夢幻の花嫁 ―忌み子のわたしが、冷酷華族に溺愛されるまで―
遠藤遼
序章
夢の中の
やさしくていいにおいがするお母さんが、結花里を抱きしめてくれた。
――お母さん、大好き。
――お母さんも、結花里がだーい好き。
――お母さんに、笛を吹いてあげる。
――あら、ありがとう。結花里の笛、お母さん、とっても大好き。
一緒に遊ぶ同い年くらいのお友達もたくさんいる。
――結花里ちゃん、一緒に遊ぼ。
――いいよ。
――結花里ちゃんにもこれあげる。
――ありがとう。わたしもこれあげる。
お友達の中には男の子もいた。
やっぱり同い年くらいだ。
色白で、目がぱっちりしていて、ほっぺは桃色。まつげが長くて、白いシャツに紺の半ズボンをはいている。
――結花里ちゃん、一緒にご本を読もう。
――うん。一緒に読む。
その子は頭が難しいご本もすらすら読んでくれる。
頭がいいだけではなくて、結花里を守ってもくれた。
――おまえたち、結花里ちゃんは悪くないぞ。
――結花里ちゃんをいじめる奴は僕が許さないからな。
――結花里ちゃん、そっちはあぶないからダメだよ。
そのくせ結花里にはずるいほどに純粋な笑顔を見せてくれた。
――結花里ちゃんにこの花あげる。きっと似合うと思うから。
――あ、ありがとう……。
受け取った花を胸いっぱいに吸えば、甘く切ない香りとともに、あたたかな気持ちが胸に広がる。
けれども――。
目を覚ませば、そこは薄暗い納戸。
結花里の身体は童女ではなく、十七歳の娘の姿。
空気はかび臭く、もう何年も干されていない布団は重い。
花をくれる男の子はおろか、一緒に遊んだお友達も、お母さんも誰もいない。文字どおりの意味で。
納戸の戸を外側から激しく蹴られる音がした。
「ほら、さっさと起きろ。役立たず」
苛立つ女の声がする。家の使用人の若い娘だ。
「は、はい。ただいま――」
結花里は急いで起き上がった。
まだ日の出前のはずだが、食事の支度などで
だから起こされるのだが、結花里は使用人ではない。
結花里はこの家の娘なのだった。
十七年前、結花里は鷹倉家の長女として生まれた。
鷹倉家は、古来、霊能を持って帝国を護る家系で、開国して文明開化を経たいまは帝国守護の十二華族として知る人ぞ知る家である。
結花里が生まれた同じ日に妹の
双子だった。
それが結花里の運命の翳りの始めだった。
鷹倉家において双子は忌み子とされていたのだ。
双子のうち、どちらを生かし、どちらを見捨てるのか。
鷹倉家での試みの結果、妹の美登里が将来の棟梁候補として選ばれた。
あろうことか結花里には何の霊能もなかったからである。
以後、結花里は「いないもの」とされた。
「早くしろよ」
と、結花里より年下の娘は吐き捨て、もう一度、納戸の戸を蹴飛ばしていった。
夢のあたたかさがさらさらと忘却の彼方へ散っていく。
風の前の塵のように。
「お母さん……」
呟いても応えはない。
結里花の生母は既に泉下の人となっているからだ。
無言で、戸が蹴飛ばされた。
びくり、と身体が勝手に反応する。
美登里は夜着を着替える。
戸の向こうで、くすくす笑いが聞こえる。
おまえなんて生きている価値はない。否、殺す価値すらもない。
家の者たちから、妹の美登里から言われ続けてきた言葉が、その嘲り笑いに見え隠れしていた。
そんなこと、言われなくたってわたしがいちばんわかってる――。
襦袢からのぞく白い背は、斜めに大きく皮膚が剝ぎ取られ、肉色の醜い大きな傷跡が残っていた。
何の霊能も持っていないのに妹の美登里の身代わりをさせられて、あやかしの目くらましとなったときにつけられた傷だ。
生きているのが不思議なほどの大怪我だった。
どうしてわたしはあのとき死ねなかったのだろうと、この傷を見るたびに、あるいはふと背中が引きつるたびに、思う。
霊能の家系で霊能を持たぬ自分に生きていく道はない。
当然、どこかへ嫁ぐこともままならない。
仮に嫁げたとしても、こんな醜い傷を背負っていては夫に肌を見せられない。
生きることも死ぬこともできない。
生きていながら、死んでいるのと変わらない。
ただ夢の中だけが、結花里の幸せな時間。
目が覚めてしまえば消えてしまう夢幻のひとときだったとしても――。
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