From Here to Sky 〜ココより高く〜

つかさあき

第1話 イカロスの翼

1


 雪がちらつきそうな鉛色の雲に寒風が吹き荒ぶ2月の頃。道ゆく人は身をかがめ、白い吐息を吐き出していたが、パレミデア学園中等部の体育館の中は熱気に包まれていた。

 この日はバスケットボール部の練習試合があり、それは中等部3年生にとっては最後の他校との試合、つまり引退試合であったのだ。

 卒業も近づき、各々の進路もおおよそ決まって、あとは卒業を待つばかりのこの時期、生徒たちは娯楽に飢えていた。そこにバスケ部の練習試合である。

 室内スポーツという事もあり、また過去に地方大会ベスト4まで勝ち進んだ実績も相まって、パレデミア学園においてバスケ部は人気のあるクラブであった事も手伝っていた。

「ナイッシュー!」

 パレデミア学園バスケ部主将の小山内おさないがシュートを決め、黄色い歓声が飛ぶ。

 ベスト4進出も小山内が居ればこその戦績であった。何せ、中等部2年の時から名前とは裏腹に身長が170センチに届こうかというくらいに伸び、今もなお成長中である。高等部ならいざ知らず、ついこの間まで小学生だった同年代相手だと、身長の高さだけで大きなアドバンテージとなる。

 羨望と憧れ、称賛の声を浴びる小山内に、飛渡ととココは険のある視線を小山内に向けていた。

 飛渡ココも小山内同様、今日の試合が引退試合であったが、3年間クラブ活動に精を出してきて、これが初めてのフル試合出場であった。

 小山内と違い、平均よりも下の身長。並かそれ以下の運動神経。やる気はあるが、なかなか結果の出ない練習成果。

 それでも飛渡が辞めずに続けれ来れたのは、このパレデミア学園が創立3年目、つまりは小山内や飛渡同様、学園自体も新設も新設であったのだ。

 ただでさえ少ない部員。さほど戦力にならない飛渡であっても、最低5人はいないといけないバスケ部には欠かせない存在であった。元より辞めてやろうなどと思ったことはないのだが。

 だが、飛渡が小山内に険しい顔をしてみせたのは、何も3年間の不満からではない。自分の実力は分かっているし、3年間補欠も仕方ないと納得している。納得いかないのは、ゲームが始まってまだ一度もボールに触っていないからだ。

 味方が奪ったボールは全て、小山内に集められる。飛渡には回って来ない。

 だったら自分から奪いに行こうとするも、相手との実力差から奪うどころか簡単にマークを外される。敵に抜かれるたび、無責任な観客と部員たちからブーイングが飛ぶ。

 ──引退試合なんだから、とにかくマークをしときなさいよ! 負けたら元も子もないじゃない!

 言葉ではそう言っているが、余計なことをするなと飛渡には聞こえた。お前は小山内にボールを回せ、それが出来なかったら敵の動きを少しでも止めろ、と。

 飛渡はボールコートで、ひとりで戦っていた。


2


 ──そもそも、バスケ始めたのは、背が高くなるかなあ、程度だったんだよね。

 コートを走りながら、思いを馳せる。

 ──楽しくボール遊びができたらいいな、程度だったんだよ!

 マークしていた敵が、あっさりと飛渡を抜く。シュートは外れ、ほっとする。

 ──同学年にあんなのがいるって分かっていたら、バレーに入ってたよ!

 反撃に転じた味方が、例によって小山内にボールを回し、小山内はエースに相応しくシュートを決める。

 スコアは21対17。4点差で負けている。さすがに敵も小山内のマークをきつくし、簡単にはフリーにさせない。それでも決めていく小山内はさすがと言うべきだった。

 ──そりゃ、小山内は凄いよ。今だってマークをくぐって、見事に得点を決めたのだから。

 でも、と小山内は思う。

 ──入部早々、目標は全国出場です、なんて言われたらさあ、フツーのあたしなんて、ほんっとうに迷惑なんですけど!

 飛渡はテンプレめいた目標、ほとんど忘れたが、確か一生懸命頑張ります! と目標なのか行動方針なのか曖昧なものだった。飛渡だけではなく、他の部員もそうだった。ただひとり、小山内だけが明確に「勝つ」こと、しかも「全国」を目標にしていた。

 それには理由がある、と飛渡は思う。

 このパレデミア学園、新しい学園なのに資金力が豊富なのか、特待生制度があるのだ。この特待生制度は中等部で活躍した者が高等部に進学する際、学費や待遇の面で大きな援助を受けることが出来るのだ。

 小山内はそれを狙っているのだろう。そして高等部でバスケ日本一という偉業を達成するつもりだ。そのためには学業もある程度免除されるスポーツ特待生の権利を得るために、中等部いま頑張って結果を出そうとしているのだ、と。

 恵まれた体格と運動神経。同い年と思えない、堂々とした態度。

 ──でもね、皆が皆、あんたみたいに早くから目標が決まっている訳じゃないんだよ!

 飛渡も高等部の進学は決まっている。しかし文武のどちらでも平均的な飛渡が、特待生の権利を受けることはない。クラス担任からもクラブ顧問からも、そんな話を持って来なかったし、持ちかけてくるだろうとは飛渡自身、思ってもいない。

 ただ一つ、飛渡が気になっている学科がある。それはパレデミア学園の売りの一つでもあるのだが、高等部には特別情報配信コース、というものがあるのだ。

 特別情報配信コース、などと仰々しい名前が付いているが、平たく言えば、過度な情報化社会の現代、正しい情報を発信できるように学ぶ学科だ。それだけなら他の学校でもあるだろうが、この学科内にはネット配信者コースと言うものが存在する。

 専門学校ではそういう学科もあるだろうが、普通科高校ではパレデミアはパイオニアを切ったのだ。

 そして創立3年目の学園では、まだ誰も配信者としてデビューをしていない。


3


 第2クオーターを終え、10分のインターバルに入った。

 顧問の叱咤激励が飛ぶ。それをメンバーは水分を補給しながら聞き流している。どうせ引退試合であり、小山内の花道以外に意味も意義もない試合だ、とメンバーは思っているようだった。

 顧問もそれを察しているが、最後の試合くらい楽しんでこい、程度しか言わない。もっとも普段の試合であっても、小山内に回せ、集めろとしか言わないのだが。

「センセ、メンバーチェンジは無しっすか?」

 スタメンの一人、大垣が言った。3年は6人。引退試合で3年全員を出場させようとすると、誰か一人、交代させなくてはいけない。いけないのだが──

 小山内を除く部員が、飛渡を見ている。

 後半戦、メンバーチェンジするなら、お前が代われと言っているようなものだ。

 顧問は型通り、スタメンを見る。

 前半を戦って、皆、息が上がっている。肩で息をしていないのは、小山内と飛渡だけで、他の部員は今にも倒れそうだった。

 それもそのはず、この練習試合は当初、組まれていなかったのだ。そもそも引退試合は秋季の地区大会、つまり公式戦で終わっていたはずだったのだが、どうやら打倒、小山内を掲げる他校のチームは多かったらしく、年明けに急に決まったという経緯があったのだ。

 まさか卒業間近に練習とはいえ、試合が組まれるなんて思ってもしなかった部員たちは不満を漏らした。引退したので、練習などほとんどしていなかったのだ。

 ただ小山内と飛渡は、後輩たちの指導という形でクラブに顔を出し、指導に当たっていたので、急激な体力の低下、運動神経の鈍化といったものは、他の3年部員よりも少なかった。

 ──後輩たちには、頑張って欲しいな

 これで本当に最後。あたしが交代して、あとは応援。なんかあっという間に終わったような気がするなあ。

 タオルで額から流れる汗を拭う。拭っているうちに、汗以外のものが頬を伝っているのに気づいた。

 ──ウソ、泣いてるの、あたし!?

 慌ててタオルで顔を隠す。幸い、他の部員には気づかれていないようだ。

「メンバーチェンジか」

 顧問の声がする。どうせ小山内と体裁だけの相談をしているのだろう。それよりあたしは応援の前に泣き止まなくては、と涙を拭くが、何故か止まらない。

 ──そっか、あたし、まだボールに触ってないじゃんか……

 3年間、誰よりもボールに触ってきた。でもそれは、練習後のボール拭きだ。

 1年の時は、皆でやった。まだ先輩がいなかったから。

 2年の時は、後輩と混じってやった。まだ下手っぴだったから。

 3年の時は、後輩がコートに立っているのを横目で見ながら拭いていた。

 決して不真面目に取り組んでいた訳ではない。一年の時は人数合わせであっても、コートに立てた。でも2年になると上手い後輩が入ってきて、押しのけられた。3年になっても、後輩との差は縮まらなかった。

 それでも腐らず、というか負けず嫌いが働いて、誰よりも早くコートに来て準備をし、誰よりも遅くコートに残った。

 しかし悲しいかな、補欠の宿命か、雑用は多くさせられるものの、練習にはなかなか参加できなかった。総じて練習時間はレギュラーが優先された。

 それもこれも、小山内が地区大会ベスト4なんて偉業を2年の時にやってのけるから、学園側もその気になったのだ。

 自分にバスケの才能がないことは分かっている。でも、どこかできっと出場の機会はあるはず、と居残り練習を黙々とやってきた。走り込みも自主的にやった。

 だけど公式戦での出場は、大差で負けている時、お情けで出してもらうくらい。

 ──自分なりに、頑張ってきたんだけどなあ。ここまでか。

「メンバーチェンジ、大垣に代わって成瀬、いけ」

 ──ほら、顧問も言ってる。大垣に代わって成瀬さんだって……ん?

「え? あっしっすか?」

 困惑しているのは飛渡だけではなく、大垣もだった。いや、小山内を除く全員が驚きを隠せていなかった。

「大垣、あんた、足が動いてない。他の3人も。まだ体力に余力があるのは、私と飛渡くらい」

 それまで黙ってスポーツドリンクを飲んでいた小山内が言った。

「でも引退試合だよ? だったらベストメンバーで」

 大垣はなおも食い下がる。

「飛渡はちゃんとマークにつける。あんたは?」

「っ!」

「最後の試合。例え練習試合であっても、勝って終わりたい。ならベストメンバーから飛渡を外すって選択は──ない」

 しん、と静まり返る。さすが小山内先輩という後輩と、まだ勝ちにこだわるの? という3年生、という具合に反応は様々だったが。

「地区大会、ベスト4と言う悔しい結果に終わったけど、あの時みんな、負けて悔しいって泣いていた。だから次は勝とうって言ってたから、私は勝つための練習をした」

 思い出しただけでもゾッとする、地獄の練習メニューは確かに地区大会敗退後から始まったのだった。

「その甲斐もなく、地区大会突破は出来なかった責任は、キャプテンである私の責任。だから最後は負けられない。あなたたちに、もう悔しい想いはして欲しくないから」

 小山内はそこまで言うと、頭を下げた。観客からはケンカか? といったざわめきが起こる。そんなノイズに惑わされることなく小山内は、

「だから大垣、納得してくれないか」

 一瞬、ポカンとしていた大垣だったが、

「ま、まあ、小山内がそこまで考えていたなら、文句ないよ」

 渡に船とばかり、交代に賛意を示した。

「じゃあ、成瀬、頼んだよ」

「わーってる!」

 ハイタッチを交代の代わりとし、

「飛渡!」

 と、大きな声で、ついでを装って大垣が声をかける。

「な、なに?」

 3年間、同じクラブでやってきた仲間だが、レギュラーと補欠の壁というのは分厚く、面と向かって話しかけられたのはいつぶりだろう?

「後半、がんばんなよ」

 それだけ口早に言うと、さっさとベンチに腰掛けて頭からタオルを被る。

 ──ああ、そういえば一年の時、最初にドリブルを教えてくれたのって、大垣だったな。

 いつから、初めの頃の記憶を失ったのか。レギュラーと補欠の前に、同学年だったのに。もしかしたら、自分からも壁を作っていたのかもしれないな……

 そんな想いも今はいらない。試合が終わった後で語り合えばいいじゃないか!

 パンと頬を打ち、飛渡は気合を入れ直す。

「やる気だな、飛渡」

 小山内が不敵な笑みを浮かべ言う。

「よし、皆。これが最後だ。後半戦、いくぞ」

「おー!」

 5人のベストメンバーは、拍手と歓声に送られ、コートに戻っていった。


4


 とは言え、後半戦になっても基本戦術は同じだった。とにかく小山内にボールを集める。それまでは守りを固める。

 しかし相手も予測していたことで、小山内を止めるため、手を打ってきた。

 ──小山内に二人ついてる!

 そうなれば一人、フリーになる。誰がフリーになるかと言えば、飛渡だった。相手も飛渡の実力を前半戦で把握しての判断だろう。

 舐めた真似を、とは思わない、冷静に分析して、自分が一段も二段も落ちると自覚している。けれど、それで平気な訳がない。

 ──体力には自信があるんだ!

 先ほどの小山内の檄と、この舐めた相手の戦法に飛渡の闘争心に火がついた。自由に動ける分、相手ゴールの真下に陣取って、ボールが来るのを待つ。それだけでもプレッシャーになるはずだ、と思っていたが、やはりボールが回ってこない。

 ボールは小山内か、代わったばかりで体力に余裕のある成瀬に回る。

 小山内は成功率こそ下げたものの、2人マークの中でもシュートを決める一方、秋季大会以降、あまり練習に顔を出さなかった成瀬はリングに当てるものの、決定力に欠けていた。

 そうこうしている内に、点差は更に開いて行く。27対20。孤軍奮闘の小山内も、やや疲れが見えてきた。

 こぼれたボールを小山内、成瀬に集める作戦に終始した第3クオーター、飛渡はほぼずっとゴール下でパスを要求していたままで終わってしまった。


 ベンチに戻ると空々しい慰めの声が迎えた。よし、よく耐えた。次で逆転すればいいんだ。そして、

「小山内に集めるんだ」

 の、声。

 それらのアドバイスとも言えぬアドバイスに小山内は無言を貫いていた。疲れて口も聞けないと言うよりは、第4クオーターに備えて体力回復と作戦を練っているのだろう。

 第4クオーター、メンバーチェンジはなかった。代わりに第3クオーターの時の様な、熱い声援もなかった。


 コートに立って飛渡は思う。

 これがユニフォームを着て立つ、最後のコートだ、と。

 7点差。マークが激しい小山内に取れるだろうか、と考える自分に気づき、飛渡は違うだろ! と頭を振る。

 では他の3人は? これも疑問だ。成瀬を含め、皆、体力の限界に近い。それは皆、分かっているはずなのに、どうして自分にパスをくれないのか。

 ──補欠だからか……

 レギュラーメンバーは小山内を除いて、それほど熱心に練習をする訳ではなかった。少なくとも居残り練習をしているところを見たことがない。

 それでも自分より上手いのだから、努力ってなんだろうと何度、自問自答したことか。

 そんなことを考えていると、

「行けるか」

 背後から不意に声をかけられ、倒れそうになった。

 振り向くと、小山内が見下ろしていた。

「い、行けるってなに?」

「第3クオーターのように、ゴール下に陣取れ」

 それだけ言うと、小山内は用は済んだとばかりに他のメンバーに指示を出し始めた。

「初めてだ」

 大きな小山内の背を見ながら、飛渡は呟いた。

「初めて、指示をもらった」

 最後の試合、第4クオーター。今更って思わない。今、報われた気がした。

 

 ゲームが始まると同時に、相手チームの猛攻が始まった。一気に突き放す、と言うよりは、小山内との対戦を、つまりは戦国時代の一騎打ちのような感じだった。

 小山内がボールを手にする。すると止めてやるといった気迫を持った相手選手が襲いかかる。小山内とてその勝負に乗らず、パスを回せば楽を出来るのだろうが、飛渡を除いた3人は、もう体力も底をつきかけているようで、下手にパスをしても奪われる可能性が高かった。

 結局、小山内の独壇場だった。体力お化けなのか、疲れを感じさせない動きで敵陣に単身乗り込み、シュートを決める。

 ──そりゃ、相手も認めるわ。

 同じコートに立ちながら、飛渡も認めざるを得ない。

 きっと今、小山内と同じコートに立っているのは何かの間違いだ。小山内は高等部に特待生として進むだろう。そういう噂話はあちこちで聞いている。

 そして高等部で結果を出すだろう。ひょっとするとプロやオリンピック選手になっているかもしれない。

 それに引き換え、自分は平凡な日常を高等部でも送るんだろうな、とぼんやり思う。高等部は文化系のクラブに入ろうか、それとも帰宅部にしようか。

 こう見えて、イラストには自信があるんだ、美術部とかに入れば、小山内のように注目を浴びれるかもしれない。

 でも今は、この瞬間は、バスケに集中したい!

 そんな熱い感情が自分のどこにあったのか不思議でならなかったが、最後のこのコートだけは、高等部レベルと言って差し支えない小山内と同等な気がしたのだ。

 ──集中だ、集中!

 コートを見渡す。見慣れたコートだ。3年過ごしたコート。感傷を押し殺し、スコアを確認する。

 30対25。

 2ポイント縮まってる。それもほぼ小山内だけの活躍で。

 その小山内が今度は何と、スリーポイントを決めた。

 30対28。逆転も夢ではない。観客も沸きに沸いている。

 しかしここで、相手チームは攻めから守りに作戦を変更した。小山内との一騎打ちは終了、やはり勝って終わりたいのは相手も同じだ。

 3人が小山内につき、一人はパレデミアのゴール下。残る1人は遊撃といったところである。

 対して飛渡たちは、小山内が恐ろしいくらい元気なだけで、残りの3人はもうゲームから降りてるような、それほど疲労困憊の体だった。

「時間ないよ!」

 外野から声が飛ぶ。いつの間に残り1分を切ったのだろう。

 そんな事に気を取られていると、相手チームに1ポイント取られてしまった。31対28。スリーポイントでも同点。

 ──もう、どうして!

 ゲーム前に、ゴール下に陣取れと言ったのに、結局ボールは回って来ない。小山内に限って、陰湿ないじめめいた事はしないと信じたい。でもどうして、ボールを回してくれないのか……

 まだ諦めていない小山内は、最後の力を振り絞って、ドリブルで敵陣に単身切り込んで行く。相手チームは総出で小山内を止めようと迎え撃つ。

 コートは小山内と、小山内を止めようとする相手チーム全員に注目が集まっていた。観客も、プレイヤーですらも小山内以外のパレデミアメンバーに注意を払っていなかった。

 双方の応援、バッシュがコートを切る音、ボールの弾む音が体育館を包み、最高潮に達しようとした時、

「小山内、こっちだ!」

 一瞬、時間が止まったかのように、静寂が体育館中を包んだ。

 ひとり、小山内だけが笑いながら、その長身を活かしてパスを出す。

 誰もが虚を突かれた。いや、無警戒だった。3年間補欠。試合経験も僅か。数合わせのメンバーと思われていた飛渡に、ボールが渡った。それもスリーポイントが狙える位置で、だ。

 ボールは吸い付くように飛渡の胸元に収まり、そこから自然な流れでシュートを放った。驚くべき事にスローイングに一切の迷いがなかった。

「ゴール下に陣取れって、言ったのにな」

 その声は達成感に満ちていた。


5


 試合が終わり、本当の引退を迎えた飛渡は、部室の片付けを済ませ、家路に着こうとしていた。

 もう着る事のないユニフォーム。まだ履くだろうか、バスケットシューズ。ふわふわな肌触りでお気に入りのスポーツタオルも、毛羽立ってクタクタになっている。

「自分のロッカーくらい、掃除するか」

 このロッカーにもお世話になった。次は誰が使うのだろう。と思いながら、簡単な掃除をする。

 掃除を済ませ、私物を入れたバッグを抱えて部室を出る。

 すでに外は暗く、しかし夜空には星が数多くまたたいていた。

 いつも居残り練習でクタクタになって帰っていたので、空を見上げて帰る事などなかったのだが、これだけ綺麗な空を見ずに帰っていたなんて、勿体無いことをしていたなあ、と苦笑する。

 ──そうだ、春休みはどこか旅行に行こう。景色が良いところなんかどうだろう。ひとり気ままに旅するなんて、ちょっと大人っぽいじゃん。

「ニヤニヤして、何かいいことでもあったか」

「ぴゃっ!」

 不意の声は、小山内だった。

「驚くな。こっちが驚くじゃないか」

「え、え? 小山内さん、まだいたの?」

 小山内は同期や後輩に囲まれ、あちこちで写真を撮ったりしていたので、てっきりもう帰ったものだと思っていたのだ。

「キャプテンとして、部員が全員帰るのを見届けないとな」

「あ、どうも、お待たせしました」

 なんとまあ律儀な人だ、と思いながらも、

「でも、あたしが居残り練習してた時は見ませんでしたけど?」

 ちょっと意地悪に言ってやった。

「それは済まないといつも思っていたんだ。なんせ、練習があったから」

「練習?」

 おうむ返しに問い返すと、

「歩きながら話そうか」

 と、小山内は部室に鍵をかけながら言った。


 小山内の話によると、彼女は学園のクラブが終わった後、地域のバスケットボールクラブの練習に参加していたらしい。そこは高校生や社会人も来るようなクラブで、当然レベルが高い。

「そりゃ、上手くなるわけだ」

 練習量の質と量が段違いだ。

「でも、ダメだった」

「ああ、うん。ごめん」

 最初で最後のスリーポイントシュートはリングに嫌われ、得点にならなかった。最高の自信があっただけに、ショックも大きかった。

「違う、その、ココがダメだったと言ってるわけじゃない」

「ココ?」

 小山内に下の名前で呼ばれたのは、後にも先にも今回が初めてだ。

「ん? 下の名で呼ばれるのは嫌か?」

「あ、いや、驚いただけ。でもなんで今?」

「キャプテンとして、特定の誰かを特別な呼び方は出来ないだろう?」

「ぷっ。なにそれ?」

 ここまで堅物だと呆れるというか、笑えるというか。不器用な娘なんだろうか、と今頃になって思う。

「今日でキャプテンも最後だから、ココに言っておきたいことがあってな」

「なあに?」

 もうクラブも引退。キャプテンでエース様に何を言われても怖くはない。

「居残り練習をしていたの、知っていた。それだけじゃない、雑用やボール磨き、モップ掛けも、誰よりちゃんとやっていた」

「え〜、いまさら〜?」

 そう。いまさら。もう終わってしまったこと。だから笑い話。

「ココの頑張りは知っていた。でもそれ以上に全国で勝ちたかった。それが無理ならせめて地区大会優勝を目指していた」

「小山内の目標だったもんね」

「そう。だから上手いメンバーを優先させた。例え熱心じゃなくても、上手ければ勝てると思っていた」

「違うの?」

「違う。あたしなんかがそうだ。バスケは自信があったから、学園と学外とで練習したが、個々の能力は個人プレーに終始する」

 ココの能力と聞き間違えそうになった。紛らわしい。

「だから、バスケはこれで終わりだ」

「え?」

 唐突な告白に飛渡の目が丸くなる。

「それで高等部の特待生だが、ココ、どうだ?」

「は? ちょ、ちょっと話が見えないんだけど」

 バスケを辞める。おまけに特待生も辞退する。代わりにお前が行け? どういうこと? そもそも何であたしに? 情報量が多く、飛渡の頭が熱くなる。

「ココは誰よりも負けず嫌いだから、特待生で特別情報化コースに行っても、大丈夫と判断した」

 そんなふんわりした理由で判断されても、と思う。

「てか、なんであたしの密かな志望コースを知ってるの?」

「顧問と担任に聞いた。譲渡するからには、当然だろう?」

「特待生資格を譲渡できるなんて初耳なんですけど〜?」

「だから確認した。すると資格ある推薦人──この場合、私だな──が譲渡するに足るとされる人物の推薦が担当者に認められた場合、譲渡可能とのことだ」

 難しい単語ばかりで、何を言っているのかちょっと考えないと分からなかった。

「つまり、えっと。小山内はあたしが特待生としての資格を持ってるって判断して、学園の担当者もそれを了承したってこと?」

「そうだ」

「あたしのどこが、特待生として認められる要素があるっての?」

 あげます、わーい、やったー、などと喜んでいられない。欲しくもない施しなんてごめんだ。

「理由か。まず3年間クラブを続けたこと。ほとんど毎日、居残り練習をしていたこと。人が嫌がる雑務もこなしていたこと。それらを後輩の範として示したこと──」

「ストップ、ストップ! 小山内があたしをちゃんと見ててくれたのは分かったよ! でもなんで今なのさ!」

 もっと早く言ってくれれば、もっと練習も頑張ったのに。

「済まない。ココの上達ぶりはちゃんと見ていたが、それでもレギュラーメンバーになるには、実力が不足していたからだ」

 情け容赦なく、バッサリと言う小山内。

「さっきも言ったが、個々の実力を優先してメンバーを選出していたんだ。でもココは選手としては向いてなかった」

「ずけずけとハッキリ言ってくれるけど、それを今ここで言う小山内は小山内で、キャプテン失格じゃん!」

「返す言葉もない。ただ選手としては不向きだったココだけど、その頑張る姿勢は誰も真似できるものじゃない。言い方は悪いが、地味なことをコツコツと続けることが一番難しく、一番尊いものだから」

 よくもまあ恥ずかしげもなく、そんなセリフをと内心思いながらも、何とか自分の思いを伝えようとする小山内が、ちょっと可愛く見えてきた。

「あんがと。でも選手に不向きってのはショックだなあ」

 結構、頑張ったのになあ、と思わずにいられない。

「指導不足だった。それも済まない。でも、もう大丈夫じゃないか」

「なんで?」

「今日の試合、声を出しただろう?」

「出したっけ?」

 なんだかんだで試合に集中というか熱中していたので、ぼんやりとしか覚えいてない。

「言ったじゃないか。パスを出せって」

「あ。あ〜あ〜」

 言ったというより、無意識に出てた言葉だ。

「ココが出た過去の試合、どれも声が出ていなかった。パスが欲しいのか、誰をマークするのか。声を出して行こう、とミーティングで言っていても、だ」

「ん〜、言われてみれば、そうかも」

 飛渡からすれば、声を出していたつもりだった。しかし試合の歓声などでかき消されるほどの小さな声だったのだろう。もしくは本当に出ていなかったのかもしれない。そこがあやふやな時点で、声が出ていないのと同義だ。

「だから嬉しかった。それも自分の意思でスリーポイントを狙えるポジションに移動してたんだからな」

 例え小山内であっても、あの時のマークを外して、シュートはできなかった。1分を切った残り時間。3ポイント差。

 そこにノーマークの飛渡が絶好のポジショニング。

「あの時にココの練習の成果が出たんだよ──選手として」

「そうかあ。無駄じゃなかったかあ……外したけど」

 頬を涙が伝う。冬の風が当たって冷たいはずなのに、心地いいくらいの温かさだった。

「リングには当たった。狙いを定め直して、高等部に特待生としていかないか?」

「行ってほしいの?」

「行って欲しい。高等部でココが本気で目指す夢に向かって欲しい」

「小山内、知ってる? 特別情報コースってめっちゃ競争率激しいんだよ?」

 そんなとこに放り込むなんて、小山内は意地悪だなあ、とうそぶく。

「でも、平気だろう? そうだな、例えて言うなら──」

 小山内は夜空を見上げ、

「無謀と言われても空に向かい、太陽の炎に焼かれたイカロスのように、誰がなんと言おうとも成し遂げる強さがあるじゃないか」

「今は夜なんですけど〜。そんでもってイカロスは悲劇じゃん」

「む。じゃあ、夜空に輝く星に──」

 あっはっは、と飛渡は笑う。いつぶりだろう、こんな心の底から笑えたのは。

「おかしいか?」

 小山内がむすっとした顔で言う。

「いい、いいよ、小山内! その不器用なとこ、もっと出しなよ、今以上に人気者になれるよ!」

「ばか。そもそも」

「はい、そもそもなんですか?」

「ココだって、こんなに明るい子だとは今まで知らなかった。やっぱり、声を出した方がいい。とても可愛い声だ」

「そう? そうかな?」

 ここまでストレートに褒められると嬉しいより、照れてしまう。

「──だとしたら、キャプテンの指導の賜物ですかねえ」

「ありがとう。ココにそう言って貰えるのが一番嬉しい」

 だめだ、小山内には勝てないようだ。さすがはキャプテンにしてエース。ならばここは観念してキャプテン最後のお願いを聞いてあげるとしよう。

「わっかりました、キャプテン! 飛渡ココ、高等部でビッグになってやるよ。だから応援してよね、イカロスみたいにならないように」

「イカロスが果たせなかった夢を叶えられるよう、いつも、いつまでも応援するよ、キャプテンとしてではなく、友人として」

 飛渡と小山内は顔を見合わせ、笑い合った。

 地上ここよりはるか高みにまで届くような、夢を語らう笑い声だった。


(了)

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