3-6


 その事実を知ったのは母が死んだ時————七年前のことだった。

 

 母が強姦魔に殺され、俺は絶望のあまり生きる気力を失い、自殺を決意することを決意した。

 そして、あの日記と出会うことになる。母の苦しみ、絶望、嘆き、全てが書き連ねてある日記に。

 自殺をする決意をした翌日、俺は母の遺品を整理していた。そして、段ボールの奥底に隠されていた日記を見つけてしまう。


 俺が知らなかった母の全て。母の父……つまるところ俺の祖父はこの国の総理大臣だった。イーヴィシュがアンフラグに支配される前、最後の総理大臣だ。

 イーヴィシュが戦争で負けたことにより、戦犯として裁判で死刑を言い渡された。

 歴史文献によると、魔王によって火炙りにされたとのことだ。


 ————初めて知る事実。目の前が真っ暗になる。

 だが、これは序章に過ぎない。母にとって不幸の始まりはここからだった。

 魔王は大臣の娘だった母のことをえらく気に入っていたようで、嫌がる母のことを何度も、何度も、何度も犯した。

 日記には、母の屈辱、怨嗟、憎悪が綴られていた。


 そして、母の苦しみはそれだけでは終わらない。当時、母には結婚を誓い合った恋人がいた。

 そう、俺が父親だと教えられていた人物。写真でしか見たことがない、人の良さそうなイーヴィシュ人の男性だ。

 事故で死んでしまった。そう聞かされていた。でも事実は違った。魔王によって、母の目の前で虐殺されたそうだ。母は絶望した。その当時の日記は、ぐちゃぐちゃで文法すらまともではなかった。


 やがて、魔王は母に興味をなくし……躊躇なく捨てた。身寄りもなくなり、母は途方に暮れた。死すらも決意した。だが、母は死ななかった。————お腹の中に、俺がいたからだ。

 母にとって俺は、魔王との記憶を思い出させるものに過ぎなかったはずだ。

 それでも母は俺を産んでくれた。育ててくれた。

 学費を稼ぐため水商売をしながら。政治家の一族に生まれ裕福だった母が、全てを捨てて、俺のことを必死に育ててくれたのだ。

 母への感謝で涙が止まらなかった。

 やがて、俺は泣き止んだ。そして自殺するなんて愚かな考えは捨てた。


 魔王を殺す。

 あいつがいなければ、母の愛する人が殺されることはなかった。

 あいつがいなければ、母がここまで苦しむこともなかった。

 あいつがいなければ、母が強姦魔に殺されるようなこともなかった。

 

 俺は魔王への憎悪で頭がおかしくなりそうだった。

 湧き上がってくるどす黒い感情を抑えることができなかった。その怒りのエネルギーは形を変え、闇魔法の力へと昇華した。

 今までは普通のイーヴィシュ人のように光魔法しか使えなかった。

 

 しかし、その日から光魔法と闇魔法の二刀流となったのだ。

 基本的に現出できる属性は血筋に依存する。イーヴィシュ人なら光属性、アンフラグ人なら闇属性。

 いくら混血の子供でも、通常はより強い血筋の属性が表出する。

 だが奇しくも、母は政治家の娘……始まりの五族の血を色濃く受け継いでいた。


 そして魔王の邪悪な遺伝子はそれと拮抗したようだった。結果、俺のような子供が生まれてしまったのだ。

 そう、俺はイーヴィシュ人ではなかった。どんなにこの国が好きで、愛していても、この国を貶めた最悪な男の血を引いてしまっている。

 だから、俺はできるだけ闇魔法は使いたくなかった。


 もちろん要所要所では使っていた。アリア・フォードとの戦い、魔法実験準備室の窓から飛び降りる時、メイドの弓矢をかわした時。

 それでも、この魔王の力をメインにして戦うのだけは嫌だった。

 これまで光魔法にこだわってきたのはそれだ。しかし、最悪なことに伸び代があるのは闇魔法の方だった。この血はとことん呪われている。

 ——でも呪われていたって構わない。ひとまず目の前の女を殺す事が出来れば。


「さて、私もここで殺されるわけにはいかないから、本気でいかしてもらうわ」

「…………」


 この間の昼休みとは違う。全力で潰しに行く。

 光の「エネルギー」の性質を活用した光魔法。

 この魔法の力で自分の肉体の力を限界まで引き上げる。この魔法は詠唱をしないで即時発動できるのが強みだ。

 俺はギリギリまで強化した足腰のバネで教室の床を蹴り飛ばす。

 弾丸のよう速さでアリア・フォードまで迫り————魔法力を凝縮した拳を彼女の土手っ腹に叩き込む。


「かはっ!」


 アリア・フォードは勢いよく吹き飛び、実験室のガラスケースに激突した。

 凄まじい音が教室内に響き渡る。ガラスケースは跡形もなく砕け散り、あたりに破片が散乱していた。


「……やってくれるわね」

「やはり普通に立ち上がってくるか」


 教室内は凄まじい惨状だというのに、アリア・フォードは難なく立ち上がる。

 しかし、どうやらノーダメージという訳ではないようで、痛みのためか少し顔を歪めている。


「この様子だと、この間はだいぶ手加減していたようね」

「こうしてお前と殺し合いに興じているようじゃ、その努力も水の泡だがな」

「ずいぶん余裕そうね。……あんまり舐めないでもらえるかしら」

「…………ぐっ」


 突然、体が鉛のように重くなる。手足を動かそうとするがなかなか動かない。まるで夢の中にいるような。自分の体が自分のものじゃなくなるような感覚。


「どう、私の呪い?」

「無詠唱でここまで高度な呪いを…!」


 普通、無詠唱でかけられる魔法は敵の幸運値を下げるなどといった、即時的なものではないのがほとんどだ。

 さすがは魔王の血族というところか。だが、高度といえど呪いは呪い。内なる魔法力を解き放てば解除することも容易だ。

 俺は体の芯に力を入れようとする————


「それは悪手よ」


 アリア・フォードはニヤリと笑った。

 次の瞬間、散らばっていたガラスの破片が宙に浮き始める。


「モノの呪い。壊れる原因を作った人間に襲いかかる」

「しまっ——」


 呪いを解除する時、他の魔法の効果がすべてキャンセルされる。

 つまり、今の俺は肉体が強化されていない生身の状態だ。


「ぐああああああああああ」


 散らばったガラス片が身体中に突き刺さる

 咄嗟に頭や胸に防御魔法をかけたので、急所へのダメージは抑えることができた。しかし、それ以外の場所はガラス片が深く突き刺さり、とどめなく血が流れ出る。


「さっきの言葉もう一度行ってくれるかしら。私を殺すとかどうとか」

「何度だって言ってやる。お前を殺す」

「出来るものならやってみなさい!」


 アリア・フォードがこちらに向かってくる。またしても呪いの魔法が発動する。俺の体は鉛のように重くなった。他の魔法は一切使えなくなるが仕方がない。俺は魔法力を解き放ち呪いを解除する。

 

 ————と同時にアリア・フォードが殴りかかってくる。拳に魔法力を集約した状態で。


「くっ!」

「ほらほら、女相手に肉弾戦で負けるの?」


 腕を使って攻撃をガードしたものの、あまりの威力に骨が砕けた。

 それなりに体は鍛えていたつもりだが、アリア・フォードの身体能力が想像以上に高い。それに加えて拳に集まった魔法力。

 攻撃をいなすので精一杯だ。肉体強化の魔法を使えないと防戦一方になる。だが、魔法を使っている余裕もない。


「……なめるな!」

「っはぁっ!」


 彼女の拳をかわして、カウンターの一発を顔面に入れる。

 手応えあり。アリア・フォードは受け身も取れずに倒れ込んだ。

 なんのためにリックと組手をしていたと思っている。こういう魔法が使えない状況を想定しての試みだ。


「……女の顔を容赦なく殴るなんて、あなた普通に最低ね」

「都合のいい時だけ女ぶるな」

「それを受け入れるのが男の甲斐性ってものよ」


 全くダメージがないという訳ではなさそうだが、まだまだ余力はあるみたいだ。

 このまま肉体強化なしの状態で殴り合っていても埒が明かない。だが、呪いの魔法があるかぎり肉体強化の魔法は無意味だ。

 それなら仕方がない。早々に勝負を決めに行こう。


「我、根源を匿すもの」

「詠唱……せっかちな男ね」


 アリア・フォードはこちらに向かって駆け出してくる。拳には膨大な魔法力が集中していた。詠唱中に防御魔法などは使えない。コンマ一秒でも遅れたら、俺が死ぬ。


「永久の闇、その力を持って敵を打ち払わんとす。刻まれる時の流れを凍結せよ」


 ……間に合った。アリア・フォードの拳は、俺の顔面から数ミリ程度離れたところで静止している。これが俺の闇魔法。忌々しい力。闇の「時間断絶」の性質を活用した魔法だ。時間という概念を崩壊させる。

 例えば、自分の魔法力や魔法の発動権を先送りしたり、はたまた『窓を閉める』など行うはずだった動作の現出時間を変動させる。そして、迫り来る弓矢や拳など対象の時間を凍結させることができる。


 時間にして三秒。この魔法を使いこなさせるようになるまでかなりの時間がかかった。今だって有効に使えているのかと言われたら疑問が残る。

 だが、日々のトレーニングは自分を裏切らない。

 三秒もあればどんなことだって出来る。アリア・フォードの攻撃をかわせる位置まで移動し、限界までの肉体強化と拳に魔法力を集約した。

 この一撃を食らわせればおそらく彼女は死ぬ。三秒もあれば、全身全霊の力でノーガードの相手を殴り殺すころができる。


 時は動き出す。……初めての人殺し。俺はもう光の道は歩けないだろう。


「これで終わりだ」

「っ!?」


 アリア・フォードは目を丸くして驚いていた。

 それもそのはずだ。本来であれば殴り飛ばしていたはずの相手が、逆に自分自身のことを殴り飛ばそうとしているのだから。

 俺の拳がアリア・フォードの顔面に徐々に吸い込まれていく————その瞬間。

 半透明な何かが俺とアリア・フォードを隔たった。拳が透明な物体を貫通していく。ひんやりとしたものが肌にまとわりつく感覚…………これは水?


「かはっ!」


 それでも拳はアリア・フォードに届いた。だが、絶命していなかった。

 あの拳を生身の人間が受けて耐えられるわけがない。

 おそらく、間に生じた水が緩衝材となって拳の勢いを弱めたのだろう。

 

 しかし、なぜだ。どうして魔王の血族が、水を生じさせることができた?

 ……これはどう考えても水魔法の類だ。

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