第7話

 その日の放課後、終礼が終わると同時に俺はロッカールームに急いだ。

 俺は彼女から逃げていた。休み時間もできる限り、誰かと一緒にいるようにした。木葉の初めての弁当も、彼女のことが気になってじっくり味わうこともできなかった。


 一人になってはいけない。一人になれば彼女が襲い掛かってくる。あの怪物のように首を斬られて死んでしまう。そんな気がしていた。早足で、俺は正門の方へと足を向けた。


 学校を出ると、俺は背後に気配を感じ振り返った。そこには、彼女が俺のことを睨みつけていた。片手には布にくるまれた長い棒状のもの。あの刀だ。

 ふと、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。彼女が俺の命を狙ってつけてきたらどうする? 家を知られ、木葉やさくらに危険が降りかかったら……。それだけは避けたい。あいつらを巻き込みたくはなかった。そう思い、俺は帰り道とは逆の方へと歩き始めた。


 後ろを意識しながら、ゆっくりと歩く。時折、走ったりしながらぐるぐると街中を歩き回った。それでも背後には彼女の姿があった。俺は彼女を撒くこともできず、ただ時間だけが過ぎ、夜が街を覆い尽くしていった。

 俺は撒くことを諦め、立ち止まり、叫んだ。


「なんなんだよ! おまえは!」


 振り返ると彼女は街灯の光の下へと、姿を現した。


「何で、俺のことをつけまわす……」


 俺の姿を睨みつけたまま、彼女が口を開いた。


「あなたが……狙われているからです」


 頭にまたビジョンが浮かぶ。俺に向かって刀を振り下ろす、彼女の姿。俺は恐怖を押さえ込み、また叫んだ。


「そんなの信じられるかよ!」

「あの怪物に狙われているからです」


 体が恐怖に支配されるのを恐れ、俺の言葉は止まらずに続いた。


「俺にとったら、あの怪物も、おまえも、どっちも同じなんだよ!」


 彼女は静かに俺の言葉を聞いていた。その時、またあの頭の痺れが起こった。そして、声が響いた……。


 ――――半分正解。


 頭の痺れに耐えながら、その声に耳を傾ける。


「は……半分?」

「その声に耳を傾けてはなりません!」


 彼女が何か叫んでる。


 ――――わかってるだろ?


 背後から、風が吹いた。


 ――――わかってるくせに……。


 急速に痺れが消え、俺は後ろを振り返った。目の前にあの怪物が迫っていた。


「う……うわあぁぁぁぁ!」


 俺の悲鳴と同時に彼女が俺の横を抜けて、怪物の攻撃を受け止めていた。飛び出したのが一瞬遅かったためか、怪物の腕は刀をかろうじて通り抜け、彼女の左肩にかすった。血飛沫が俺の頬にかかった。


「―――な……」

「お下がりください」

「何で……」


 俺は彼女の背中を見つめていた。肩に怪物の爪が食い込んでいく。制服が血に染まる。


「お下がりください!」


 怪物から目を逸らさずに彼女は俺に言った。


「私のことは信じてもらえなくても結構です! ―――ですが今だけは守らせてください。あなたのことを……私はあなたのこと……死なせたくはありません」


 怪物が空いてる左手を振りかぶった。


「お願いです! 下がってください!」


 俺は言われて、その場から離れた。

 俺が離れたのを確認すると彼女が怪物の右腕をなぎ払い、左手の攻撃をかわす。怪物から離れ、距離を置く。怪物は一気に彼女に近づき、腕を振り下ろした。体を少しだけずらし、それをかわす。太ももから血が吹き出る。


 彼女はアスファルトに突き刺さった怪物の腕に刀を突き刺し、そのまま懐に飛び込むと、一気に弧を描くように刀を振るった。怪物の首から大量の血が吹き出た。怪物はそのまま後ろに倒れ、その場には彼女だけが立っていた。


 肩で息をしていた彼女はバタリとその場に崩れ落ちた。俺はその光景をしばらく呆然と眺めていた。そして、彼女の肩の血を見て、すぐに傍へと走っていった。奥に見える怪物はブスブスと砂に変化していく。


「お、おい!おまえ、大丈夫か!?」


 傷口から大量の血が流れ出ている。それまで目を瞑っていた彼女がうっすらと目を開けた。そして、弱々しく、声を漏らした。


「大丈夫……です。少し、血を流しすぎてしまいました……」


 そう言って、身体を起こし、立ち上がろうとした。


「おい、無理すんなよ」


 俺がそう言うと彼女は一つ頷いてから、地べたに座り込んだ。肩口を抑え、痛みに耐えるように唇をかみ締めた。


「あ、あの……ごめん。俺のせいで……」


 すべては俺の勝手な思い込みのせいだった。彼女は初めから、俺を襲う気なんてなかった。考えればわかることだったのに。異常事態と、それに伴う恐怖が俺の判断力を奪ってしまっていた。


「―――なぜ、謝るのですか?」


 首を傾げて、彼女が俺に問いかけてきた。


「私があなたのことを勝手に守っただけです。どうか、私のことなどお気になさらず……」

「な、なに言ってんだよ! 助けてもらったのにそんなことできるかよ! 俺がおまえから逃げたばっかりに……ちゃんと逃げずに話してたら、こんな傷を負わずにすんだのに……」


 心底悔いていた。学校でも、帰り道でもいくらでも話す機会はあったのに、助けてもらったのに、勝手に怖がって、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。


「気に病むことはありません。私があなたの前に勝手に出て、勝手に怪我をしただけですから。どうか、お気になさらずに……」


 彼女はそう言うとすっと立ち上がり、刀を鞘に収め、鞄を拾って俺の方を見た。


「では、もう遅いのでこれで……」


 そう言って、頭を下げて背を向けた。破れた制服の向こうに、醜い傷跡が見える。


「―――おい、ちょっと待てよ。病院行かなきゃ、そんな怪我で……」


 呼び止める俺に彼女は振り返り、無表情で答えた。


「大丈夫です。それでは、澤見様。お気をつけて……」


 そう言い残すと、踵を返し、彼女は闇の中へと消えていった。取り残された俺はしばらくその闇を見つめていた。そして、仕方なく俺は木葉の待つ自分の家へと帰っていった。


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