ポイ捨て聖女の嫁入り
厳座励主(ごんざれす)
本文
また今日も、朝から祈りと治療の繰り返しだ。
異世界に召喚されてから、もう三年が経つ。
あの時はまだ、普通の高校生だった。
制服を着て、友達と他愛ない話をして、家に帰れば文句ばかり言う父の顔があって……。
そんな日常が突然、終わった。
この世界での私は、聖女。
ありがたい肩書きがついてはいるけれど、実態はまるで都合のいい道具だった。
私が住むのは王都の神殿。
けれどそれは、見張りと結界に囲まれた、ほとんど監禁部屋のような場所。
朝から晩まで祈り続け、運び込まれる負傷者を癒やし、時には戦場へも駆り出された。
断る自由なんて、なかった。
食事ひとつ取るにも、側近の許可が要る。
外の空気を吸いたいと願うことさえ、許されなかった。
自由なんて、この世界のどこにもない。
それでも私は、自分の力が誰かの命を救っていると思えたから、耐えてこられた。
私の頑張りで、誰かが喜んだり、助かったり、幸せになったりしてくれたら、それでよかった。
だから苦しくても寂しくても、私はここにいることを選んだ。
だけどその日は、何の前触れもなく訪れた。
「――聖女ハナ=シロツカ。魔族の脅威も去った今、もはやアナタの力は必要ないわ!」
祈りを終えて自室に戻ったばかりの私の前に、突然、王女様が現れた。
いつも私に「頼りにしてるわよ」と笑顔を向けていたはずの王女が、冷たく平然と、そんな言葉を口にした。
「……え?」
声が裏返る。
思考が追いつかない。
「な、何をおっしゃって……? 私は、ずっと皆のために……」
「アナタの役目はもうおしまい! 魔族もすっかり勢力が弱まって世界は平和。聖女なんて厄介な存在、これ以上必要無いのよ!」
「そんな……私が、どれだけ……っ」
訴えたかった。
三年間、眠れぬ夜をどれほど過ごしたか。
戦場で命を救うたび、自分の命をすり減らしていたこと。
それでも、誰かの笑顔が見たくて頑張ってきたことを、どうして、こんなふうに……。
けれど、私の言葉に王女は耳を貸さなかった。
「民たちがアナタのこと、何て言ってるか知ってる? 化け物、よ。アナタの持つ奇跡の力を恐れているの。ま、私としてはどっちでも良いんだけど、民の願いを聞くのも王族の仕事だしねぇ~」
「……化け物……?」
私は民のために尽くしてきた。
それが化け物と呼ばれる結果になるなんて。
そのまま、兵士たちに腕を取られ、私は連れて行かれた。
どこまでも冷たい目をした人々に囲まれて。
辿り着いたのは、王都の外れにある崖の上だった。
抵抗しようと思えば、きっとできた。
けれど、信じて尽くしてきた人たちに裏切られたこと。
命を懸けてふるってきた力を、恐れの目で見られていたこと。
一つ一つがあまりに重くて、心が追いつかなかった。
私はただ、頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなっていた。
「待って、こんなの……こんなの、あんまりだよ……!」
絞りだした小さな叫びが、谷底の虚空に消える。
「じゃあね、これまで助かったわ。来世は幸せになれるといいわね」
背を押される感覚。
世界がぐらりと傾く。
空が逆さまになった。
風が耳を裂くように鳴っていた。
落ちていく。
足元には何もない。
……ああ、私、死んじゃうんだ。
守っていたはずの人たちに裏切られて、殺されちゃうんだ。
こんなあっけなく、全部終わるなんて。
何も報われなかった。
そう思った、その瞬間だった。
視界が、眩い光に包まれた。
------
夢を見た。
懐かしくて、どこか胸が締めつけられるあの日の夢を。
あれはまだ私が中学生だった頃。
夏祭りの夜、浴衣の裾を気にしながら屋台を眺めていたとき、ふと、泣きそうな顔でうずくまる男の子に気づいた。
迷子だった。
年はたぶん、六つか七つくらい。
人混みの中で誰かとはぐれ、心細くなっていたんだと思う。
私は手を引いて、周囲を回りながらお母さんを探した。
見つからない間も、泣きそうなその子を元気づけようと、わたあめを買って、笑ってみせて、話しかけ続けた。
その子が少しだけ笑ってくれたとき、私は本当に嬉しかった。
「ありがとう、ハナ」
あの子はそう言って、少しはにかんだ。
そして私が振り返ったとき、その姿はもう見えなくなっていた。
------
まぶたを開けると、天井があった。
……見知らぬ。
天蓋付きのベッド。
静かな空気。
微かに香る花の香り。
目を瞬かせながら、私はゆっくりと上体を起こした。
柔らかいシーツに肌が触れて、ようやく「生きている」と実感した。
夢……じゃない、よね。
私は確かに、突き落とされた。
あの崖から、あの人たちに。
胸がきゅっと締めつけられて、喉の奥が熱くなる。
「……なのに、どうして。……ここは……」
部屋は整っていて、装飾も落ち着いているけれど、王都の神殿とはまったく違う。
けれど不思議と圧迫感はなくて、むしろ……心が休まる場所だった。
「――目が覚めた?」
柔らかな声に、私はそっと顔を向けた。
息を、呑んだ。
まるで絵本から抜け出してきたような、美しい青年が立っていた。
長い黒髪と、深い紅の瞳。
その瞳がまっすぐに私を見つめていた。
「……お、うじ……様……?」
思わず口から漏れた言葉に自分でも戸惑う。
彼はそれを聞いて、優しく微笑んだ。
「王子様……ある意味そうかもね。ボクは魔王。この魔王城の主だよ」
「ま、魔王……!?」
思わず体が硬直した。
この人が……魔王?
国王陛下曰く、悪逆非道な?
それがこんな綺麗な顔をした魔族なんて、想像してなかった。
もっと鬼とか竜とかお化けとかゾンビをごちゃ混ぜにしたような、そんな存在かと。
「城の外に出てくれたおかげで……ようやく手を伸ばせた。ずっと……キミを探してたんだ」
探してたって……私を?
聖女だから、捕らえるため……もしくは殺すため?
思考がぐるぐると回る。
そんな混乱の中、彼は私のそばへ近づいて言った。
ずいっと端正な顔が接近し、どくんと胸が高鳴る。
「――ハナ。ボクと結婚しよう」
一瞬、時が止まった。
耳に入った言葉の意味を、脳が理解するのを拒んでいる。
……今、なんて言った?
え、結婚?
私が?
誰と?
「…………は?」
ようやく出てきた声は、まぬけなほどに間の抜けたものだった。
目の前の彼は真剣なまなざしで私を見つめている。
その視線が、冗談なんかじゃないことを物語っていた。
「え……な、なにを……!? 私たち、今出会ったばかりじゃない……!?」
声が裏返る。
心臓がどくん、と痛いほどに跳ねた。
混乱して当然だ。
突き落とされて命からがら目を覚ましたら、いきなり魔王にプロポーズってどういう展開?
そんな私の戸惑いもお構いなしに、彼は微かに目を伏せて、寂しげに笑った。
「やっぱり……まだ気づいてないんだね」
その表情に、胸の奥がちくりと痛む。
さっきまでの軽いパニックが、ふいに別の感情へと変わった。
――この表情、知ってる。
心の奥に引っかかっていた違和感が、するりとつながる。
細められた瞳の形。
口元に浮かぶ、少しだけ照れたような笑み。
そしてどこか子供のような、不器用なまっすぐさ。
――夢の中で見た、あの夏祭りの夜。
人混みの中、泣きじゃくっていた小さな男の子。
私は手を引いて歩き、わたあめを買ってあげた。
不安そうな顔で、それでも最後には、少しだけ笑って。
あの子の笑顔と、目の前の魔王の笑顔が、重なった。
「……あの時の……迷子、なの……?」
声が震えていた。
すると彼はやわらかく微笑んだ。
懐かしさと安堵と、嬉しさの全部を込めたような優しい顔で。
「やっと逢えたね。ハナ」
------
その後、彼の口から語られた過去は、あまりにも残酷で哀しかった。
彼はかつて、先代魔王──自らの父親から逃げ出してきたのだという。
強さだけが全てとされ、感情も意志も押し潰されるような日々。
反抗すれば罰を受け身が滅び、従えば魂が壊れていくようだったと、彼は静かに言った。
「だから……逃げたんだ。どうしても、あの場所に居たくなかった」
父親に反発し、世界の狭間を通って、たどり着いたのが私の世界──日本だった。
そして迷子になっていた彼を、私は助けた。
おせっかいだったかもしれない。
でも、放っておけなかった。
その時の私の優しさが、冷え切った心を溶かしたのだと、彼は言った。
「ハナに会って、思ったんだ。……親がどんなでも、その人自身には関係ないんだって」
──ああ、そういえば、そんな話をした気がする。
私自身は忘れていた。
けれど彼の中では忘れられない記憶として、ずっと残っていたらしい。
あの夏祭りの夜。
私は彼に「ハナのお父さんは優しい人?」と聞かれたのだという。
どうやら私は、その問いに正直に答えてしまったらしい。
私の父は、正真正銘の「ろくでなし」だった。
ギャンブルに溺れ、借金を重ね、挙げ句に犯罪に手を染めて逮捕された。
そのせいで家庭は崩壊し、母は心を病んで帰らぬ人になった。
そんな重たい話を、まだ幼い彼に向かって語ったなんて、今なら信じられない。
でもあの時の私はきっと、彼の澄んだ瞳に嘘をつくことができなかったのだ。
たった数時間の出会いだった。
けれど彼にとってはそのひとときが、人生を変えるほどの出来事になったのだという。
「血で何かを諦める必要はないってハナが教えてくれたんだ。あの時、ボクは本当に救われた」
自分のことを肯定されたと初めて感じた、と彼は言った。
だからこそ、彼は異世界へ戻ることを決めた。
圧政と恐怖で支配されていた魔族の国に戻り、父に抗って自ら魔王の座に就いた。
そして変えた。
力と恐怖だけがものを言う国を、人の心を大切にできる場所へと。
私との出会いが、彼にとってその一歩になったのだと、そう語る彼の瞳は、とてもまっすぐで温かかった。
「だけど……人間たちからの視線は、変わらなかった」
人間たちは、彼らを“魔族”というだけで恐れ、排除しようとした。
私は、知ってしまった。
悪だと思い込まされていた魔族たちは、本当は傷つき、苦しみ、怯えながら暮らしていた。
誰よりも平和を望んでいたのは、むしろ彼らだったのだ。
この人の目が、決して嘘を語っていないことを、私はもう疑えなかった。
私は、この人を信じたい。
ずっと私を探してくれていた、この優しい魔王を。
そして私は、もう一度“聖女”として立ち上がることを決めた。
今度は誰かに命じられたからじゃない。
私の意思で、私の信じた人と国のために。
------
私が支援に入った魔族軍は、瞬く間に勢いを取り戻した。
傷ついていた兵たちは癒され、崩れかけていた陣形は立て直され、停滞していた士気は空に届くほど高まった。
そして長きに渡って攻められていた魔族領は、ついに反撃に転じる。
怒涛の進軍。
かつて私を道具としか見なかった王国の軍勢は、もはや私の力を前に手も足も出なかった。
そしてあの王城が、落ちた。
神殿で私を監禁し、崖から突き落とした人間たちの牙城。
必死で守ってきたあの場所に、今度は私が敵として立っている。
なんという皮肉。
けれどこれは、必然だったのかもしれない。
私は、王座の間にゆっくりと足を踏み入れた。
「……お久しぶりですね。私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
王座の間の中心に立った私がそう問いかけると、王女がぴくりと肩を震わせた。
顔は青ざめ、汗は滝のように流れ、口はわなわなと震えている。
「ひ、久しぶりね、ハナ……い、いや、聖女様……いや、その、ええと……」
言葉を探してしどろもどろになる王女の姿からは、かつて私を崖から突き落とした時の威厳など微塵も感じられない。
「そ、そうよ! アナタ、王城に戻ってくればいいわ! この国はまだアナタが」
「――アナタの力は必要ない、じゃなかったでしたか?」
「そ、それは誤解で……っ! 上層部の判断というか、その、ワタシだって混乱してたのよ!」
必死に言い訳を繰り返す王女の額に、ぴちょん、と汗が滴る。
「そうですか。でもあの時、私を突き落としたのは……あなたですよね?」
私の問いかけに、王女の喉がゴクリと鳴った。
しばらく押し黙っていたが、ついに限界がきたのか、しどろもどろに叫び出す。
「…………っ! な、何でも! アナタが欲するものは何でも用意するわ! 宝石でもご馳走でも国でも……とびっきりの
口の端を引きつらせながら、必死ににこやかさを取り繕うその姿は、見ていて痛々しいほどだった。
それがとても滑稽で、思わず私はくすっと笑ってしまう。
「ご安心ください。私、今……とても幸せなんです」
かつ、こつ、と響く靴音。
その音とともに、背後から彼が現れる。
長くなめらかな黒髪。
漆のように艶やかなその髪が、肩口で風になびく。
鋭く整った横顔に、紅の瞳。
静かにそこに立つだけで、場の空気が一変するほどの存在感。
魔王。
人間から最も恐れられ、そして私が最も信頼する人。
彼が私の隣に立つ。
私は自然とその肩に頭をこつんと預けた。
「ひ、ひぃ……ま、魔王……っ!」
王女が情けない悲鳴を上げて、逃げるように椅子にもたれかかる。
「彼以外に望むものなど、何一つありません」
返す言葉もなく、王女はただ震えるばかり。
その姿は、魔族と聞いただけで萎縮する滑稽な小動物そのものだった。
私は、堂々と胸を張って言う。
「不要と捨てられた
その言葉が落ちるや否や、王女の顔が引きつったまま固まり、隣にいた宰相が静かに崩れ落ちた。
よし……これで、十分。
私はそれ以上何も言わず、王女と宰相の間を抜けて、奥のバルコニーへ歩みを進める。
そして扉を開けると、その先には光が満ちていた。
広場に集まるのは、王都を制圧した魔族たち。
角を持つ戦士、翼の生えた少女、小さなインプから巨大な獣人まで。
多種多様な魔族たちが笑い合い、肩を組み、広場を埋め尽くしていた。
かつては恐れられ、迫害されていた存在。
でも今、その顔には確かに誇りと幸福が宿っていた。
「聖女さまー!!」
「魔王さまー!!」
誰かの歓声をきっかけに、あちこちから歓呼の声が上がる。
一斉に手を振ってくる魔族たちの笑顔に、私は思わず笑みをこぼして、手を振り返した。
それだけで、広場は一段と沸き立った。
まるでこの勝利と幸せを、心から分かち合おうとしてくれているように。
そんな歓声の中、魔王がそっと私の肩に手を添えてきた。
少しだけ身を屈め、私の耳元で甘く囁く。
「……ねえハナ。民たちはきっと、すごくキミのことを愛してるけど……。ハナのこと、世界で一番愛してるのはボクだよ」
「へっ!? な、なに言って──」
顔が一気に熱くなる。
周りには大勢の視線。
注目の中で、そんなこと言う!?
私は慌てて彼の腕を肘でつついた。
「こら、そういうのは後でって言ったでしょ……!」
「うん。でも、つい……ね」
魔王はまったく悪びれた様子もなく、優しく笑った。
私は頬を膨らませながら、でも心の奥は、ふんわりとあたたかいもので満ちていた。
あの日、崖から突き落とされた私が、今こうして笑っているなんて誰が想像しただろう。
「さあ、戻ろう。君の席は、ボクの隣だから」
「……うん」
私は魔王の手を握り返す。
そして、ふたりで祝福の中を歩き出した。
民の笑顔に囲まれて。
未来に向かって。
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