鳥籠の屋敷からの脱出~怪盗ラビとお嬢様はハッピーエンドをご所望です!~
伊吹たまご
第1話
『3日後。最も価値のあるモノを盗みに行きます』
そんな手紙が昨日、銀行を運営するダデン家に届いた。
差出名義は、怪盗ラビ。
30年以上も前に王都を混乱に陥れた、有名な怪盗だ。
性別・出自・外見は謎に包まれており、ラビという名前だけが知られている。
だけどその正体を、私は知っている。
「最も価値のあるモノって、なんだと思う?」
広く豪華な自室。
ふかふかの1人用ソファに腰深く座りながら、ティーカップに注がれたホットミルクを飲み、私は床につかない足をバタバタと振り動かす。
「金額で言うならば、大国よりダデン家に贈られたマダム・ルビーでしょう。女性の握りこぶしより大きく、繊細なカット技術によって得た曇りを知らぬ輝きに、上品かつ鮮やかな深紅色の宝石! あれほどの宝石は、王国全土を見てもそう有るものではございません」
答えたのは、私の側で佇む専属の執事。
黒髪短髪でやせ型の、ひょうひょうとした男性のベルンだ。
年齢は若く、まだ30にもなっていない。
「やっぱり? んふふ。私、良いこと思いついたわ」
「おやめください、リリお嬢様」
私は今まで通り、完璧なタイミングでホットミルクを飲みほして、意地の悪い笑みをベルンに向ける。
「あの宝石、今から盗みにいきましょう」
「本当におやめください、お嬢様」
「かの有名な怪盗ラビが予告状を出したというのに、盗もうとした宝石は、既に他の誰かに奪い去られていた――なぁんて、とても面白い状況だと思わない?」
「ご冗談はその辺で……。さあ、もうすぐ9時になりますよ。8歳のお嬢様は、もう寝る時間でございます」
ベルンが私から、空になったティーカップを取り上げて優しく微笑む。
困ったような、微笑ましいような、そんな表情で。
この表情に、よくヘマしたものだ。
だけど“正解”を見つけてからはお手の物。
私は冗談よとばかりに、8歳らしく不貞腐れた顔を作る。
「ちぇ。ベルンがそう言うなら、仕方ないわね」
ふかふかな赤い絨毯の上に靴をおろし、私は自身の部屋を見渡す。
広くて、清潔で、高価な家具が置かれた自室。
だけどもその本質は空虚、もしくは孤独。
華やかな見た目に反して、この部屋はまるで牢獄だ。
原因は2年前。
私の両親が、1度に死んだことに起因する。
両親が死んでから程なくして、この屋敷には3人の他人が住み始めた。
父の兄にあたるアザムと、その妻子だ。
名目は私の保護。
真の目的は、私をこの家に監禁すること。
王国法によれば親の遺産はその実子――つまり私に相続される。
そして。
その実子が死んだ場合、遺産は直近2年間、その者を保護した人物に相続される。
つまるところ、アザム夫妻は私を殺して財産を得るために、私を生かしているのだ。
でも、その飼育期間も今日で終わり。
深夜0時を過ぎれば、私は殺されてしまう。
そうなれば、父が遺した鉱山の所有権と採掘権も、アザムに奪われてしまうだろう。
冗談じゃない。
私の命をついでで奪われるのは、もうこりごりだ。
「寝る前に歯を磨かなくちゃ。ベルン、お供して?」
「ええ。勿論ですとも」
よっ! と勢いづけてソファから降りて、部屋にある唯一のドアに向かうベルンに声を発する。
「そっちじゃないわよ」
そのドアから出ると両手両足を縛られ、朝まで放置された後、殺されてしまうのだ。
ベルンは私を助けようとしてくれるけど、いつだって結果は同じだった。
「……ですが、部屋から出るのでしょう?」
「ええ。そこ以外からね」
そう言って少し歩き、私は何の変哲もない壁の前に仁王立ちする。
さあ、ここからは時間との勝負よ。
「『緊急事態により詠唱を省略。汝、我が逃げ道となれ』」
キーワードを発すると、目前の壁が白く、強烈な光を放ちだす。
やがて光が収まると、現れるは鈍色の重厚な扉。
この扉がきっと、私の生存に繋がる唯一の道だ。
「そのティーカップは机の上にでも置いておいて。明日はもう、飲まないから」
唖然とするベルンを背後に、私は準備しておいた小袋と燭台を衣裳棚の奥から引っ張りだし、小さなロウソクにマッチで火をつける。
「さあベルン。お供、してくれるんでしょう?」
返事は待たない。
対話すべきこともあるし、ここでの数秒のロスは今後の計画において命取りになる。
私は鈍色の扉を開いて、その真っ暗な道を、左手で持つロウソクで照らす。
そうして私はふかふかな絨毯から、私たちは硬い石畳へと足を前に進めた。
「……お屋敷に勤めてから3年になりますが、魔術により隠された通路があるなんて、知りもしませんでした」
「そりゃ、知れ渡っている隠し通路なんて、隠し通路とは言えないでしょうね」
時間を数えながら歩き、後続してくれたベルンに返答する。
揺れ動く僅かな明かりだけを頼りに、複雑に分岐する真っ暗な道を、迷うことなく進んでいく。
「リリお嬢様は、この道をいつお知りになったのですか?」
「そうね、1週間前かしら」
290秒。
ここだ。
後ろを振り返り、訝し気な顔をするベルンの足元に、燭台を置く。
「ベルンにだけは教えてあげる。あの予告状を出したのは私。――私が、怪盗ラビなのよ」
「なっ」
ロウソクの明かりが下から照らすベルンの顔が、困惑と動揺に変わる。
「そ、そんなわけありません。怪盗ラビは30年以上も前から活動している泥棒です。8歳のリリお嬢様なわけが――」
「そうよね、やっぱり、私じゃないわよね。だって本物の怪盗ラビは、10年も前に死んでいるんだもの。だけど、こう考えたらどうかしら? 今の怪盗ラビは、2代目だと」
「……」
ベルンはだんまりだ。
だけど、開示すべき情報はまだ出し切っていない。
知ってるわよ。もう一押しが必要なのよね。
「本来の計画では今日、予告状が届くはずだったのよね?」
ふぅっと、ベルンが小さくため息を吐く。
そして意を決した様子で、ベルンが自身の短い黒髪を、右手でかき上げた。
「いつから、気づいていたんですか?」
「1週間前からよ。ベルン、いいえ。怪盗ラビ」
「……それで。どうして誰もいない場所で真実を? 貴女は聡明だが、所詮8歳の少女だ。力では私に敵うはずもない。今ここで貴方を殺してしまえば、怪盗ラビの真実は再び、闇の中だ」
その強がりに、私はくすっと小さく微笑む。
「できないでしょう? 怪盗ラビは殺人を犯さない。それは怪盗の掟に反するもの。ラビは怪盗であって、強盗殺人犯ではないのだから」
それに、と言葉を続ける。
「アザム達は知らないだろうけど、お金で買えないものってあるわ。それは信頼。貴方が怪盗ラビであれ、この2年間、私に良くしてくれたベルンを手放したりしない。だから安心して。貴方を警察やアザムに突き出すような真似はしないから」
「……。では、いったい何がお望みなのですか? 知る者は少ない方が良い隠し通路を、こともあろうに私と歩いて……。わざわざベルンではなく、怪盗ラビと対話した、その真意とは?」
真面目な顔のベルンに、私は真っすぐな目で見つめ返す。
「今夜0時、私は殺されるの。アザムが雇った輩にね」
「旦那様に……ですか?」
「そうよ。私が逃げないよう死なないように窓もない部屋に閉じ込めて、この家から1度も外に出さなかったのは、財産を相続する権利のためだもの」
「なるほど、王国法ですか。どうやって
「……それなら、怪盗ラビ。正式に依頼するわ」
私はニヤリと笑って、けれど小さな両のこぶしをぎゅっと握りしめて、背が高くひょうひょうとした怪盗ラビに――この屋敷で、唯一信頼できる相手に、震える声でお願いする。
「私を、ダデン家から盗み出して」
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