。


 振り返ると、30人の生徒が校舎の窓から、じっと私たちを見下ろしていた。皆、無表情で、人形のように。


 その中央に、田中がいた。


 彼は私を見つめながら、ゆっくりと首を振った。


 まるで「お前は間違いを犯した」と言っているように。


---


 私は美咲を保健室に連れて行った。


 手当てをしながら、美咲に話を聞く。


「あれは何? 神さまごっこって何?」


 美咲は包帯を巻かれた手を見つめながら、小さな声で答えた。


「本当に神様なの。田中様は」


「何を言ってるの? ただの高校生よ」


「違う」美咲は首を振る。「田中様は全部知ってる。私の秘密も、みんなの秘密も。そして未来も」


「未来?」


「田中様の言った通りになるの。いつも」


 美咲は震え声で続けた。


「『明日、3-Bの佐藤は階段で転ぶ』って言って、本当に転んだ。『今度のテストで山田は赤点を取る』って言って、本当に赤点だった。『雨が降る』って言ったら、晴れ予報なのに雨が降った」


「偶然よ」


「違う。神様だから、何でも知ってるの」


 美咲の目は、完全に正気を失っていた。恐怖と狂信が混じり合った、危険な光を宿している。


「お姉さんも信じて。田中様を。じゃないと……」


「じゃないと?」


「神罰が下る」


 美咲はそう言って、自分の包帯を見つめた。血が滲んで、赤い染みを作っている。


「これも神罰の一つなの。私が従わなかったから」


 私は寒気を感じた。


 これは宗教ではない。洗脳だ。集団洗脳。


 そして、私はそれを目撃してしまった。


---


 その夜、家で父に話した。


 父は牧師だ。宗教に関しては専門家と言える。何かアドバイスをもらえるかもしれない。


「お父さん、学校で変な宗教活動があるんだけど」


 父は聖書から顔を上げて、私を見た。いつもの穏やかな表情が、急に曇る。


「どんな?」


 私は今日起こったことを全て話した。神さまごっこのこと、田中のこと、美咲の自傷行為のこと。


 父の表情が、だんだん深刻になっていく。


「それは危険だ」父は立ち上がって、本棚から分厚い本を取り出した。「これを見てみろ」


 宗教学の専門書だった。ページをめくって、ある章を指差す。


「『偽メシア症候群』。宗教的指導者が集団を支配する際に見られる典型的な症状だ」


 私は本を読んだ。そこには、田中の行動と完全に一致する症例が書かれていた。


 予言、処罰、集団洗脳、自傷の強要……


「でも、田中くんの予言は本当に当たってるのよ」


「それが一番危険な部分だ」父は真剣な顔で答える。「本物の霊能力者か、あるいは……」


「あるいは?」


「計画的な詐欺師か、だ」


 父は別のページを開く。そこには、過去の宗教的事件の記録があった。


「20年前、この近くの学校でも似たような事件があった。生徒7名が死亡した大事件だ」


 私の血が凍った。


「死亡?」


「集団自殺として処理されたが、実際は集団殺人だった可能性が高い。首謀者は『黒瀬聖子』という女子高生。彼女も自分を神だと名乗っていた」


 黒瀬という名前に、何か聞き覚えがあった。でも思い出せない。


「沙羅、絶対に関わってはいけない」父は私の手を取った。「もし何かあったら、すぐに警察に連絡しろ」


 私は頷いたが、心の中では別のことを考えていた。


 美咲を救わなければならない。


 そして、神さまごっこの正体を暴かなければならない。


---


 翌日の朝、学校に着くと異変に気づいた。


 廊下を歩く生徒たちの様子がおかしい。皆、小声でひそひそと話しているが、私の姿を見ると急に黙る。


 そして、視線を感じる。


 振り返ると、十字架のペンダントをつけた生徒たちが、じっと私を見つめていた。昨日礼拝堂にいた連中だ。


 彼らは私を見つけると、すぐに目を逸らして立ち去る。でも、その前に必ず何かを呟く。


 聞き取れないが、きっと私への呪詛のような言葉だろう。


 教室に着くと、親友の葉山伊織が心配そうに駆け寄ってきた。


「沙羅! 大丈夫? 昨日、変なことがあったって聞いたけど」


 伊織は明るくて素直な女子だ。小学校からの親友で、私のことを何でも知っている。彼女になら、全てを話せる。


「実は……」


 私は昨日のことを全て話した。神さまごっこのこと、田中のこと、美咲のこと。


 伊織は最初、信じられないという顔をしていたが、だんだん表情が変わっていく。


「それって、カルトよね」


「そう思う」


「警察に言ったほうがいいんじゃない?」


「証拠がないのよ。美咲の怪我だって、『自分でやった』って言われたらそれまでだし」


 その時、教室のドアが開いた。


 真中照が入ってくる。生徒会副会長で、クラスの人気者だ。いつものように人懐っこい笑顔を浮かべているが、何かいつもと違う。


 彼は私のところにやってきて、小声で話しかけた。


「沙羅、昨日はお疲れさま」


 私は驚いた。照が昨日のことを知っている。


「どうして知ってるの?」


「僕は色々知ってるよ」照は意味深に微笑む。「君、面白いことをしたね」


「面白い?」


「神に逆らうなんて、勇敢じゃないか」


 照の言い方には、まるで他人事のような、冷たい客観性があった。


「照、あなたも神さまごっこに関係してるの?」


「関係してる、かな」照は肩をすくめる。「でも、君が思ってるような関係じゃない」


「どういう意味?」


 照は周りを見回してから、さらに声を小さくした。


「君、田中を神だと思う?」


「思うわけない」


「じゃあ、何だと思う?」


 私は少し考えてから答えた。


「詐欺師。それか、精神的に病んでる」


 照の笑顔が、ほんの少し深くなった。


「正解」


「え?」


「田中は神じゃない。ただの高校生だ。でも、彼を神だと思い込ませている『何か』がある」


 照の言葉に、背筋が寒くなった。


「何かって?」


「それを知りたかったら、中に入るしかない」


「中って?」


「神さまごっこの中にだよ」照は私を見つめる。「観察者として参加すれば、真実が見えるかもしれない」


 危険な提案だった。でも、確かに外から見ているだけでは、何もわからない。


「考えておく」


「そうしたほうがいい」照は立ち上がる。「でも、あまり時間をかけすぎないほうがいいよ。あの『遊び』は、どんどん大きくなってる」


 照はそう言って、席に戻っていった。


 私は彼の後ろ姿を見送りながら、胸の中で不安が膨らんでいくのを感じていた。


---


 昼休み、私は一人で礼拝堂に向かった。


 昨日の続きを確かめたかった。神さまごっこが、昼間でも行われているのかどうか。


 礼拝堂の前に着くと、扉が少し開いていた。中から、讃美歌のような歌声が聞こえてくる。


 でも、よく聞くと讃美歌ではない。もっと不気味な、邪悪な響きの歌だった。


 私は恐る恐る中を覗いた。


 昨日より多い、50人ほどの生徒が円形に座っている。そして中央には、田中ではなく別の人物が立っていた。


 見覚えのない女子生徒だった。2年生くらいで、黒い長髪の美しい少女。肌は白く、まるでお人形のような顔立ちをしている。


 でも、その美しい顔に浮かんだ表情は、どこか人間離れしていた。慈愛と狂気が混じり合った、神秘的で危険な笑み。


 彼女は両手を天に向かって広げながら、美しい声で歌っていた。


「我らが神よ、導きたまえ……我らが神よ、裁きたまえ……」


 周りの生徒たちも、同じ歌を歌っている。でも彼らの声は、もう人間の声ではなかった。何か別の存在に乗っ取られたような、空ろで機械的な響きだった。


 歌が終わると、黒髪の少女が口を開いた。


「神はお喜びです。昨日、不信者が現れましたが、それもまた神の試練でした」


 私のことを言っている。


「不信者の名前は、如月沙羅。彼女は神を冒涜し、聖なる儀式を妨害しました」


 生徒たちの間から、怒りの声が上がる。


「許せない」

「神への冒涜だ」

「罰を与えるべきです」


 黒髪の少女は手を上げて、皆を静めた。


「でも、神は慈悲深いお方です。如月沙羅にも、改心の機会を与えてくださるでしょう」


 彼女は祭壇の方を振り返る。そこには、古い木の扉があった。私は昨日、その扉に気づいていなかった。


 扉には「立入禁止」の古い札が貼られているが、札の一部が剥がれている。


「近いうちに、神は直接お姿を現されるでしょう」少女は続ける。「その時、全ての不信者は裁かれます」


 私は寒気を感じた。


 あの扉の向こうに、何かがいる。


 神ではない。もっと古い、もっと邪悪な何かが。


 その時、黒髪の少女が振り返った。


 彼女の目が、私と合った。


 一瞬、彼女の顔に浮かんだのは、慈愛でも狂気でもなかった。


 純粋な、殺意だった。


 私は慌てて礼拝堂から離れた。心臓が激しく鼓動している。


 あの少女は、誰だ?


 田中よりもずっと危険な存在だということは、直感的にわかった。


 私は携帯電話を取り出して、父に電話をかけた。


「お父さん、昨日話した黒瀬って名前、もう一度教えて」


「黒瀬聖子。20年前の事件の首謀者だ。どうして?」


「新しい生徒が来たの。黒瀬って名字の」


 電話の向こうで、父が息を呑む音が聞こえた。


「沙羅、すぐに学校から出ろ。今すぐに」


「どうして?」


「黒瀬聖子には娘がいた。事件の後、行方不明になった娘が」


 私の血が凍った。


「名前は?」


「黒瀬ひかり。今、17歳のはずだ」


 電話が切れた。


 私は振り返って、礼拝堂を見た。あの黒髪の少女が、窓から私を見つめていた。


 彼女の唇が、ゆっくりと動く。


 声は聞こえないが、唇の動きで言葉がわかった。


 「殺す」


 私は走った。


 学校から、この悪夢から、逃げるために。


 でも、心の奥で知っていた。


 もう逃げることはできない。


 私は既に、神さまごっこという名の殺人ゲームの一部になってしまった。


 そして、このゲームは私の親友を殺し、最終的には私自身も殺そうとするだろう。


 でも、私は負けない。


 神のふりをした化け物に、私の人生を壊させはしない。


 戦いが始まった。


 神殺しの戦いが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る