4-5

 それから一週間後。

 俺はアリアと長い時間を共にするようになった。


 朝は一緒に登校。最初こそ不安であったがアリアはミアとも上手くやっている。

 時々、からかわれたミアが慌てふためくことがあるが……それは置いておく。

 学校ではクラスでの立場上、お互いに接触することを避けようと言っているのにやたらと絡んでくる。そのせいで、最近はチャンからの嫌がらせは加速する一方だ。

 放課後はデイブレイクの活動をする。リックとアリアは組手や実戦練習。俺はというと今までサボっていた闇魔法を基礎から学んでいる。

 

 少し前までは停滞期のように感じていたのに、今ではすっかり時間の流れも速くなり、俺もリックもくたくたになることが増えた。。

 それに加えて、魔法兵器の開発も並行している。アリアの見識も加えて魔法銃をより実戦向きに強化。また、魔法力切れを防ぐため魔法力回復用のクリスタルなんかも作っている。これがなかなか文献を参考にしても難しかった。

 魔王を殺す。今までも本気で考えていたつもりだったが、アリアが加入してからはそれがより現実味を帯びてきている。

 

 デイブレイクは、本格的に反体制組織として機能し始めていたのだ。

 そして、活動が終わったら三人でラーメン屋に行くことも多い。アリアと知り合って間もないというのに、すでに俺とリックの日常となっている。

 この日も、いつものようにラーメン屋に行こうという話になっていた。


「俺、結構強くなってきたんじゃね?」

「そうね。一三チャン君くらいにはなったんじゃないかしら」

「なんだよ、その最悪な単位は!」


 ホーライサンに向かう道すがら、俺たちは雑談に興じていた。


「実際、最近のリックは魔法のキレがあがったと思う」

「お、リックに言われると安心するぜ!」

「そういうレンもちょっとはマシになってきたんじゃない? 二二チャン君くらい」

「なら、アリアにも追いつけたんじゃないか?」

「いいえ、私は二ベルネス君くらいあるわ。私も日々成長しているのよ」

「俺を勝手に単位にしないでくれる!?」


 リックの抗議の声はアリアには届かない。一三チャン=一リックという単位が出来上がってしまった。リックにとっては非常に不愉快な単位だろう。


「今本気でやったらアリアに勝てる気がするけどな」

「姉に勝てる弟なんていないわ」

「生まれは一ヶ月しか変わらないのに理不尽すぎる……おい、なんか聞こえないか」


 やたら姉風を吹かしてくるアリアに対し、言いたいことは山程あるがひとまずは置いておくことにする。

 少し先の物陰から、叫び声のようなものが聞こえた気がしたのだ。


「あぁ、俺も聞こえた。……なんだか穏やかじゃなさそうだな」

「聞き慣れた音ね。誰かが誰かを殴ったり蹴ったりする音。しかも、一対多数という感じね。一方的に一人が殴られているわ」

「……俺が行く」

「わざわざ厄介ごとに首を突っ込まなくていいと思うけどね」


 アリアはどうでも良さそうな態度をとるが、俺としてはそうもいかない。

 気がついたら体が動いていた。

 一対多数による集団リンチ。誰が被害者で誰が加害者なのか想像がついた。


「おら! 死ねや! イーヴィシュのゴミカスが!」

「家畜なら家畜らしく喚き散らせ!」

「ひぃ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 路地裏に入ると、想像通りの光景が広がっていた。

 イーヴィシュ人の男性一人を、アンフラグ人が三人がかりでリンチにしていた。

 泣き叫ぶ男性、それを愉しそうに見ているゴミども……。

 学校でチャン達が俺に対してやっているような事は、このイーヴィシュではどこでも起こり得る。

 

 おじさんはすべてのアンフラグ人が悪だとは限らない……そう言った。

 俺だってそう思う。全員がこいつらみたいなクズではないことも。でも、でも……こいつらアンフラグ人にクズが多いのは歴とした事実だ。

 そういう奴らは、俺が全員殺してやる。


「やめろ」

「んだ、てめーは?」

「その格好……この辺のほら、名門校のやつじゃねーか?」

「あぁ……んで、お前はどっちだ? 顔立ちだと分かんねーな。アンフラグ人なら一発殴るくらいで見逃してやるよ。言わなくても分かると思うが、イーヴィシュ人ならここでぶち殺してやるよ」


 ————こんなやつら魔法なしでも倒せる。

 俺は男達の問いかけなど無視して、まっすぐ男達の方に向かって行く。


「ばかめ! ぶちころ……ぐえぇ!」

 

 一人目を潰してからはあっという間だった。一分もかからずに、三人の男達は地面に伏せっていた。


「おい、レン! ……ってもうやっちまったか」

「あら、さすがに仕事が早いわね」


 リックとアリアが遅れてここまでやってきた。

 だが、今はどうでもいい。俺はリンチにあっていたイーヴィシュ人の元に近づく。


「大丈夫ですか?」

「……君強いんだね。一人で三人も倒しちゃうなんて」

「立てそうですか?」

「あぁ、大丈夫。一人で立てるよ。……あはは、歩いていたら急に絡まれてね。ごめんごめん、迷惑かけちゃったね」


 男性はただニコニコと卑屈に笑っている。アンフラグ人に理不尽な目に合わされたというのに、イーヴィシュ人にはこんな顔を浮かべることしかできない。

 男性の笑顔を見てたまらなく悲しい気持ちになる。


「さて、それじゃあ私はもう行くよ。帰ったら、引越しの準備をしないとね。もうこの辺には住めないから。……君もイーヴィシュ人なら引っ越しを考えたほうがいいよ。ここで買った恨みがどこで返ってくるか分からないからね」

「ご忠告ありがとうございます」

「ろくにお礼もできなくてすまない。……それに君を巻き込んでしまって」

「いいえ、気にしないでください」


 男性は俺に何度も頭を下げると、体を引きずりながら路地裏を出て行った。

 理不尽な暴力を受けたというのに、イーヴィシュ人にはどうすることもできない。

 警察に行ったところで、アンフラグ人による殺人未遂なんて罰金程度で済む。

 むしろそれで恨みを買ってしまうほうが、のちのち大きな事件に発展させてしまう可能性が高い。だから、イーヴィシュ人は警察にはいかない。そして、顔を覚えられてしまった以上は、リスクも考慮して引っ越すという選択肢は妥当だった。


「くそ、胸糞がわるいぜ」


 そのどうしようもない現実にリックは毒づく。


「すまない、せっかくラーメン屋に行こうって話だったのに。それじゃあ、気を取り直してホーライサンに行こうか」

「そうだな。あーあ、まったく水を差されちまったぜ」

「ちょっと待ちなさい」


 俺とリックが路地裏を後にしようとすると、アリアが鋭い声でそれを遮った。


「んだよ、アリア。俺もう腹減ったぜ」

「ベルネス君は黙っていて。レン、まだやることが残っているわよね?」

「……やること?」


 アリアが何を言いたいのか分かるような気がした。

 しかし、それが間違っていると思いたくて、俺は曖昧な返事をすることしかできない。


「惚けないでよ。そこの三人どうするのよ。あんたの顔も、ゼントム第一高校の学生であることもバレたの。それでこのまま放置って冗談でしょ?」

「つまり……殺せってことだな」

「そういうこと。私ちょっと疑問だったのよ。レンがちゃんと人を殺せるのかって。あなたはたまに『殺す』という言葉を使うけど、今まで本当に殺せたことがある? これは私の予想だけど、あなたは『殺す』という言葉を使うことで、自分を奮い立たせているんじゃないのかしら。でもね、この先はそんな生半可な気持ちではやっていけない。機械的に、無情に、冷静に、相手を殺せなきゃダメ。だから、あなたの覚悟を見せて欲しいの」


 ……想像通りだった。アリアは俺が最も恐れていたことを口にした。

 アリアの言う通り、俺は殺すと言う言葉を使うことはあっても、本当に人を殺したことがなかった。

 いつかの帰り道、ミアの通う高校を狙うチンピラ三人組を殺せなかったように。

 アリアとの戦闘の際、最後の最後までアリアを殺す決心がつかなかったように。

 今だって、目の前のクズみたいなアンフラグ人を殺すのを躊躇っていた。

 

 俺は今日まで誰一人殺したことがなかった。

 デイブレイクなんてものを立ち上げ、魔王を殺すと豪語していた割にはアンフラグ人のクズ一人すら殺せない。そんな今日まで背けていた現実を突きつけられた。


「……あぁ、分かった」

「私を失望させないでね」


 もう逃げることはできない。魔王を殺すという道を進むからには、人を殺すということを避けて通ることができないのだ。

 これは時間の問題。いつかはやらなくてはいけない。それなら、今ここで自分が人を殺せることを証明しなくては。

 肉体強化。魔法力を拳に集約。あとはこの状態で、一人一人の頭部を殴っていけばいい。そうすれば、こいつらの頭はただの肉片と変わる。木っ端微塵だ。


「さ、早く。カウントダウンしましょうか。五秒あればいいかしら」

「……あぁ」


 歯切れのない返事をした。額から嫌な汗が垂れ落ちてくる。


「……レン」


 リックが心配そうにこちらを見ている。

 きっとリックも見抜いていたのだ。俺の甘さを。……その懸念をここで取り除かなくてはいけない。それがデイブレイクを立ち上げた俺の責任だ。


「五」


 やれ。


「四」


 やれ、このクズを殺せ。


「三」


 拳を振り上げ、このクズの顔に叩き込んでやればいい。


「二」


 スカッとするはずだ。こいつは文句がないクズ。


「一」

 

 こんなの殺したところで罪悪感なんてない! 正義はこちらにあるんだ!

 俺は拳を高く振り上げて、全力で振り下ろした。


「……ゼロ。レン——いいえ、ヴィルヘルム君。あなたには失望したわ」


 俺の拳は気絶している男の頭部を破壊せず、すぐ隣の地面に大きな凹みを作っただけだった。

 破壊の衝撃で男の顔面からは出血が見られるが、絶命には至っていない。


「くそ!」


 誰に対してでもない。自分に対する言葉だった。

 俺はこんなわかりやすいクズすら殺すことができない、ただの臆病者だった。


「あなたがリーダーだとこの先やっていけないわ。ヴィルヘルム君、あなたの復讐ってそんなものだったのね。……最後の餞別として殺しの作法を教えてあげるわ」


 アリアはスタスタと倒れている男達の方に向かって行く。

 そして男達の前で腰を下ろすと、両手に禍々しい呪いを集約させた。そのあとは、流れ作業のように一瞬だった。アリアはそれぞれの手で男達の顔面を掴んだ。


『ぐあああああああああああああああああああ』


 すると、気絶していた男達は目を覚ましおぞましい叫び声をあげた。どんな苦痛を受ければ、このような声が出るのか想像することも出来ない。

 しかし、徐々に叫び声は小さくなっていきあっという間に静寂が訪れた。

 死んだ。わざわざ近づかなくとも分かる。二人の男は死んだのだ。


「殺しってのはこれくらいシンプルにやるの。あれこれ考えないし、無駄な労力も使わない、ゴミを拾ってゴミ箱に捨てる……そんな当たり前の動作のようにやるのよ」

 

 俺は地面に崩れ落ちる。……あんな風に人を殺すことは俺にはできない。

 無感情、無表情、無関心。アリアはただの作業のように殺していた。

 ……改めて分かった。俺には人を殺す覚悟なんて出来ていなかったことに。


「さて、あと一人残っているけど。ベルネス君はどうする?」

「……やるよ。レン、悪い。俺はやっぱ魔王が許せないし、この国を変えたい。そのためなら手段は選ばない。ましてや、アンフラグ人のクズくらい簡単に殺せないとな」


 リックはそのまま躊躇うことなく、残った男のもとに近づいていく。


「た、たすけてくれぇ」

「俺の優しさは、仲間やイーヴィシュ人のために全部とってあるんだわ」


 目を覚まして命乞いをする男に対してもリックは怯まない。

 男の髪を掴んで無理やり持ち上げると、そのまま壁に向かって投げつけた。凄まじい音を立てて男は壁に叩きつけられる。高速魔法を使ったのだろう。男は車に轢かれたでは済まないくらい、ぐちゃぐちゃになっていた。

 リックはちゃんと殺した。リックだって殺しは初めてだったはず。


「これからもよろしく。ベルネス君」


 アリアは覚悟を示したリックに友好的に話しかけていた。

 俺のことなどもはや眼中にないといった感じだ。


「レン。お前はミアちゃんや周りの人を守ってやれ。汚れ役は俺がやる。レンはさ、何だかんだ優しすぎるんだよ。俺はいつまでもそんなレンでいて欲しいとも思う。だから、この先は任せてくれ」

「リック……」


 リックの優しさが身にしみる。同時にとことん自分が情けなくなる。


「本当ならヴィルヘルム君も口封じで殺したいところだけど、ベルネス君に免じてそれは許してあげるわ。ヴィルヘルム君、あなたは表の世界で生きていきなさい。——それじゃあ、死体を片付けないとね」


 アリアは例の『深淵』を生み出す能力を使って、死体を闇の中に葬り去って行く。

 ものの数秒で路地裏はまっさらな状態に戻っていた。


「すごいな、その能力」

「まぁ、色々と隠蔽には向いているわね。というか、ベルネス君。人を殺すときはもっとスマートに殺しなさい。死体は消せても、壁の凹みは直せないんだから」

「……善処する」

「それじゃあね、ヴィルヘルム君」


 アリアは死体を片付け終えると踵を返した。もうこんなところで立ち止まっている暇はないとでも言うように。


「じゃあな、レン」


 それにリックも続いて行く。俺は追いかけることも、立ち上がることもできなかった。ただ、情けなく地面に膝をついているだけだった。

 二人を追いかける気力も、資格も、俺は持ち合わせていなかった。


 魔王を殺す————その目標のために今日まで頑張ってきたというのに。また生きる目標を失ってしまった。心の中で燻っていた火種も消えてしまったようだ。

 こうして、俺はデイブレイクを去ることになった。

 普通の高校生として、普通の人生を歩むことを余儀なくされたのである。

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