恋は思案の外

東雲

第1話 かくして男女はすれ違う

 突然ですが、私には社内に“推し”がいます。

 チラリと斜向かいのデスクで電話対応をしているその人物──東堂さんのご尊顔を盗み見た。

 パソコン機器に遮られて、全貌は見えない。が、しかし、それをもってしてもわかる造形の美しさに胸がギュッと締め付けられる。

 もはや障害なんて気にならない。脳内がその美しすぎる顔面を補完さえしてくれる。

 いつもキリッとした切れ長の目も、高い鼻筋も、淡い桜色をした薄い唇も、その全てが寸分違わず綺麗に配置されている。

 どうしてこんなに美しいの……と思わずため息すら吐いてしまう。


 すると、私のため息が大きかったせいなのか、東堂くんの肩がピクリと揺れた。

 ────そして、


「……っ」


 一瞬目が合ってしまった。──が、すぐにそらされた。それはもう凄い勢いで。

 前々から薄々感じてはいたが、私は彼に嫌われているらしい。同僚ではあるが、他の人に比べてあからさまに距離を感じる。


 ──しかし、そんなことはどうでもよいことだった。

 あの、黒くて綺麗な瞳が真っ直ぐに私を見ていた。そのことに今すぐにでも卒倒してしまいそうだった。

 そして私はコンマ数秒で理解した。ああ、今日は私の命日なのかもしれない。

 アイドルオタクの妹も言っていた。推しと目が合っただけで死ねる、と。

 しかし、私はまだここで終わりたくない。まだまだ東堂くんをずっと推していたい。それは決して認知されたいというわけじゃなく、ただひたすら心の中でひっそりと、彼の健康と幸せを願っていたい。それだけなのだ。

 そんな存在に巡り合えたことで、もう心の中は十分満たされているのである。

 たとえ推しに嫌われていたとしても、そんなことすらどうでもいい。

 グッと拳を握り締め、この世の全てに感謝した。

 はぁ~~~~! 今日も推しが尊いっ!!



 はぁ……と、休憩室の自販機で買った缶コーヒーを片手に深々と息を吐く。窓の外の景色に目をやりながらたそがれる自分の姿は、さながら恋する乙女のようだった。

 ──しかし、俺の悩みはそんな可愛いものではない。


「おつかれー」

「お疲れ」


 同期の堺が「やっと金曜日だなー」といつもの世間話を投げ掛けてきたので、俺もそれとなく返す。今夜は彼女と久々のデートらしく、いつもより少しテンションが高い。

 数回のラリーを繰り返したあと、堺が唐突に「なんか悩み事?」と核心を突いてきた。

 言うかどうか躊躇ったが、せっかくのチャンスだし誰かに相談してみるのも一つの手かもしれない。そう開き直り、思いきって聞いてみることにした。


「あのさ……俺って菊池さんに嫌われてんのかな」

「まぁ、そうだろうな」


 ズバッと切り捨てられた。分かっていたことではあるが、他人の口から聞かされると、なんていうかこう……重みが違う。

 堺の歯に衣着せぬ性格は嫌いじゃないが、こんな時ばかりは複雑な気分だ。


「やっぱりか……」

「なに? 直接なんかされたの?」

「いや、何ってわけじゃないけど、さっきすげー睨まれて、ため息つかれたんだよなぁ」

「マジか。なんかミスしたん?」

「そういうわけじゃないと思う、電話対応してただけだし」

「じゃー、前に何かあったとか?」

「それも別に……。てか、今日だけじゃなくてよく視線感じるなと思ったら睨まれてるんだよなぁ。怒ってるのかと思って怖くて目そらすんだけど、何も言ってこないし。かと思ったらすげー拳握り締めながら我慢してて……なんていうか、殺意すら感じる」

「ほぉ」

「やっぱ俺、知らないとこで何かやらかしてんのかな」


 これから一体どうすれば、と悩む俺の横で、堺は最近伸ばしていると言っていた顎髭をポリポリと触りながら「てかさー」と暢気に続けた。


「それってお前のこと好きなんじゃね?」

「…………は?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る