『そうなるはずのない死体』
高らかな警笛と共に列車が動き出す。
ふむ。魔術を利用していると聞いたが蒸気機関であるところは同じようだな。非常に興味深い。しかし、それ以上に———
探偵は目の前に座る少女を見つめる。それは外から見た白い少女。彼女は動く車窓の風景を首だけ捻って眺めていた。彼女が相席の娘だろうか。では、両親は一体どこに。列車は出発してしまったが姿が見えないとは奇妙だ。微動だにしない彼女と異様な状況に困惑していると蒼瞳が探偵を向いた。
「お兄さんは悪い人?」
幼い声の主は大人びた口調で尋ねてきた。暫くの間、列車の音だけが流れた。そして、ゆっくり探偵が口を開く。
「この世には所詮、善と悪しかなく、その中間はない。私の好きな台詞でね。名探偵ポアロを知っているかね?」
「知らない。」
「ふむ。それは残念だ。そうそう。君の質問に答えなければな。答えは『君次第』と言っておこう。君が私を悪と見れば悪で、善と見れば善だ。」
「じゃあお兄さんは善。」
「どうしてだい?」
「私がお兄さんを善だと思ったから。」
探偵と少女は話を続けた。まず両親はどこか尋ねると大事な用事ができて来られなくなったと答えた。次になぜ一人でと訊くと行かなきゃいけないからと言った。流暢な子ではあったが年相応の心を感じた。
列車はいつの間にか街を外れて山麓を駆けていた。あのオリエント急行とは違ってレストランもバーもないので基本は部屋にいることとなる。座席を離れる時と言えば用を足すか一服するかのどちらかだ。
ギィ
軋む音が聞こえた。隣の二〇三号屋の客が外に出たのだろう。廊下を渡る足音が聞こえた。ヒールの音から女性かもしれない。探偵は用を足すと言って部屋を出た。
さて、トイレは前の車両か。
連結部は屋外となっていて彼が扉を開けると煙草を吸う男性がいた。それは今朝、乗り込んだ時に会った男性だった。彼は暫く空を見つめていたが火が消えたことで探偵に気がついた。
「ああ、貴方は今朝の。あの時はすみません。」
「いえいえ。随分とお疲れのご様子でしたが何かあったのですか?」
「仕事で少し行き詰まっただけですよ。」
「小説…ですかね。」
その言葉を聞いて彼は目を見開いた。
「そうです。なんでわかったんですか?」
「失敬。私は探偵をしているビーと申します。」
「探偵…もしかして帝都で話題になった…あの!どうして作家だって分かったんですか?」
「すまないが私は自らの推理を語るのは趣味ではなくてね。」
「小説の参考にしたいんです!我儘なお願いですが、どうかお願いします!」
「…なるほど、仕事に対する情熱は探偵も作家も同じですか。分かりました。簡単にですが、説明しましょう。
まずは手。その右手の蛸はペンを頻繁に持つ人ができるものだ。次に胸元のポケット。膨らみとはみ出た皮のカバーから察するに手帳のようだ。そこから普段からメモを取る人間だと考えた。」
「流石の観察眼ですね。でもそれだけだったら記者や学者の可能性がありますよね。」
「…私がここへ来た時、反応が遅れましたね。随分と考え込んでいるようでしたが小説のネタでも創っていたんですかね。」
「なるほど…」
「それにその服装。人前に出るには少々、汚れが目立つ。記者は人との対話で情報を集めます。身だしなみを気にしない貴方は記者ではない。」
「…面白い話でした。参考になります。」
「私からも質問していいかね?」
「はい。構いません。」
「何にそこまで悩まれているのですか?隈ができるほど寝られていないようですが、創造力の敵である睡眠不足を無視してまで何を考えていたのですか?」
「……それは…「このヘンタイ!」」
女性の大きな声が彼らの耳まで届いた。探偵は直様、声のした一号車へと入った。扉を開けた直ぐ先に便所。その扉の前で男女が睨み合っていた。
「アンタ!私の恥ずかしいところを見て興奮しようとしたのでしょ!」
赤いドレスのマダムが大柄な男の胸倉を掴んでいる。
「はあ…マダム。私は闘牛の趣味はないのですよ。特に牝牛にはね。」
「牝牛?!ア、アンタね!」
興奮したマダムを見て探偵が割って入る。
「美麗なマダムよ。何をそんなに憂いているのですか?」
「な、なに?!へ、変人??」
「ああ、私の格好は気にしないでくれたまえ。して、どうしたのかね?」
興奮した彼女をどうにか落ち着かせ、話を聞いた。聞いたところによると、マダムが便所を使用している間、この男性が扉の前で聞き耳を立てていたという。
「はあ、だからそんな事はしていない。全部この女の妄想だ。」
毅然とした男性は顔に傷があり、スーツ越しからでも体格の良さが伺えた。腰には若干の膨らみがあり何かを掛けていた。
「武器商人ですか?」
「ああ?」
「腰のそれは拳銃ですかな?」
「…テメェ。何が言いたい。」
「すみません。観察が趣味なもので。他意はありませんよ。」
「随分と無粋な趣味だな。」
「お褒めに預かり光栄です。」
「はあ…やりづらい。私は部屋に戻らせてもらう!」
彼が踵を返したその時、列車が大きく揺れた。
"キィィィィィィ"
金切り音と共に倒れそうなほど大きな衝撃が身体を襲う。
"バボゴゴォン"
後方から爆発音がした。さらなる揺れが彼らを襲い倒れる。
暫くして揺れが収まり、列車が完全に停止した。探偵はすぐさま立ち上がり後方へと向かった。
「大丈夫かね。」
自室の扉を勢いよく開けた。
「うん。大丈夫。」
少女は何も変わりなくそこに座っていた。
「それより後ろが大変みたい。」
彼女の言葉を皮切りに異様な匂いと音に気がつく。それは物が焼ける匂いと音。
探偵は二号車を出て三号車(貨物車)を確認した。するとそこには大きな火柱が立っていた。炎は次々と貨物を喰らって、その威力を強めている。
「退いて!」
突然、背後から叫ばれた探偵は返事もする間も無く体をずらされた。
「止まり静まる 透き世界 『懺悔』」
そう唱えたのは駅で見かけた若奥様だった。彼女がかざした手から白い風が渦状に飛んでいくと火が段々と小さくなり消えた。
「なるほど魔法かね。」
「よかった。間に合ったわね。貴方は無事かしら?って凄い格好ね。」
「助けてくれて感謝する。して今の魔法、もう一度見せてくれないか?」
「魔法?ああ、魔術のことね。もしかして貴方、迷い人?」
「迷い人?確かに解けない謎は迷宮入りと云うが探偵である私に解けない謎はない。であるからして、私は迷ってはいない。」
「何を言っているか分からないのだけど魔術を魔法ってよく迷い人は勘違いするらしいわね。」
「その違いについて詳しく…」
「エミリ!大丈夫かい?」
それは彼女の夫だった。円眼鏡に刈り上げた髪、その額にはびっしりと汗を滲ませていた。
「もう。心配しすぎよ。子供達は?」
「二人とも部屋にいるよ。君が突然走り出すから驚いたじゃないか。」
探偵は二人を横目に燃え跡を調べた。先程の魔術の影響か燃焼物は表面が凍り冷気を放っている。それは木箱、その中に仕舞われていたのであろう品々にそれらに被さっていた布や紐のようだ。色々な物が積まれているようだが火元になりそうなものは見当たらない。
ふむ。ここで一体何があったのか。
「皆さん!すぐ中に。外は危険です!」
作家が慌てて彼らを車内へと戻す。
「何があったのかね。」
「ド、ドラゴンです!」
その言葉を聞いた夫婦は顔を青ざめさせて、子供たちの様子を見に行くと二〇二号室へと駆け込んでいった。残された探偵は作家へ質問を続けた。
「ドラゴンというのは?」
「え?ドラゴンを知らないのですか?!もしかして迷い人?」
「はあ…先程も言ったが私は迷ってなんかいな…」
「ドラゴンは古代からいる恐ろしい魔法生物です。」
「人の話は遮るなと君の辞書にはなかったのかね。」
「奴は強靭な肉体をもち、どんな魔術も攻撃も効きません。」
「大きな翼で空を駆け、世界中を巡っているらしくて。それに頭も良くて大昔にはドラゴンと会話する辰人と呼ばれる人たちもいたらしいのです!」
「わかったから落ち着き給え。」
「す、すみません。」
「随分と興奮していたがドラゴンが好きなのかね。」
「はい。小説の題材にするぐらいには。ドラゴン伝説は子供ころから好きでした。」
「魔法生物というのは?」
「そんな質問するなんて本当に迷い人なのですね。」
「はあ、もうそれでいい。それで魔法生物、魔法について教えてくれないか。」
「魔法は『魔なる法』。世界の法則とは異なる法則で存在するものです。えっと確か迷い人の言葉でいうと『怪異』だったはずです。」
「怪異…」
「そういった法則を外れた生物を魔法生物と云うのです。ドラゴンや黒猫、悪魔がその代表です。」
「いろいろと気になる単語があったが、とりあえず魔術との違いを教えてくれ。」
「魔術は魔力を利用した術です。大気中に溢れる魔力を術式に通して現象へと変える技術で、限られた才能を持つ人が使えます。まあ、私は専門家じゃないので詳しくは魔術師に聞いたほうがいいですね。」
「なるほど。教えていただき感謝する。」
「ってそうだ!そう!そのドラゴンが現れたらしくて、さっきの攻撃もドラゴンによるものだと。下手に逃げると危ないので車掌が自室で待機するようにって。」
彼らが廊下の端でそんな話をしているともう一端の部屋、二〇一号室の扉が開いた。
「おい!うるさいぞ!」
そう叫びながら出てきたのはちょび髭を生やした小さな男。彼は背中を擦りながら二人の方へと歩み寄ってくる。
「まったく。気持ちよく寝ておったのに何事じゃ。急に止まるから椅子から落ちてしまったではないか!」
「ドラゴンが出たんです!貴方も早く部屋に戻った方がいいですよ。」
「ドラゴンじゃと?!あ、イタタタタ…わしは部屋で休ませてもらう。たく、明日は大事な商談だというのに。」
彼はそう言って早々に部屋へと戻った。作家も部屋へと戻ろうと探偵に挨拶し、踵を返したところで二〇四の扉が開く。彼が咄嗟に避けると中から白い少女が出てきた。彼はその少女にひどく驚愕した様子で言った。
「キ、キミはいったい…えっとビーさんのお子さんですか?」
「ん?いや、相席をしている家族のお子さんだよ。」
探偵は彼の言葉に疑問を抱いた。なぜ彼女を見て探偵の子だと判断したのか。——そう、彼は探偵の部屋を知らないはずである。
その謎を解き明かす前に少女が歩き出した。小さな足が音も立てずに廊下を過ぎ、止まったのは二〇一号室の前であった。そしてその扉を指しながら言った。
「魔力が切れた。」
探偵は彼女のそばへと寄る。
「それはいったいどういう意味かね。」
「扉を開けばわかる。」
探偵は言われるがままノブに手をかけた。
「失礼。開けてもよろしいかね。」
返事はない。彼はゆっくりと扉を開いた。
——刹那、目に映り込んだのは常軌を逸した光景が広がっていた。椅子にもたれる先程の男。その肌は黒く変色し、幾つもの水泡が浮き出ている。一歩、部屋へと踏み入れると強烈な匂いが襲った。生ごみのような腐乱臭。
彼は知っていた——これは死臭だと。さらにこの匂いは死後数日は経過しないと発生しないということも。しかし、彼はついさっきこの男が自慢のちょび髭を動かしていたところを見ている。
つまり、この死体は——『そうなるはずのない死体』なのだ。
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