第30話 「ちょっと安心するんだ」
「お待たせ」
運んできたランチプレートを、高瀬さんがテーブルに置く。鉄板の上でハンバーグがじゅううううと熱気とともに音を立てる。肉の上に乗った濃い黄色のチーズが、とろりと垂れて焦げていく。
「おおおおおおー」
雫ちゃんが歓喜の声を上げてフォークを握った。そのままかぶりつかんばかりの勢いだが、高瀬さんが制止する。
「あ、こら。まだだよ」
背後に回り、紙エプロンをつける。雫ちゃんはハンバーグに視線を釘付けのまま、されるがままおとなしくしていた。
三階にあるフードコートはお昼時だけあって混雑していた。どうにか見つけた狭いテーブルを囲って、僕たち五人は集まっている。ちょうどお昼休憩だということで、泉さんと高瀬さんとも合流したのだ。
泉さんは着ぐるみの中にいたせいか相当汗をかいたらしく、上は薄いシャツにハーフパンツ。ちょっと、目のやり場に困る。
「はい、もういいよ」
待て、を解除された犬のように、ハンバーグプレートを食べ始める。雫ちゃんの動きに合わせて小さなテーブルが揺れる。自身のクリームパスタの写真を撮ろうとしていた澪ちゃんは、そんな妹に鬱陶しそうな視線を送る。
ちなみに僕は、少し重めのかつ丼。普段はそんなに食べる方ではないが、今日は運動をしたこともあってしっかり食べられるものにした。とはいえ泉さんの隣では、僕の食事量などささやかなものだ。彼女はチャーシュー麵とたこ焼きと麻婆豆腐を交互に食べる、魔の三角食べを実践していた。彼女のせいで、ただでさえ狭いテーブルの使用率はとっくに限界を超えていた。ちなみに、このあとにパフェも控えているらしい。膝の上に乗せた呼び出し端末に、時折今か今かと視線を注いでいる。
「あれ、高瀬さんそれだけ?」
みんなの料理を見ていて気がついた。高瀬さんの前には、コンビニで買ったと思われるサラダがひとつ。
「あ、うん。あんまりお腹減らないから」
いくらなんでも肉体労働のあとにそれは少ないんじゃないだろうか……。そう思ったが、いろいろあるのかもしれない。女子だし。
なので「そっか」とだけ返事をした。高校生男子としては信じられないメニューだが、あまりデリカシーのない人だとは思われたくなかった。
とはいえ心配になったのは僕だけではないようだ。澪ちゃんは食事の手を止めて姉を見つめていた。泉さんも、一瞬ちらりと彼女を見て、すぐに自分の食事に戻った。泉さんの場合は単に話し声に反応しただけにも思えるが……。
一方、雫ちゃんは自分のご飯に夢中のようだった。口元にべったりとソースをつけながら、大きめに切り分けたハンバーグにかぶりついている。そんな妹に気がついて、高瀬さんは紙ナプキンを取り口元をぬぐってやる。その様子を眺めていた澪ちゃんが、妹に向かって非難するように言った。
「……あんた、近すぎ。油跳ねるでしょ」
狭いテーブルなのもあるが、雫ちゃんは高瀬さんのピッタリ横にくっついて座っていた。というか、再会してからはずっとお姉ちゃんにべったりだ。
「澪……。大丈夫だよ。平気だから」
「でも……」
「ありがとね、気にしてくれて」
澪ちゃんは不満そうながら黙る。雫ちゃんは「お姉、いやか?」と上目遣いに訊いた。高瀬さんは首を横に振り「でも、もうちょっとゆっくり食べようね」と言う。
「お姉、いい匂いするから」
と、雫ちゃんが言い訳するように言った。いい匂い? そういえば……食べ物の匂いでわかりにくいが、ふわりと甘い、石鹸とバニラが入り混じったような香りがする。優しい匂いで、そばにいると懐かしさと安心感を抱く。
「あはは……。香水つけてるからかな?」
「香水?」
澪ちゃんが食事の手を止め顔を上げる。
「お母さんが昔使ってたやつで、余っててもったいないから」
お母さん……。そういえば、高瀬さんたちの話に母親の話が出てこなかったのを思い出す。午後から来るというのもお父さんという話だった。ここまで出ないということは、いないのかもしれない。離婚したから、それとも……。
「つけてると、ちょっと安心するんだ」
独り言のように呟く。その言い方は懐かしむもので、敵意や無関心ではない。なんとなくだが離婚ではない気がした。
泉さんの場合、ほとんど父親の話題は出さない。触れる時も、どこか自分とは無関係な人のような話し方をする。そういう気配が高瀬さんにはなかった。
つい手を止め、彼女をまじまじと見てしまっていた。それに気がついた高瀬さんと目が合う。彼女は照れたように視線を逸らした。僕も申し訳なくて食事に戻る。
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