狂気猫

馬村 ありん

月色

 次第に大きくなっていったんです。最初に出会った時は通常サイズというか、両腕に抱き締められるくらいの大きさでした。

 彼は、三毛猫で毛並みがよく、愛らしい顔をしています。その瞳の色が特徴的で、満月のような美しさをたたえているのです。


 私は、役所勤めをしており、駅から大通りにつづくその通りを毎朝歩いています。あの日、『にゃあん』と鳴く声に引き止められました。幼いころから無類の動物好きなこともあり、駅へと急ぐ人波に逆らい、足を止めてあたりを見渡しました。

 三毛猫は歩道の一角にその小さな体を横たえていました。黄色い瞳が、表情にとぼしい私の顔を映し出していました。猫は『にゃあん』と鳴きました。そのお腹に触れると、被毛を通して、血の通った体の温もりが伝わってきました。その瞳に映った私は、ほほえんでいました。


 このまま連れていきたいという思いに駆られましたが、朝の出勤中でしたし、そもそも母が猫アレルギーなので、それはできない相談でした(昔実家で猫を飼っていたようです。偶然にもそれは三毛猫でした)。

 別れ際、猫はさびしそうににゃあんと鳴きました。まるで私を母親と勘違いしているかのようでした。私も後ろ髪引かれる思いで、何度も猫を振り返ったのですが、その間猫の視線はずっと私に注がれていたので、胸が痛む思いでした。

「じゃあね、猫ちゃん」

 そう声をかけた私を、通りがかったスーツの男性がけげんな顔で見てきました。まるで、そこに猫などいないかのような素振りでした。


 どこかでもう一度出会いたい。しかし、その後はしばらく猫と会える機会はなく、朝の通勤路でその姿を見かけることはありませんでした。

 次に出会ったのは意外な場所でした。


 それをお話しする前に、個人的な私のある事情について、あけすけにお話ししなくてはいけません。この手記を読まれた方のなかには不愉快を催す方も少なくないと思います。その場合は閉じていただきたくお願いします。


 私は無類の男好きでした。毎週末になると、マッチングアプリで出会った男とホテルで落ち合い、一夜限りの情事を楽しんでいました。

 今年で二十七歳になりますが、ターゲットは年下の男ばかりでした。年頃の男性にとって、私の年代の女性は魅力的に感じられるのでしょうか。これまで相手に事欠いたことはありませんでした。


 間違いなくこの性質は母から受け継いだものです。まだ小学生の頃、母が男と性交しているのを私は目撃しました。相手は父ではなく、母が社長を務めるデザイン会社のアルバイトで、大学生でした。

 母は、全裸で男の上にまたがり、腰を前後に動かして、野太い嬌声きょうせいを上げ、顔には喜悦を浮かべていました。

 仕事が忙しいこともあって、母との交流の機会は少なかったものですから、この記憶は衝撃を持って私の網膜に刻まれました。

 これが唯一の〝性〟のお手本となったためか、現在の私をかたちづくり、週末ごとの男あさりという習慣をもたらしたのだと思います。

 ちなみに、父と母は今でも円満な生活を送っています。実家暮らしの私ですが、彼らとの仲は良好です。


 話が長くなってしまいました。私が猫と再会した時の話をしているところでした。


 再会した場所は、とあるモーテルのベランダでした。朝日が昇るころ、窓ガラスをノックするコンコンという音が聞こえてきました。何度も執拗にノックがあったので、私は眠い目をこすりながらベッドで裸の半身を起こしました。

 カーテンの隙間からのぞくと、窓の外にはあの時の三毛猫がいるではありませんか。

 バスローブをはおり、まだ日差しの弱い朝のベランダへと出て行きました。猫は私の姿を目にとめて、にゃあんと泣きました。

「こんなところにどうしたの」

 思わぬ再会でした。猫がベランダのコンクリートの上で仰向けになってお腹を見せてきたので、私はそのお腹をなでてあげました。

「何? 猫?」

 昨晩愛し合い、見つめ合った男の声でした。

「動物好きなんだね。かわいいなあ、おお、よしよし」

 男が手を近づけますが、猫は身をひるがえし、距離をとって、カルルルと唸り声を上げました。

「なんだよ、かわいくねえな」


 猫が私の背後に隠れましたので、愛しくなってその背に触れました。

「にしても、デカい猫だね」

「成長したのかなあ」

 男の言う通りでした。どのくらいとか、どこがとか、正確なことは言えないのですが、前に見た時より大きくなっているのです。それは体重が増えたとか体長が伸びたということではありません。言ってみれば、全身の縮尺はそのままに、拡大されたかのようなのです。


「ねえ、まだ時間あるしさ、ヤッていかない?」

 男の手が私の胸へと伸びて来ました。それから間をおかずに、男はその手を引っ込めることになりました。

「痛ぇ!」

 ニャア。鋭い悲鳴をあげて、猫が男の指に爪を振るったからです。傷は深く、男の指は肉をえぐられ骨まで露出していました。

「殺せ、そのクソ猫!」

 罵倒しながら泣きわめく男を尻目に、猫はベランダから外へと飛び出しました。

 手すりから身を乗り出すと、アスファルトの道路を走り抜けていく猫の後ろ姿が私の目に入りました。

 その後は、男の求めに応じて救急車を呼んでやりました。その男とはそれきり会ってはいません。

 あの猫はどうしてここに? きっと偶然なのだ。そう思うことにしました。

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