遊び人の俺は、今日も剣を握る

イェスコマ

1章遊び人から何かに

俺は、遊び人

「異界ダンジョンの初出は、今から53年前。旧暦で言うところの、2047年だ」


社会科教師・春木の声が教室に響く。

眠くなるには十分なトーンだった。


「現在、世界には確認されているだけで七十六の常設ダンジョンが存在し、うち十八がこの国の領内にある。君たちの住んでいる関東第三特区には、“横浜階層”があるな。毎年、維持費と犠牲者が国家予算の数%を喰うほどだ」


「ふぁ……」と、誰かが欠伸をした。


……まあ、俺も、他人のことは言えない。


先生の話は、たぶん真面目に聞けば役に立つ。

でも、俺は今日も、黒板を半分くらい流して聞いていた。


「──よって国家は、2030年代後半より“ジョブ適性制度”を導入。ダンジョン適応能力の高い個人を識別・育成し、社会の根幹を支える人材とすることにした。これが現在の“職能育成学園制度”に繋がっている」


黒板には、ジョブの例が書かれていた。


基本職: 戦士/魔術師/職人/書士など

派生職:戦士→剣士、盾士/魔術師→炎術師、水術師/職人:鍛冶師、農家/書士:解析士、文官


「君たちは15歳で適職検査を受ける。ここに書いていない基本職もあるが、16歳で必ず初期職に就く。

以降、職能学園にて育成・訓練を受け、派生職試験を受ける。君たちの未来は、その選ばれた職に直結することが多い。ので、目標の職があるなら今のうちに努力することが大事だぞ」


「選ばれる、か」


思わず、呟きそうになった。

でも、それはきっとこの教室では、浮いた言葉だ。


選ばれるような人間じゃない。

少なくとも──今の俺は、そう見えないはずだ。


……でも、心のどこかで、ずっと待っていたのかもしれない。

誰かに「期待してるよ」って言われることを。

「やっぱりすごいな」って認められる日を。


今さらそんな願いを抱くなんて、滑稽だと思った。けど、消えてくれなかった。



---


小学校の通知表には、いつも「よくできる」の欄が並んでいた。

成績は上から数えたほうが早くて、先生たちには「神童」なんて呼ばれていた。

何でもできると思っていたし、実際それなりに何でもできた。

「将来が楽しみですね」なんて言われて、その気になっていた。

きっと俺は、期待される存在だった。


──中学に上がるまでは。


初めての挫折は、たぶん些細なことだった。

ちょっと勉強ができるとか、走るのが速いとか。

最初は優越感があった。でも、気づけばそれは浮いた存在になっていた。

からかわれて、距離を置かれて。

「調子に乗ってる」「つまらないやつ」と笑われるたびに、少しずつ、何かが剥がれていった。


いつしか俺は、気づかれないように力を抜くようになった。

本気を出さなければ、失敗しても傷つかずに済む。

それは防衛だった。プライドの、最後の。


──でも、ほんとうは。

心の奥には、今もまだ、火種のような“憧れ”が残っていた。


小学生の頃──

俺には、夢があった。


テレビで見た《剣聖》の特集番組。

一本の剣でダンジョンの深層を切り拓いていく姿に、子どもながらに目を奪われた。

圧倒的な力。誰もが頼る背中。

あれが「かっこいい」という感情だったと、今ならわかる。


そのとき俺は、ノートの裏に何度も《剣聖》の絵を描いた。

下手くそな剣とマント。書き込みすぎて、紙が破れた。

友達に見せたら笑われたけど、それでも隠さずに「俺も、将来ああなりたい」って言った。


まっすぐで、まぶしかった。

俺も、あんなふうに誰かに「すごい」と思われたくて。

だから「戦士」になりたかった。

どこかで──ずっと、その想いを手放せずにいた。


……でも、気づけばその夢は、心の奥底に沈んでいた。

憧れるには、自分が情けなさすぎたから。


---


「では最後に確認だ。“なぜ我々はダンジョンに挑むのか”──その答えを、君たちは答えられるか?」


先生がそう言ったとき、教室はしんとした。

誰も答えようとしなかった。いや、答えられなかったんだ。


俺も──答えられなかった。


先生は少し残念そうに言った。


「それは“生きるため”だ。あの空間から得られる資源と能力がなければ、現代文明は成り立たない。

だが忘れるな。ダンジョンは危険な場所でもある。生きて戻るには、自分の“武器”を持つしかない。先生のおすすめは書士だな、書士になれば先生になれるぞー。まぁ、大体はダンジョンに入るがなぁ、」


その言葉が、胸にひっかかった。


俺の“武器”って、なんだろう。

──手を抜くこと?

──何も選ばないこと?


俺はその日、初めて黒板を見つめていた。








---


「これにて、卒業証書授与式を終了します──」


拍手が響いた。卒業式というやつだ。


感動して泣いてるやつもいるし、スマホで記念撮影を始めるやつもいる。でも、俺はその輪のどこにもいなかった。

壇上の教師の話も、斜め後ろの笑い声も、ぜんぶ遠くに感じた。


──今日、このあと。

いよいよ「ジョブ適性検査」がある。


中学卒業と同時に、国家が認定する初期職が告げられる。

この国では、誰もが付き合うことになる職業名だ。


> 戦士、魔術師、職人、衛生兵、斥候、そのほかにも…

そしてその下に、ごく少数の“ハズレ”がある。


俺は、何になるんだろう。父さんの後を継ぐなら、

そう、ほんの少し、いや。ずっと、どこかで思っていた。



---


「遊部照人、ブース8番へ」


無機質なアナウンスが名前を呼ぶ。

深呼吸して、俺は検査室に入った。


中は白くて、無菌室みたいだった。

中央には銀色の椅子が一脚。その背後に立つ検査官が一人。


「そこに座って。リラックスしてね」


機械的な声。たぶん、1000人以上同じセリフを言ってる。


額に小さなプレートが当てられた。


> “職能波動”とかいう、脳や心の深層データを解析する装置らしい。

嘘も見栄も通じない──俺が数値化される。



10秒、20秒……と、無音の時間が流れた。

そして、機械がピピッと音を立て、電子パネルに文字が表示された。


検査官が、無表情のまま読み上げる。


---


「ジョブ判定遊び人


─え?


俺の頭が、真っ白になった。


「…なんですか、それ?」


思わず聞き返していた。自分でも驚くくらい、声が震えていた。


「《遊び人》。陽気な性格と、好奇心、集中力の欠如。

勤労意欲や使命感の低さ、継続性の乏しさが特徴と言われています。

表向きはエンタメ業・対人職への適性が高いとされますが、

戦闘職や研究職への進学は極めて困難とされています」


そんな説明、聞きたくなかった。

でも、止めてくれなかった。


検査官は淡々と続ける。


「社会的には─タレント、配信者、パフォーマーなどが代表的な進路です。」


俺は、無言だった。



笑い声が聞こえる気がした。

あの教室の、黒板の前で笑っていたクラスメイトたちの。

「何してんの?」「またサボってる」「本気出せばすごいって、口だけじゃん」──


全部、刺さってくる。



---


神童なんて呼ばれていた日々が、遠い夢みたいだ。

あのときは、何でもできる気がしていた。

でも俺は、自分でその可能性を手放した。


その結果が、これだ。

《遊び人》。

「ふざけてたら、ふざけた職になった」──


自業自得。わかってる。でも。

それでも、こんなはずじゃなかったって、泣きたくなるほど悔しかった。


外に出たとき、陽の光がやけに眩しくて、目を細めた。

誰かが「何になった?」と聞いてきたけど、俺はあぁ、ぅんとか言葉にならない声で答えずに通り過ぎた。


「戦士」と呼ばれたやつがいた。

「魔術師」と叫んで喜んでたやつもいた。

俺は─ただ一人、逃げるようにその場を去った。



足が震えていた。呼吸も浅くなっていた。

喉の奥が苦しい。でも、声なんか出なかった。



---


「これじゃ、ダメだ」

「このままじゃ、終わる」

「…俺の人生が、ジョークで終わるなんて、許せない」



---


それから一週間後。


俺は戦士科の願書を握りしめていた。

何度も止められた。担任にも、両親にも、「無謀だ」と言われた。


でも構わなかった。

どれだけバカにされても、踏みつけられても、いい。


本気で生きなきゃ、俺はきっと、もう二度と立ち上がれない。




ジョブ結果通知から三日間。

俺は、自室に閉じこもっていた。


通知書に書かれていたのは、残酷な現実。


>適性職:遊び人

推奨進学先:自由職育成専門校・私立ルーズアカデミー(通称“遊学”)

推奨進路:娯楽業・情報配信業・接客業 等



─未来は、選べない。

いや、正確には「手を抜いた結果」こうなった。

何もかも自業自得だった。



---


三日目の夜。

ノック音と、母のやさしい声が聞こえた。


「照人……進学、どうするの?」


息が詰まる。


けれど、もう逃げないと決めたんだ。

俺はドアを開けて、母に告げた。


「……戦士科に行きたい」


目を見開く母。

すぐにリビングへと呼び出された。


父がテレビを消して、俺を見た。


「戦士科…?お前、本気なのか」


「うん、本気。…今度こそ、ちゃんとやりたいんだ」

今までの俺は、何かに本気になることが怖かったのかもしれない。

全力で向き合って、もしダメだったら──そのとき、本当に“ダメなやつ”になってしまう気がして。


でももう逃げない。


今度こそ、自分の手で、自分の価値を証明したいんだ。


「照人。お前のジョブは“遊び人”だぞ?

戦士になるって、適性ゼロからのスタートなんだ。遊び人でも学校にいけばどこかには就職できるだろう。

それでも、剣を握るっていうのか?」


「分かってる。…でも、“遊び人”のままで人生を終わるなんて、耐えられない」

ジョブが全てじゃないって、誰かが言ってた。でも。


---


父は少し考え込むように腕を組んだあと、ぽつりと呟いた。


「…父さんのとこでも、戦士職の人間が途中から魔法を学ぼうとしたら、全然芽が出ずにそのまま引退したやつもいる。それと同じだ。逆もまた然りだ」


「知ってる。職業適性ってのは、“楽な道”じゃない。

最初のジョブがどれだけ重くのしかかってくるか─今回、身に染みてわかったよ」


俺は頭を下げた。


「だから、今度はちゃんと努力する。バカにされても、笑われてもいい。戦士って、ちゃんと胸を張って言えるようになりたいんだ」


母は何も言わなかった。ただ、その手が震えていた。

父はソファに深く座り、しばらく黙ったまま俺を見ていた。


「─いいだろう。自分で選んだ道なら、支えるが、危険なまねはするんじゃないぞ。母さんが悲しむからな」


「…ありがとう」


その言葉に、俺は涙が出そうになった。


---


翌日、俺は戦士科への特例入試を申し込んだ。


願書の備考欄には、こう記されていた。


適性外ジョブにより、特例扱いとする。

※職業「遊び人」からの戦士科入学は過去に前例あり


その「前例」が、どうなったのかは知らない。

でも──次の“例”は俺が作る。


遊び人から、戦士へ。

バカにされてもいい。俺は、もう一度“選ばれる”人間になる。



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