第14話──赤い毛糸と、誰かの左手

ユリは、かつて誰かが住んでいた廃屋の一室にいた。

床には落ち葉とガラス片が散乱し、部屋の隅には奇妙にきれいなまま残された椅子がひとつ。

その肘掛けに巻きつくように、一本の“赤い毛糸”が絡まっていた。


彼女はそれを指でたぐった。

毛糸は床を這い、タンスの裏へ、さらに隠し扉の中へ──

無意識に導かれるように彼女はその糸を追いかけていく。


地下へ続く階段の奥、そこはかつて「保健所の避難室」だったという。

そこで彼女は、乾ききった空気の中から“左手だけの手袋”を見つけた。

中には、小さな紙切れが丸めて押し込まれていた。


《誰もが右手で握手をする。左手は嘘を隠すためにある。》


それは、ユリがまだ少女だった頃に、母が日記に書いていた言葉だった。

──“左手を疑え”、と。


彼女は思い出す。

幼少期、笑っていたはずの母が、ふと見せる冷たい無表情。

その夜、玄関には血のついた赤い毛糸の切れ端が落ちていた。


「火曜会に来ていた“あの人”……もしかして……」

ユリの視線の先、壁の奥に何かの装置のようなものが取り付けられていた。

それは録音機だった。

再生ボタンを押すと、鈍いノイズの奥から、少女の歌声が聞こえた。


♪「おててつないで、だれがうそつき──」

ユリの目が、静かに見開かれる。


自分が母から教わったはずの童謡。

だがそれは、録音された“別の声”だった。

歌っていたのは──ユリ自身ではない。


そして、録音の最後に、声がひとつだけ紛れていた。


「……おまえが誰かに似てきているのが、こわいよ。」

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