さようなら、お別れしましょう

椿蛍【書籍12月】千年屋あやかし和菓子帳

第一章

第1話 新しい妻!?

 一年前、あなたと愛を誓ったはずですが――


「紹介しよう。新しい妻だ」


 それは、形だけだったのだと知った。


 ――妻に新しいも古いもありますか?

 

「新しい妻を迎えたとは、どういうことでしょうか?」


 私が呼び出された場所は、謁見の間で、そこには大臣と国王である夫がいた。

 そして、『新しい妻』も。

『新しい妻』として紹介された女性は、私を見てにっこり微笑んだ。


「わたくしが妻になったということですわ」


 ――妻の前で、堂々と妻宣言!?


 あまりの衝撃に、その場に呆然と立ち尽くした。


「それは、私と別れるということですか……!?」


 自分の声が震えているのがわかった。

 女性の影があったならともかく、ほとんどの時間を仕事に費やしてきた夫。

 いつ他の女性と会っていたのかもわからない。


 ――私が嫁いでくる前から、二人は付き合っていたの?


「メリアは優しい女だ。側妃で構わないと納得してくれた」

「愛されているのは、わたくしですから、レフィカ様に正妃の座は譲って差し上げますわ」


 メリアは明るく無邪気な笑顔を私へ向け、私の名を呼ぶ。

 夫が新たに妻として迎えた彼女の名は、メリア・リースフェルト。

 リースフェルト伯爵家の令嬢だ。

 茶色に緑の瞳、可愛らしく女性らしい外見のメリア――そういえば、彼女と何度か王宮内で出会って、挨拶を交わした気がする。

 どんな女性だったか、記憶の中を探る。


『はじめまして。レフィカ様、わたくしのことはメリアとお呼びくださいませ』


 結婚式後、王宮内の回廊を歩いていたら声をかけられ、少しおしゃべりをした。

 夫の母である母后様と、昔から親しくしているから挨拶に来たと、メリアが言っていたのを思い出す。

 母后様は離宮に住まわれ、月に一度、王宮へ息子の様子を見にやってくる。

 それに合わせて、メリアも王宮へ訪れているのだという。

 今思えば、彼女は一度も私を『王妃』と呼ばなかった。

 偶然、鉢合わせたわけではなく、彼女は会いにきていたのだ。

 私の夫に――


 ――私が知らなかっただけで、すでに彼女とは恋人で、妻にするつもりだったのね……


 ちらりと大臣たちのほうを見ると、気まずそうに私から目を逸らし、ゴホゴホとわざとらしく咳ばらいをした。


「世継ぎが必要だ。自分が興味を持てない女性相手では……さすがにな」


『興味を持てない』と公言した夫の抑揚のない声が残酷に響く。

 広間は静かで、なおさらその声が冷たく聞こえた。

 私は敵国、ドーヴハルク王国から嫁いだ妻。

 一緒に過ごせば、少しずつ心を開いてくれるのではと期待していた。

 それなのに、興味すら持ってもらえなかったなんて……

 

 ――私は国と国の【契約】の証し。


 両国の争いを止めるための道具。

 それでも、愛してもらえるかもしれないと期待して嫁いだのは、一年前のこと。

 結婚式を終えても、私の部屋へ彼が訪れることは一度としてなかった。

 その理由がやっとわかった。


 ――彼はずっと私ではない、別の女性を愛していたから。


 私は愛されていなかった。

 うつむき、この国では珍しい自分の銀髪に視線を落とした。

 長い銀髪、雪に似た白い肌――嫁ぎ先では目立つ容姿で異色の存在だった。

 嫁いだばかりの頃、王宮の使用人たちからは――


『ご覧になって、あの銀髪! まるで雪の魔物のようだわ』

『作り物の人形みたいね』


 などと言われ、あまり評判はよくなかった。

 グランツエルデ王国の王である夫、イーザック様は二十三歳と若く、黒髪と琥珀色の瞳を持つ。

 そして、勇ましい獅子のモチーフの王笏、濃い青の上着には金色の刺繍が施され、煌びやかな装飾品を身に付けている。

 若く凛々しい王は令嬢たちからも、人気が高かった。

 そんな彼の愛情を勝ち取ったのは、妻の私ではなく、伯爵令嬢メリアだった。

 メリアのことはあまり知らないけれど、可愛らしい女性で魅力的に見える。

 

 ――私が彼女のように、可愛い女性だったら、愛してくれましたか?


 彼女と私は、容姿も性格も正反対。

 メリアと自分を見比べて、落ち込んだ。


「レフィカ様。わたくしとイーザック様に子供ができても、王宮にいてくださってよろしいのですよ?」

「こっ、子供!?」

「ええ。妻であれば当然ですわ」


 もしかして、メリアは私が夫から一度も寝室に呼ばれたことも、部屋へ訪れたこともないと知っているのだろうか。

 メリアの言葉は、私への嫌みに聞こえた。

 すでにメリアは、イーザック様との未来を思い描き、二人の間に子供ができた後のことを考えている。

『新しい妻』の話は、昨日今日で決まったわけではなさそうだ。

 イーザック様は無感情な目で、玉座から私を見下ろしていた。

 その目は、ほとんど会ったこともない他人に対する目で、情のカケラもない。

 実際、私がまともにイーザック様と顔を合わせることができたのは、結婚式くらいで、ヴェール越しだった。

 そして、結婚してからは、いつも『忙しい』としか返事が来ない日々。

 放置されていても国王として、イーザック様が夜遅くまで勉強しているのを知っていたから、しかたがないと思っていた。

 王宮の図書室には、イーザック様が読んだ難しい本がたくさんある。

 読み終わると、図書室に本が増えていく――努力家な方なのだと、尊敬していたのに。


「新しい妻を迎えることに、なにか不満はあるか?」

「あなたは私がなにを言っても、興味がないのでしょう?」

「……そうだ」


 ここで、私が不満を言っても意味がないとわかってる。


 ――私は愛されることを諦めるしかないの?


 私の父は隣国ドーヴハルク王国の国王だ。

 王である父の言葉を思い出す。


『死にたくないなら、夫から愛されろ』

 

 それが、父の結婚祝いの言葉だった。

 けれど、夫が少しも私に興味を持たないなんて、父も想定外だったと思う。

 結婚して一年。

 なにもしてこなかったわけではない。 

 会えないことには、なにも始まらないと、私はイーザック様に自己紹介を兼ね、手紙を書いた。


 ――でも、手紙の返事は一通もありませんでしたね……


 それが、私に対する夫の答えだったのではなかっただろうか。 

『私を愛さない』という答え。

 両想いだったイーザック様とメリアの恋を邪魔したのは私。

 政略結婚相手の私を愛することはない。

 一年間、興味を持ってもらおうと、行動してきたつもりだった。

 けれど、夫は一度も振り向いてはくれなかった――自分の手を握り締めた。


「イーザック様が私以外の妻を必要とされるのでしたら、私は反対できません」

 

 妻とは名ばかり。

 王妃と呼ばれても、夫からの愛情がなければ、権力も皆無。

 決めたことに反対できる立場ではない。

 新しい妻として迎えられたメリアを受け入れる以外、私に選択肢はなかった。

 

 ――イーザック様もそれをわかっていて、私をここへ呼んで、メリアや大臣たちの前で新しい妻を認めさせた……

 

 私が新しい妻を認めれば、側妃であってもメリアは堂々と振舞える。

 むしろ、私が遠慮をして王宮で暮らさねばならないくらいだ。

 

 ――もし、ここで泣いてすがれば、少しは変わるのだろうか。


 そんなことを考えた自分に苦笑した。

 私の人生が泣いて変わったことは一度もないというのに……

 ささやかな望みすら、叶えてもらえたことはない。


『ほんの少しでいいから、王宮の外に出てみたいの。草原を走ってみたい!』 


 そう言っただけで、私は周囲から白い目で見られた。

 ドーヴハルク王家のしきたりで、生まれた王女は結婚するまで後宮から出られない。

 王以外の男性と会うのは、王の許しがあった場合のみである。

 祭りに行きたい、店へ買い物にでかけたい――そんな願いを口にすれば、侍女たちからは『はしたない!』と叱られる始末。

 結婚すれば、少しは自由を得られるのではと期待した。

 けれど、結婚後は兵士や侍女がいて、自由に外出できず、夫とでかけることもなかった。

 結局、嫁いだ今も自由はない。


『レフィカ様。結婚すれば、運命が変わりますよ』


 私にそう言ったのは、後宮に出入りしていた女商人だった。

 ドーヴハルク王国の後宮では、女性しか出入りが許されないため、商人も女性のみと決められていた。

 異国の女商人は、結婚が決まった私に言った。

 何気ない挨拶のような一言だったけれど、それは私に希望を与えたのだ。

 赤髪の女商人の言葉を思い出す。

  

『私が尊敬する方がおっしゃっていました。願いを叶えてもらうのではなく、願いは自分で叶えるものだと』


 ――願いは自分で叶えるもの。


 国々を旅してきたであろう彼女の強い言葉。

 信念を感じた。

 私にだって願いはある。


「形だけとはいえ、お前が正妃だ。それで文句はないだろう」


 愛はなくても、私の正妃という立場だけは守られるらしい。


「なにか他に要求はあるか?」


 私の願いは、心臓に刻まれた五つの【契約】を無効にし、死の運命から逃れ、自由になること。

 忌まわしい死の呪い。

 これを解く方法はない――今のところは。


「今よりも、自由にさせていただけるのでしたら、形だけの妻で構いません」


 五つの【契約】により、私は自分の意思で、別れることができない。

 私の命は父と夫に握られている。

 本当の自由を手に入れるには、【契約】を無効にする方法を見つけるしかない。


「今よりも自由にか……」


 イーザック様は顎に手を置き、考える仕草を見せた。

 私が初めて夫に要求したお願いだった。

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