好きの反対は

柿市杮

好きの反対は



 

「ねえ〜、A君見向きもしてくれないよ。どうしたらこっち向いてくれるのかな〜」


 放課後の空き教室。いつもなら静まり返っている空間に、私の親友の声がこだました。このテの台詞を言う時のぶりっこっぽさも、今回はない。


 けど私には、A君に振り向いてもらう方法なんて、てんで見当もつかない。


「どうしたの? 何か変なことでもやっちゃったの?」


「そんな心当たりはないよ〜」


 親友は首を振った。


 A君というのは、私のクラスで女子から最も高い人気を誇るイケメンのことだ。顔も性格も完璧で文武両道。まるで王道ラノベの主人公みたい。


 そして私の親友は、彼に無謀な恋心を抱いているのだ。


「ねえ〜、彼の好みとか知らない? 情報屋でしょ?」


 情報屋。私はクラス一の情報通で、こういう恋愛沙汰のときではいつも頼りにされる。


 でも本当は、私だって──


 私は一瞬、奥歯を噛み締めた。


 私だって一人の女子。A君のことが気にならないわけがない。他人ひとの恋愛を応援したいって思ってるくせに、相反する感情が根が深い雑草みたいに、しつこく顔を出す。


 だから私は、いつも親友を応援するフリをする。


「彼の情報はかなり出回っていると思うけどね……、あ、これはバ……こほん。わずかにおつむが足りていらっしゃらない、愉快なおぼっちゃまからの情報であるのですが」


「ちょっと、なんか滲み出てるよ」


 それはいいの、と私は親友のツッコミを無視した。


「クラスの男子からの情報だけど、好きな人はどんな人か、と聞かれた時、よくわからない、と言ったらしいけど、その後に『もしそんな人ができたら、お互いに愛し合うような関係になりたいな』って言ったらしいよ」


 嘘だ。クラスの男子はそんなことを言っていない。それを知らない親友は、キャー

カワイイ! ロマンチスト! と黄色い歓声をあげた。


「割とラノベ好きで、オタク系の人と趣味が合うとか」


「実はクラスの中に気になる人がいるとか……」


 嘘も嘘、大嘘だらけ。A君はジャンプ派だし、情報屋として探りを入れた時に「恋愛にあまり興味がない」と言っていた。


 そんな作り話を見破ることもできず、親友は何度もうなづく。


「そっか、そうなんだ~。でもな〜、なんだか私、A君に異性として見られてる気がしないんだよね……。それどころか、ただの背景みたいに思われていそう。本当、どうしたらいいのかな……」


 親友は肩を落とした。まあ、彼女の気持ちは分かる。それぐらい、何年も一緒にいる私から見れば一目瞭然だ。


 ……ちょっぴり安心しちゃうけど……。


 私はわずかに俯く。


 親友のことは、文句なしに一生の友達だと思ってる。



 なのに私は、彼女が恋愛に成功したら、絶対に心の底で『嫌だ』って思っちゃう。

 A君に好きって言われたいとか、無茶な願望を膨らませるんだ。


 だから私は、体のいい『傍観者』じゃいないといけない。自分の中のトゲが、外から見えないように。脆いトゲが折れてしまわないために。


「いっそ今から玉砕してきたら? 確か今日はA君、部活でまだ学校にいるよ」


 私はおちょくるような声で言う。 


「無理無理無理無理、そんなの言えない! そもそも玉砕確定させないで!」


 私はふふっと笑った。けど、その笑いはなんだか乾いていた。


 わかってる。私はとっても自分勝手だ。心の中は歪んだ『愛』もどきでいっぱいのくせに、居心地のいい環境のために親友を応援するふりをする。自分すらも騙してる。


「もう……。『愛してる』なんて、恥ずかしすぎて言えないよ……」


 親友は顔を赤くし、両手で目を覆っている。


「これならいっそのこと、嫌われている方がいいのかな……」


 彼女は暗い声でつぶやいた。少し気になる言葉だと思った。


「ほら、好きの対義語は無関心、って言うでしょ?」


「確かに言うけど……」


 私はちょっぴり言い淀んでみる。私の親友が、どんな恋愛観を持っているのか気になったからだ。


「嫌われるってことはさ、少なくとも背景とは思われてないでしょ? だからいっそのこと、そっちの方がいいのかなって。情報屋としての意見はどう?」


 うーん、と私はその話題に乗っかるように相槌を打つ。心の中ではその言葉を、とってもばかばかしいと思ってるけど。


 ああ、私と違ってちゃんと恋愛してるんだな。率直にそう思った。ないものねだりの私とは、本当に大違い。


 私はそんなこともおくびに出さず、よくある模範解答を返した。


「いやいや、好きの反対は無関心か嫌いでしょ。これは間違いない。だって私、絶対に嫌いな人とは一緒にいたくないもん」


 むう……と、私の反撃に親友は少しむくれた。

 そんな可愛らしい表情を見て、愛くるしいと感じる。なんだかそれが憎たらしい。


 ふと、本音が口を突いて出た。


「……愛してるの対義語は、やっぱり逆ベクトルかな」


「え? どういうこと?」


 親友はよくわからないと言った表情で聞き返した。ちょっと深掘りされたくないから、適当にお茶を濁す。


「なんでもないなんでもない。あ、ちょっとトイレ行ってくるね」


 私は教室から出た。誰かが追いかけてるわけでもないのに、まるで逃げているように。


 私は当てもなく、西日に焼かれた廊下を進んだ。

 すると少しずつ、角の奥から足音が聞こえてきた。部活で残っている人かな、と思いながらぼーっと歩いていたら──


 ──え、嘘。


 廊下の角から、A君が出てきた。私の頭に『確か今日はA君、部活でまだ学校にいるよ』という自分の言葉が浮かび上がる。


 だめ。

 私はすぐに離れようとしたけれど、先に声をかけられた。


「あ、情報屋さん。帰宅部だった気がするけど……。あれ、なんだか暗い顔してるね。相談なら乗るよ」


 出会って唐突に、A君はそう言った。声も言葉も姿勢も行動も、いつも通り不思議なぐらいに優しい。


 今すぐここから消えないと。私はそう思った。なんだか、取り返しのつかないことをしてしまいそうだったから。


 でも、私は興味に負けた。


「ちょっと、相談に乗ってもらえません?」


「うん、いいよ」


 A君は即答した。


「私、好きな人がいるんです」


「へえ〜、いいじゃん。少年よ、大志を抱け! なんてね、はは。あ、少女だった」


 おちゃらけて、そして爽やかに彼は笑った。


「茶化さないでください。実は、好きな人が親友とカブったんです。親友の助けになりたいと思ってるんですけど、彼女の恋が叶わないことを願う自分もいて……」


「うーん、僕は恋愛沙汰に興味がないから、あんまりいいアイディアを出せなさそうけど……」


「いいんですよ。聞いてもらうだけで」


 私は淡々と話し始めた。


「……私の『好き』は何だか歪んでるんです。彼女の好きは『愛してる』ですけど、私の『好き』はその真逆——『愛して』なんですよ。愛と愛……ベクトルが真逆なんです。

 それが自分勝手な押し付けでしかないのはわかってるのに、捨てきれないでいるんです。ご利益なんてないのに、中を見たお守りを持ち続けるみたいに。そのせいでずうっと悩んでヤキモキして……本当、私はバカです」


「まあまあ、なにもそんなに自分の『好き』を否定しなくても……」


「そんな単純な話じゃないんです!」


 私は半狂乱になりながら、目頭を焼きながら続けた。


「私はどっちも好きなのに、好きな人も、親友も、どっちも大好きなのに、どっちも中途半端に──それどころか情報屋であることをいいことに、嘘だって教えてきたんです」


 一度溢れ出た奔流は、自分でも止められない。


「『愛してる』も『愛して』も、全部メチャクチャにひん曲がって、もう身動き取れなくなって……、嫌なんです。もう、愛なんて壊れちゃえばいいのに……」


 私の目から、感情が漏れる。涙に濡れた心が、どろどろと溶けていくみたいに、声が力を失っていく。


 A君に自分の気持ち悪さをさらけ出してしまった。その怖さが後から効いてきたみたいだ。


「ふうん」 


「ふうん……って」


 A君の意外な反応に、拍子抜けだと思った。


「まあ、僕が仲介したりするのは筋違いだし。でも、人の相談に乗るのも悪くはないかな」


 うーん、とちょっと悩むようにA君は首をひねった。


「僕が変だな、って思ったことだけど……恋した相手への『好き』じゃなくて、親友への『好き』はどうなの?」


「……? いったいどういう」


 ——あ、そっか。

 私は、その言葉の真意に気づいた。応援。助けに。どっちもからだ。


「どっちがいいとか正しいとかはわからないけど、大事にしたいを選んだ方がいいんじゃないかな。だってその方が、情報屋さんは楽しそうだし」


 心の奥の、深いところに、ちょっとずつ言葉が染み込んでいく。


 私は少しぼーっとしてその言葉を嚙み締めた後、ふふっと笑った。今回の笑いは、乾いていなかった。自然と流れ出た涙が、顔に安堵の化粧を作る。


「ああ、ちょとまってね。ほらほら、涙拭いて。ハンカチはあげるから。あ、それじゃあ僕は部活がまだあるから。またね」


 A君は手を振って、廊下の先に走っていった。


 うん、——戻ろうかな。


「そんな泣き腫らした顔しちゃって〜。声、聞こえてたよ」


 私が空き教室に戻ると、そんなことを開口一番に言われた。

 声が聞こえていたと知った私は、顔を赤くした。あんな大声で泣きついたらそうなるのは目に見えていたのに。


「そんなこと気にしてたんだね〜。いやあ、抜け駆けは良くないよ〜」


 人を食ったような親友の口調も、今となっては毒気を抜かれる。だから私は、甘んじて親友の言葉を受け入れる。


「それじゃあ、いちおう宣戦布告をしておこうかな。私は負けないよ?」

 親友は私の顔の前に、人差し指を突きつけた。

 たとえ恋敵になっても、私と親友の関係はあまり変わらないのかもね。それでこそ、親友と呼べるのかもしれないけれど。

 私は心の中で親友に呼びかける。

 なら私は親友として、挑発に反撃しよう。

「そんな大風呂敷広げるんなら、まずは嘘を見破れなかった自分のおつむを見直しなさい」

 私は「お返しっ」とばかりに、親友のおでこを指ではじいた。「あうっ」とかわいい声がした。

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好きの反対は 柿市杮 @kakiichi-kokera

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