金閣寺への応援コメント
朝尾様
成程、古典への後退。私が述べた「古典を書くことを目的とする」という事態が、やはり当時の三島に直面していたものであったのでしょう。朝尾様は、1945年以前の三島の作品の価値も同じく、逆行して下がるとお考えですか?作家論的な立場からすれば、以前の作品が三島後退の起点となっていたのでありましょうが、文字としての本質的価値が偏移するとは、あまり私に考えがありません。
『真夏の死』にても、悲劇の風化が、朝子の内で自ずと古典化してゆく無意識の抵抗にあった様に、三島にとっての1945年が「烈しい光」となって、戦後、風化してゆく無味乾燥な国情に足掻いて、自らをも古典化せんとする抵抗を見せたのでありましょう。
その本質は、戦前の美しい嘘を受肉し、「勲」の熱を、自らが追求する古典を体現する理想の肉体として貴族化しまったと感じます。
然し、嘘を本物の歴史と地続きのダイナミズムとして捉える事は、虚構としての文学の自律性を放棄する行為であり、文学者としての禁忌でありましょう。焦燥感に投機を行うことは、肯定の軸をもうける結果となり、三島が書く嘘は、美しく妖艶に彼を誘おうとする理想として、現実から引き剥がす仮面を嵌め込む溝と転じたのでありましょう。
作者は、自ら生み出した嘘に対して、つきつめたデミウルゴスであるべきで、信奉者となってはならないと考えております。この境界を越えてしまった三島は、自らを古典化することで、嘘から解放された純粋な状態へと移ろいだのでありましょうか。
作者からの返信
返信遅れまして申し訳ありません。
さて、文学的な価値が、三島の行状如何によって毀損されるかどうかについては、僕もかいまさんに同意します。文学的価値はいささかも動揺しません。
ただし、注意を向けるべきは、作者の行状如何によって微動だにしないところの文学的価値に、三島自身が手を加えようとした――あるいは三島自身がその価値を毀損しようとしたのであって、僕が毀損しようとしているわけではないことです。
≪嘘を本物の歴史と地続きのダイナミズムとして捉え≫ることで、“三島自身が”≪虚構としての文学≫の円環を突き破って、切れた系の端っこを自分自身の行ないにつなぎ直し、これを“自分自身の後の行動の解説書たらしめる”あるいは“架空の滑走路を築いて、自分が次に打って出る行動のための助走をつけ、現実化した行動が、あとから架空の滑走路をも歴史として現実化させる”というタブーを犯したのであって、僕はむしろ、決壊した部分を埋め立ててもう一度円環を全からしめようとする側の人間です。
僕は作品を、独立した土星の環のようなものとして捉え直そうとするのですが、“三島が”そうはさせません。その後の世におよぼす掣肘が僕には不愉快に感じられます。
三島は自分は明晰であると、生前繰り返しました。「詩を書く少年」に明らかなように、
或る不条理な確信によって、彼がこの世にいまだに体験していない感情は一つもないと考えることさえできた。なぜかというと、彼の心のような鋭敏な感受性にとっては、この世のあらゆる感情の原形が、ある場合は単に予感としてであっても、とらえられ復習されていて、爾余の体験は皆これらの感情の元素の適当な組合せによって、成立すると考えられたからであった。感情の元素とは? 彼は独断的に定義づけた。「それが言葉なんだ」
とあります。意識は言語以前にはありません。発話(パロール)が内部化されて自分の内なる声を自分で聞きはじめた頃から、意識は生じます。同じようにして体験が、一連の体験として理解されるためには、内部化された発話がこれに先んじて――体験より先に言葉がある必要があります。すなわち体験は発話=言葉のあとに生じます。
すべての体験が、内部化された発話によって後づけられた時に、はじめて体験たらしめられることを逆手にとって、内部化された発話の事例(劇作、小説、随筆等)を温習すればするほど、あらかじめすべての体験の質感を知ることができる。言葉が体験を生み出しているのだから、体験せずとも、言葉に通暁すれば、あらかじめ言葉によって体験をなぞることができる――この三島の奢った考えは、しかしながら意識の現象学的理解に符合しております。大胆にもそれを試み続けたところに、僕は三島の大きな業績を見ております。
そういう明晰をもって自任する三島が、自分のこれからの行動と自分の文学とは、切り離して考えてもらいたいと周囲に触れ回りました。とすると例のクーデター未遂は、
45歳の(名もなき)男、私兵数名を伴い、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて総監を監禁
メガホンも拡声器も使わず、バルコニーにて演説
私兵一人と共に自刃
(僕にはどうしても手段が目的化されているように思われてなりません。或る種の様式を忠実になぞることが目的化されており、とても自衛官らの蹶起を促しているようには思われません)
という風に解されます。とてもこんな風に、歴史をもたない一人物が起こした事件として、世間に理解されることを三島は望んだでしょうか。当然ながらそこに行きつくまでの歴史をまずは理解することを、世間に要求したでしょう。
隊内の若者らに対しては、作家として自分を遇しないように自分の文学を隠匿し、かたや世間に対しては、言わず語らずのうちに、作家三島が起こした、彼の連綿たる文学の帰結として、行動が評価されるように強いている。こんなあからさまな矛盾を犯している人物は、少なくとも明晰ではありません。
僕が否定したいわけではありません。三島が(他ならぬ文学の自律性を)否定したがっているように思うのですが、いかがですか。
禁色への応援コメント
朝尾様
カクヨムのコメント機能では、討論も絶たれてしまうものですので、此方に書かせて頂きます。
私の基準としては、「古典への後退」は、古典を書くことを目的とした時に、文学的な価値が打ち消されてしまうと考えております。現代の風習や批評的な内容を、古典様式に倣って描く取組は、私としては有意義なものと感じております。三島は、あくまでも現代に耐え難く生きる自身の嘘を突き通す為に、古典を踏襲し、仮面を見繕った訳ですから、文学的な価値は死んでおらず、その点二関しては「後退」と、私は評価しません。
然しながら、作品から飛出した「三島由紀夫」と云う人物を評価するならば、古典に倣い、自身の出生すらも仮面で覆った事によって、非業の死へ追討された経緯から、古典へ向かって死に絶えたと見えます。この朝尾様の主張に関しては、大きな共感を持つ処でありますが、矢張、文字の価値まで後退するとは言い難いと思います。うーむ、三島のエゴイスムが飛躍した結果が文字の仮面であるならば、軽蔑に文字に書くことではなく、自身の強固な願望を美化する目的とすり替わってしまった事であり、文学的に見ても看過できない結果でありましょうか…。
私は、文学者には少なからず嘘を書く技量が必要であり、又、作品に於いては、美しい嘘に隠した残酷さや矛盾が意図されて仕込まれていると、その嘘は文学として評価に値する「作品」となる、と考えております。三島もその最たる例で、然しながら彼はその嘘を最期まで突き通せることなく、己の矛盾に耐え切れずに破滅しましたが、それも又、美しい嘘の延長線上にある残酷さを体現する事象として、私の趣向に合致する処でありました。つまり、社会的な投機自体に問題があったのではなく、嘘を美しい嘘として、最後まで夢見に囚えきる忍耐も必要であるのかとも考えます。三島は、己の嘘にすら欺かれて、美しい夢を現実と倒錯した危うい境界にあったこと、それが三島の後退の真意であると、言いましょうか。朝尾様の言う「泥臭い生き方」とは、私の言葉に置き換えるならば、美しい嘘にひそむ残酷さ=現実に葛藤し、忍耐することでありましょう。
作者からの返信
「真夏の死」の生田朝子にとっての夏がそうであったように、1945年夏は、日を追うごとに色褪せて懐かしく風化してゆき、三島の記憶のなかで或る種の古典と化したのではないかと思われます。僕がここで古典と申しているのは、作品の集成としての古典ではなく、1945年夏のことです。
三島は1945年夏の陽光のもとに戦後世界を照らし出すことを本領としました。
しかし日本における共産主義革命の波が退いてゆくのと入れ違いに、大衆消費社会の到来を間近に控え、三島はこれと1945年夏との間で板挟みになります。大衆消費社会においては自分のような文学者もまた大衆によって消費される。文学が不可能な時代が訪れる。だから三島は急遽、本格的に1945年夏に立ち還ってゆくことを企図したのではないか。
1945年夏への回帰、という自身の行動を正当化するのに伴い、作中人物の一部――三島の片割れとなるべき人ら――を肯定的に描かざるを得なくなりました。「豊饒の海」飯沼勲などがそうです。これは今までの作品に見られなかった特徴で、1945年夏の陽光という古典的権威のもとにすべてを否定的に描くことによって明晰でありえた世界のなかに、純粋、抽象的情熱などという、甚だ“不分明な肯定”の要素が混じりはじめました。人物を肯定的に描こうとすると、論理のなかに比喩が混じりはじめます。三島は否定のみを司るために、論理が禁欲的に乾ききっていて、したがって論理の切っ先は、物を切るのに濡れもしませんでした。しかしながらここへ来て特定の人物を肯定しようとするために、論理に比喩が混じって、湿りけを帯びはじめました。
言うなれば、三島はここへ来てはじめて、人物を肯定的に描きながらしかも明晰であるような書き方の難しさに煩わされたのではないかと思います。しかもこの、軽蔑の特権を手放したあとの文学的方法論を、しっかりと進捗させるには到らず、途中で打っちゃってしまったような印象を僕は受けます。それほどに三島は急いでいたのでしょう。
かいまさんの仰るように、古典的形式の踏襲、古典的形式の“今の時代における”顕現は、とても有意義なものに僕も感じます。でなければ僕は自己否定していることになってしまいます。
しかし三島のそれは、古典的形式の“今の時代における”顕現ではなく、特定の古典的時代そのものに還ってゆくことを志向していたのではないか。かいまさんの言葉を借りれば、特定の古典的時代(三島のなかでもはや古典と化した戦前あるいは1945年夏)への回帰を目的とすることは、≪古典を書くことを目的と≫することと同義ではないか。
要するに三島は、“戦前の”人間として歴史に名を刻みたかったのだと、僕は思います。“戦前の人物”として列聖してもらおうと急ぐかのように、文学的方法論を廃棄して、戦後25年間を逆走しました。自分の作品を読んだことのない若者を選りすぐって隊員を募ったのは、戦後25年間の方法論を“白紙化”して、“作家三島由紀夫の存在しなかった世界線”において、一挙に1945年夏に遡行しようとしたためではなかったか。
もはや古典と化した1945年夏にあくまで恋着し、断固として、自分が戦前派の人物であると見なされようとした三島の行ないは、古典的形式の“今の時代における”顕現という見地からすれば、かなりの距離があります。具体的な1945年夏という古典的時代への回帰は、はたして“古典への飛翔”でしょうか。“古典への飛翔”は過去自体が目的なのではないでしょう。過去の様式の再現・変奏が目的なのではないでしょうか。しかし三島は過去自体を目的としていたように思われます。
自分自身において再現するのではなく、自分自身がそこに還ってゆこうとしたことから、僕は三島の行状をあえて“古典への後退”と申し上げました。
魔群の通過への応援コメント
朝尾様
お久しぶりです。暫しのお時間を頂きまして、こちらの論説を読ませて頂きました。此の様な文章には、学術には足らぬ明確な意志と意義を感じざるを得ません。作品論から作家への逆流の考察は、正しく朝尾様が以前から仰る方法論と、主義に則っております。文字に読む、朝尾様らしい集作でありました。
ここで私が述べたく思うのは、仮面の矛盾と偽りのエゴイスムについてです。此の論説に対する感想という形式でありますが、ご了承頂きたい。
三島は『仮面の告白』当初より、自らの内面を晒ける素振をしながらも、その告白の大義自体を偽り、その仮面のうちに、より精密な仮面でかむった高度な欺瞞を行っておりました。それは、真なる生身を古典的美意識にのみ当て込めて、本来の生々しさや精魂の揺らぎを感じさせない漂白の状態でありましょう。朝尾様の言い当てる処の「後退する形容詞」に、まさしくその真意が含まれております。
自らの美意識によって、現代も古典へ還り、全てが人工的な虚像に近しく成り果てた古都にて、最期には自らをも古典的な悲劇に追いやり、美の整合性のために不変の形式へと落とす。彼の行方が、彼自身の文学の終着を明確に表しているでしょう。
三島の語る、選定された没落貴族たちの存在は、自らの特権化への正当化を、痛快な寓意で示しているのでしょう。エゴイスムの生々しさを、孤高さや血統の宿命に落とし込み、その夥しい厚さの仮面を元より自然な没落に見立てている。然しながら、彼が幼きに見惚れた壮麗な伽藍への仕打ちの様に、彼自身でその貴血を絶つ道筋に立っていた話は、与太でありましょう。
皮肉ながら、彼が描く美学そのものを最も体現した者が三島自身であり、それ即ち宿命的な死であったのでありましょう。
作者からの返信
お久しぶりです。コメントいただきありがとうございます。
25/11/21時点でのかいまさんのお手紙を読み返してみました。
三島にとっては≪行動に先立って己の文学があ≫り、告白という文学的形式を逆用した内面に対するロマンである点で、「仮面の告白」は肯定的に評価することができる、と、貴意をおおまかに要することができるのではないかと思います。
僕が三島の行動に先んじてある文学を、手放しで肯定することができないのは、彼が実際には”古典へと飛翔”しておらず、”古典へと後退”しているように見えるからだと思います。本当に三島が「花ざかりの森」や「仮面の告白」で行なった、出自という不変素に対するロマンや、内面に対するロマンによって前進しているなら、僕もかいまさんのご意見に同意したでしょう。しかしやはりその三島のロマンは、結果的に彼を後退させているように僕には見えたので、去年の時点でも、三島の試みたロマンについて否定的でした。
三島が後退したのは、神格天皇に自身を投企しはじめてからだと思います。
何事にも自身を投企せず、ただ、終戦前の夏の激越な光りに照らして、すべての戦後の人生を解剖してゆくのが、三島の方法論でありました。何事にも自身を投企しないことが、いわば、軽蔑の特権の出どころでありました。ところが、三島自身が自分をそこに投企する対象を見出してしまい、軽蔑の特権の源泉は涸れてしまいました。「英霊の聲」「剣」「豊饒の海」等において三島は軽蔑の特権を行使することができず、かと言って、何事かにつねに自身を投企している者ならではの書き方を今更確立させることもならず、非常に歯切れの悪いことになっている、と僕は見ます。三島は自分の持ち味を手放してしまいましたし、手放すことでしか何事かに自身を投企することができなかった(!)。軽蔑の特権を手放すことでしか、彼のいわゆる文学におくれてやってくる行動に打って出ることができなかった。文学=軽蔑の特権を廃棄することによってしか、行動に打って出ることができなかった。
三島は自身の文学を行動によって否定しました。小説家は卑怯だ、行動がない、というのが彼の偽らざる告白であり、繰り返しになりますが、三島の古典への飛翔が、古典への後退に終わっている点で、僕はこれを文学史上の負の遺産のように見なさざるをえません。
アンジェリズム(野口武彦「三島由紀夫の世界」)に則ってすべての戦後(何事かに自身を投企している戦後の人生)をおしなべて”軽蔑し”、神格天皇という投企の対象を見出し、市ヶ谷駐屯地の自衛官たちによって”軽蔑し返された”。これは後退という他ないでしょう。
編集済
金閣寺への応援コメント
『金閣寺』を読了いたしました。
正直に申し上げて、私には非常に難しかったです。己の浅薄さを痛感いたしました。電子辞書を引いてみたり、仏教芸術について調べてみたりしながら、二か月ほどかけて少しずつ読み進めました。それでもなお、理解が及ばない部分が多く「読み切った」というより「読みの途中にいる」といった感覚が残っています。
そんな生焼けのホットケーキのような状態でコメントをお送りするのは失礼ではないかと、しばらく逡巡しておりました。ですが、朝尾さんの論考を拝読し、この思いを言葉にしたくなり、コメントを書かせていただきました。拙い文章ではありますが、私なりの誠意として、受け取っていただければ幸いです。
ーー
まず、三島由紀夫という巨人の作品に触れるきっかけをくださったこと、心より感謝申し上げます。
本当に、圧倒されました。足を踏ん張っていなければ、いいえ、踏ん張っていたとしても、体ごと持っていかれてしまいそうなほど、強靭で濃密な彼の世界観に打ちのめされ、読後もしばらく呆然としてしまいました。先述の通り、金閣の建築に関する描写や仏教用語、そして柏木の論理など、躓く箇所は多々ありました。それでも読み進められたのは、それらの難解さをも呑み込んでしまうほどの、三島の筆致と世界観の力に惹きつけられたからだったのだと思います。荘厳で繊細な情景描写、鋭く深い心理の掘り下げに触れるたび、常識や価値観が静かに、そして確実に、揺さぶられていくのを感じました。
それから、これはうまく言えないのですが……本来は逆であるはずなのに、三島の文章の中に、どこか「朝尾節」のような響きを感じる瞬間が幾度かありました。もし不適切な表現でしたらすみません。そのときふと、以前朝尾さんが返信でおっしゃっていた「模倣から属人性を獲得する」ということが思い浮かびました。それが完成されたときの一つの形が、こうした文体の重なりなのかもしれない、と考えました。朝尾さんが三島由紀夫に影響を受けていらっしゃることが、作品を通して自然と伝わってきたように思います。
また、『金閣寺』と朝尾さんの論考を通じて、文学と哲学の密接な関係を改めて実感いたしました。金閣が溝口にとっての「美のイデア」であること、柏木の論理にハイデガーの『存在と時間』が関係していることなど、朝尾さんのご指摘を拝読して、ようやく霧が晴れるような思いがいたしました。当時の文豪たちが西洋哲学に深く影響を受けていたことも踏まえて、哲学的素養を持つことが、文学の本質的な理解に繋がるのだと、改めて気づかされました。
特に、柏木の登場場面で語られる「実相」と「仮象」のくだりは、私にとって最も理解しがたい部分でした。読んでいる最中は首をひねるばかりでしたが、朝尾さんの論考を拝読して、ようやくその論理の輪郭が見えてきたように思います。その点についても、深く感謝申し上げます。
哲学の分野についてはまだまだ知見が浅く、これから少しずつ学んでいきたいと考えています。それが、いずれ自作における「鞏固な論理性」にも繋がっていくのではないかと密かに期待しています。
ーー
長々と駄文を失礼いたしました。
朝尾さんのご見解は、いつも私にとって新鮮な驚きと学びに満ちており、読むたびに思考の地平が広がっていくように感じています。心からの敬意をこめて、星を贈らせていただきます。
第二回はタイミングが合わず参加を逃してしまいましたが、純文学品評会、もし今後も継続されるようでしたら、ぜひまた参加させていただきたく思っております。
重ねてになりますが、本当にありがとうございました。どうかお身体を大切にお過ごしください。
作者からの返信
この論考をきっかけとして三島由紀夫にはじめて触れる方があらわれることは、僕のかねてからの願いでしたが、それがよもや弱冠十七歳の学生であるとは、思い寄りませんでした。近況ノートのなかに「早熟」という言葉がありました。たしかに新川さんは早熟の気があります。理解が早いですし、こうしたコメントのやりとりにおいても、文法は正確、体裁が非常に整っており、気遣いが行き届いております。
僕の十七歳はへどもどしておりました。思い返すだに赧然たるものがありますが、しかしながら、僕は大学を卒業するまでは大いにへどもどしていいと思うんですがね。《居汚い承認欲求の発露》と自らを裁いておりますけれど、あんまり竹を割ったように自分の”はみ出している部分”を切り捨てておしまいになると、あとで来る反動のほうがこわいです。物分かりのよかった三島が、遅れて来た思春期を二十代半ばから爆発させたように。若くして結婚した身持の固い男が壮年になって浮気に走るように。
大いにへどもどしていただきたいです。物分かりのよさは退屈な秀才を生み出します。新川さんが譲れないと思う点については、周囲が引くほど執着していったほうが、文学はそれによって富むでしょう。
人生のイベントのたびに文学を差し置くというのは、奇妙なことに思います。「そんな小説なんか書くよりも、受験に集中した方がいい」と、他ならぬ我々が述べるのはとんだ自己否定です。文学よりも受験勉強や就職活動が優先されると心の底から信じているのであれば、その人にとっては、社会的なコード(規定・慣習)の上に乗っかって社会通念上よしとされることを遂行し、社会がその価値を保証しているものを通して自身を肯定し確立してゆくことの方が、文学よりもよっぽど価値があるということになります。もはやその人のもとに文学の出番は巡ってきません。文学は社会的なコードを刺し貫く猜疑のまなざしです。小説を書いていようと、いまいと、社会的なコードに全的に従属しないでこれを疑い、解体しようとし、その奥にこれと異なる価値を見出そうとするまなざしを持つこと自体が、すでに文学的な行ないです。僕は文学は生き方だと考えております。でっち上げられたライフスタイルではなくて、そうせざるをえない泥臭い生き方です。社会を信ずるか、文学を信ずるか。社会を信じながら文学に片足を突っ込むやり方で書かれた物は、やはり退屈な秀才の余業たることをまぬかれません。
ただ、十七歳で自分がはたして文学的な人間であるか否かなど、見極められるはずがありません。御自身の文学的衝動の性格をつかむまでには、敏活な新川さんであっても、相当の年月がかかるのではないかと思いますし、見極めをする前に何かのはずみで、作品を引っ提げて世に出てしまうことにでもなれば、損失の方が大きいと思います。
かるがゆえに僕は勉強に専念した方がいいだなんて興醒めなことは言いませんよ(笑)
それよりかは、オープンキャンパスに出向いて、自分は”この研究室”の”この教授”にぜひ師事したいという具体的なヴィジョンを持つことの方をおすすめしたいです。私大であると、極端に左がかった思想を二十歳前後の若い頭に刷り込んでやろうと手ぐすね引いている胡乱なのもいるらしいですし、頭ッから教授らの言うことを鵜呑みにせず、まず何事も疑ってかかることがこれからは大切だと思います。
――
強引に説得的である三島の「である調」は、そこまでしなければ虚構のうそ臭さは脱臭されないものであろうかと、我々に一寸した反省を強います。
鞏固な論理性とは申せ、三島ほどに骨格を前面に押し出してゆくと、新川さんの持ち味であるやわらかさ――言葉を的確に宛がう手首のしなやかさは却って殺がれてしまいます。あえて使い分けるなら、新川さんのそれはタッチ(筆致)であり、三島のは筆法であると言えます。参考までに、僕は各務さん作「まぼろしの人」をカクヨムのなかではなかんずく優れた作品であると思っております。各務さんのスタイルもタッチ(筆致)に寄せており、感性に訴える描写のつらなりに精彩があります。
で、そこまでであれば、なるほど生々しい現実が足もとから開けてくる感じはあるが、開け方に脈絡がなく、論理的な牽引力にとぼしい作品、という印象にとどまったことでしょう。ところが、四章七節において急劇に話柄が思弁的になります。このかなり奥まったところにあるたった一節で、永い感性のあてどない旅路にみごとに脈絡がつけられたという晴れやかな印象を僕はもちました。
これはゆるふわ系の女子が、急に頭の固そうな話題を振られた時にも難なく応じられてしまう、意外な教養の時めきに、相手の男がうっとりと信頼感を寄せてしまう現象に似ています。ゆるふわ系女子はふだん感性的な言動に終始しているようにみせて、すわとなると、懐刀をひらめかせて相手を刺すこともできます。たぶん僕はこの程度でいいと思います。必要な時に冷厳な論理をあつかえる用意のある作品には信頼感が寄せられますし、作外にあっても、議論に負けません。
――
かいまさやさんは(担当教員ではなかったようですが)ある先生に具体的な何らかの知識を教わったのではなく、その背中から、文学に対する真摯な姿勢を学んだ、と仰っています。文学はまことに孤独な取組みであり、僕はその取組みをつづけてゆく上で最も重要なことは、文学を信じていることを雄弁に語る背中を自分の身近な誰かのなかに見出すことだと思います。自分一人だけが信じているという状態はなかなかに辛いです。新川さんが今後そういった背中をもつ人物と出会わんことを願います。
現実において背中を見て勇気づけられることが一番ですが、もしそれが失敗したときのオルタナティブとして、カクヨムが機能するように、僕は純文学のための場を整備しておきたいと思っております。
編集済
序文への応援コメント
コメント失礼いたします。
まだ序文しか拝読できていないのですが、それだけでも、もの凄く大きな衝撃を受けました。朝尾さんが純文学に寄せる深い信念と、その可能性を堅く信じるまなざしに心を打たれています。「純文学とは何か」という根源的かつ難解な問いに対して、これほど真摯に向き合い、卓越した論理でご自身の考えを展開される姿に、尊敬と憧れの念が絶えません。
私はいま高校生ですが、大学では芥川龍之介をはじめとした文学の研究に挑戦したいと考えています。やがては、朝尾さんのように情熱をもって文学を語り、言葉に魂を込めて思索できる人間に少しでも近づきたい――そう願わずにはいられません。そのためにも、まずは自分の中で文学に対する誠実な価値観を育てていこうと思います。
恥ずかしながら、三島由紀夫の作品は未読でして……。序文からの続きを読みたいのはやまやまですが、彼の作品を精読した上で、もう一度この論考にじっくりと立ち返らせていただきたいと思います。
造詣の深い論考をありがとうございました。学びになりました。
すみません、どうしてもお礼を伝えたかったので、再度こちらに失礼させていただきます。
とても丁寧で温かいお返事、ありがとうございます。感激のあまり何度も読み返しております。
「前途有望」とのお言葉、身に余る思いです。まだまだ未熟で試行錯誤の連続ですが、「漂流」や「日常の栞」などの作品を評価していただけたことは、何よりの励みになります。
文学部進学についてのご意見も心強く感じています。ちょうど周囲から反対されていたところだったので、深く沁みました。諦めずに進んでいこうと思います。背中を押してくださり、本当にありがとうございます。
また、文学の道を歩むうえでの貴重な指針をいただけたこと、心から嬉しく思っています。「茶渋のような深み」や「鞏固な論理性」感情と冷ややかさのバランスなど、まさに自分に必要な要素を的確にご指摘いただき大変勉強になりました。「芥川に足りない部分を他の作家から補う」というのも自分にはなかった発想で、驚きとともに感銘を受けています。独自の文学スタイルに向かって努力していきたいと思います。
重ねてになりますが、温かいご助言を本当にありがとうございます。これからも精進してまいります。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうでした、まだ高校生でいらっしゃるんでした。自分のその頃を思うと、すでに「漂流」のような、私小説であり且つ客観性をも失わないものが書けてしまえている新川さんの方が、よほど進んでいるように思えてなりませんが……前途有望ですね。
大学で文学を専攻。これについて担任から親から「就職先がないんじゃない?」などと反対意見が噴出するかもしれませんが、僕は断固進むべきだと思います。
結局のところ、大学は好きなことにとことんのめり込むためだけの場所であり、自分がいかに粉骨砕身してそのことにのめり込んだかを、身振り手振りをまじえて報告するのが、就職活動における面接の(あるいはインターンの)場になりますので、何でもいいからのめり込んだことのある人間が有利になります。バイト、サークル、資格試験、コンペ、学祭運営、ボランティア活動、地域振興のための学生企画、海外渡航、起業またはそれに準ずる自分の特技を活かしての金策、等々、もはや何でもありです。研究は無論のこと、のめり込んだことがあって、それを上手いこと面接官の(インターンの担当官の)気を惹くようにアピールできればいいので、就職活動で不利になることはないと思います。
僕は文学部に行かなかったことを後悔しておりますし、おかげで講義とゼミは澱んだ川のごとき死ぬほど退屈な時間が流れつづけました。無駄ですので、ぜひ情熱を注げる場所に急行してください。
――
一人の作家に集中して、もはや、芥川龍之介が出し殻になって味もそっけもなくなる位まで吸収し尽くすことが大切だと思います。「日常の栞」を読んでいましても、言葉のセンスは今様にフレキシブルで抜群ですんで、あとはどうやって茶渋のような深みを出していくか、どうやって世界に骨格を与えてゆくか――鞏固な論理性を世界の裏側に張り巡らせて、直情的にふやけ出さないようにしていくか――感情を爆発させるのみならず、どうやってそれをぎゅっと引き締める冷ややかさを文体に宿らせてゆくか、を大学でやしなうことができればよいんでは?
芥川龍之介の文体やノウハウを盗みきると、おそらく芥川を起点として、他の作家との距離感がつかめてきます。歴史的な位置づけや、他の作家との親和性、あるいは反目し合っていただろう関係が仄見えてきます。
次に「芥川に足りないところ」を補うために、他の作家に手を伸ばします。他の作家の美点を、芥川のスタイルに癒合させる――するともはやそのスタイルは新川さんだけの属人性を帯びて、どんな状況であろうと、やってゆける気になると思います。
また芥川を起点として、純文学の歴史を劉覧することで、新川さん独自の文学観がいずれ語れるようになると思います。どの作家の目をも借りずに、遠くから眺めているだけの文学史家の言うことを教科書通りに暗誦して、わかった風になるのが一番よくありません。
追伸
三島由紀夫が未読でしたら、読まない方がよいかもですね。これは或る意味、答えを書いてしまってますので、今後、はじめて三島にふれた時の味覚に悪く影響します。
編集済
春子への応援コメント
朝尾様
私も、三島が自らを以て、自らの文学の自律性を剥奪し、道具化したと云う朝尾様の意見に同感です。三島文学の根本には、絶対的な矛盾が潜んでいて、三島がそれらから免れる為に自身の文字を盾としていたのは、朝尾様との疎通の中で自明となりました。
私は独自の論理学を構築するなかで、言語という、我々の世界からは分離した、自律した論理構造について考えを深めました。その核心は、「言葉は世界に対してではなく、言葉に対してのみ有効である」と云う一文に要約されるやも知れません。言葉と世界とを結びつけるのは、我々の解釈にのみよるに過ぎないと。
では、文学は何について語るのか?と問えば、「我々の細分化された世界への解釈(感性)から表離した異化の活動」と言い表せます。現理とはまた切り離された別の秩序を構築する試みこそが、純粋な文学性の理に適うと考えております。
よって、文学には自律性が不可欠であり、作者自らが自律性を棄損する行為はすべきではない。自身から剥がれ落ちた文字の経緯にも、独立した自我を認めるべきである。それは、作者自身への細分化された視座の一側面であるからでありましょう。作者は徹底したデミウルゴスであり、創造物の自律性を担保する役割を担う。三島の様に、このデミウルゴスの倫理を越境した理念と行動を伴えば、結果として文学の堕落を意味するのでありましょう。
先述の通り、「異化」に於いて、細分化された解釈が具材となる為、何処かに齟齬があって然るべきものです。しかし、三島はその齟齬を現実の行為をして埋立て、文学の自律性を現実の筋書と入れ違えてしまったのだと感じます。この行動の衝動に耐えかねた瞬間に、三島は虚構の聖域を越え、アウタルキアの決壊が起こり、三島の文学は自らの手によって崩落したと言えるのでありましょうね。
作者からの返信
三島の行状と文学的価値の関係を考えるとき、受け手の側に裁量権があり、三島の過ちを追及することも、作品は作品として独立させることも、随意にすることができるというのが従来の見方でしたが、今回、では実のところ、三島自身はこの関係をどのように清算しようとしたのか、という視点に立ち帰ることができたかと思います。
故人を、時代をさかのぼればさかのぼるほど、自分好みの人物に仕立ててもよいという風潮が吹き荒れるなかで、受け手の自由解釈の余地のない頑とした事実から探りを入れてゆくことは重要ではないかと思います。
僕がこの関係をどのように考え、かいまさんがこの関係をどのように考えるか以前に、三島自身がこの関係をどのように考えていたのかを、彼の行状から探ることの優先度を、かいまさんとの間で確認できて、よかったと思います。
「言葉は世界に対してではなく、言葉に対してのみ有効である」という一文については完く同感です。言葉の閉鎖系(閉鎖経済)を突き破ってはならないことは、僕も手引書において「著作は著作どうしで関係し合い」「著作がおびる社会性はかつてあった著作との関係性のなかに網羅される」とちょっと前に書きました。要するに、言葉が他の言葉に関係すること以上に、自己自身にすら、関係してはならないということが、作中言語における鉄の掟ではないかと僕も考える次第です。
こうしてみると、少なくともかいまさんや僕は、三島の犯した過ちから、ちゃんと作中言語との距離のとり方を学んでいるのかも知れません。その点で僕たちは、あの時代よりも少しばかり進んでいるのかも知れません。