オトコ女の千春 ~二人の関係を変えた一週間~

震電みひろ

第一章 中三の夏、二人だけの一週間編

第1話 プロローグ~そして二人だけの一週間が始まった

――もう一度、勝負しないか――


色とりどりの光が浮かぶ中で、彼女がそう言った。

いつもとは違った、不思議な色を瞳に湛えて……


――***が勝ったら、僕は何をするの?――


つい最近の記憶と、いつ、何の事かも分からない遠い記憶が交差する。

なぜだろう。

なぜ僕はこんな時に、こんな事を思い出すのだろうか?


目の前に置かれたアイスコーヒーのグラスが、吹き出すように水滴をまとっている。

その中の数滴が重力に負けて、スーと滴り落ちた。

まるで今の雰囲気に負けて、汗をかいているかのように。


「今日が期限だよ」


……そう言って彼女は、僕に決断を迫った。




その六日前……七月六日。


「それじゃあ、行って来るわね」


母さんは明るく言った。


「どのくらいで帰ってくるの?」


僕は母さんと千春のおばさんのキャリーケースを、タクシーのトランクルームに詰め込みながら聞いた。


「初七日までは向こうに居ないといけないからね。こっちに戻れるのは来週の火曜日になるかしらね」


けっこう長いな、と僕は思う。

もう中三だから、親がいなくちゃ嫌だとか困るとか、そんな事は別に無い。

でもその間は食事も洗濯も、全て自分でやらねばならない。

もっとも母親がフルタイムで働いているので、平日の夕食は普段からよく作っているが。

そんな僕の横で、千春は暇つぶしにストレッチをしていた。


「耕介君、悪いけど千春のこと、よろしくね」


千春のおばさんが、僕に向かってそう声をかける。


「ハァ? なに言ってんだよ。オレが耕介にヨロシクされる事なんて、何もねーよ!」


ストレッチを途中で止めると、千春が不満そうに口を尖らせた。

千春のおばさんは笑いながら「千春は何も出来ないから」と言うと、母さんと二人でタクシーに乗り込んで行く。



昨夜、僕の曾祖母が亡くなった。百六歳と言うから、かなりの長命だ。

曾祖母は僕の親族の中で、かなり発言力のある人だったらしい。

通夜と葬式には、三親等までの人は全員が集まると言う。

そのため、僕の母と千春の母親も、熊本まで葬儀に参列するために出かけたのだ。

今夜の通夜から初七日まで、約一週間。


僕の母と千春の母親は従姉妹同士だ。

祖母同士が姉妹である。

つまり僕と千春は『ハトコ』と言う訳だ。

『マタイトコ』とも言うらしい。


僕の家も千春の家も父親はいない。

僕の家は両親が離婚、千春の家は彼女がまだ小さい頃に父親は病死している。

そう言う訳で、僕は祖母の家に住んでいる。

その隣が千春の住む家だ。

僕の母と千春の母親はどちらも一人っ子で、子供の頃から姉妹のように仲良く育って来たらしい。

両方とも夫を亡くし、その結果として実家に身を寄せれば、双方ともに行き来があるのは当たり前だ。


だが……僕は千春が苦手だ。

このガサツと言うか、乱暴と言うか、傲慢と言うか。

ともかくテレビかマンガに出て来るイジメっ子の要素を、全てを合わせたような性格をしている。

小学校時代のアダ名も『女ジャイアン』だ。


そう、千春は女だ。


……たぶん……



僕はチラっと横目で千春を見た。

身長はほぼ同じ。

(正直に言うと、僕が一六七センチなのに対し、千春が一六八センチだから、一センチ向こうが高い)

そして日焼けした小麦色の肌。

ほぼ僕と同じくらいに短く、耳まで出したボーイッシュなヘアスタイル。

きれいな二重だが、キリッとした男前なアーモンド形の目。

瞳の色は薄い茶色っぽく、アゴは細くシャープな感じだ。

初対面で顔だけ見たら「男だな」って思うヤツも、半分くらいはいるんじゃないか?



僕の視線に千春が気が付いた。


「なに見てんだよ?」


いきなりケンカ腰ですか?

僕は小さくため息をついた。


「なんだ? その切なそうなタメ息は? オレに惚れてるのか?」


ハ?  なに言ってんだ、コイツ。

だが僕が言い返すより、千春の次の言葉の方が早かった。


「今夜から二人っきりだからって、オレに欲情するなよ!」


そう言うと千春はカラカラと男みたいな笑い方で、自分の家に戻って行った。


「二人っきりって、家は別だろうが……」


一人になった僕は、小声でそう言った。


だが早速、千春の来襲は始まった。

僕が居間で勉強をしていると、ドカドカという音と共に、勢いよく縁側に上がって来る。

「お邪魔します」も何も言わない。

ただ庭に面した縁側から勝手に上がって来て、僕がいる座卓にドッカと座り込んだ。


僕が住んでいる祖母の家(祖父母は死去しているが)は、かなり古い日本建築の家だ。

一般的に想像する『田舎の農家の家』と言えば解りやすいだろうか?

その同じ敷地に千春の家は建っている。

元々は千春の祖母、つまり僕の祖母の妹の家だ。

ちなみに千春の祖父母ももういない。


僕は横目で彼女を見た。


「なんでここに来るんだよ。自分の家で勉強すればいいだろ」


だが千春は悪びれもしない。


「コッチの家の方が涼しいんだよ。エアコンを付けると電気代が勿体ないだろ。それにこの家にはオレの部屋もあるんだ。文句ないだろ?」


千春の言う通りだった。

僕の祖母は千春も孫同然に可愛がっていた。

またこの家は昔ながらの農家っぽい家だから、部屋数もけっこうある。

よって一室は『千春の部屋』として割り当てられていた。


「それにココには、オレ専属の家庭教師もいるしな」


……勝手に家庭教師扱いすんな……


僕は千春を無視して、勉強に向かった。

明日は期末試験の二日目で数学と英語長文。

明後日までは期末試験期間だ。


「耕介、数学を教えてくれ! おまえ、数学は得意だろ」


僕が自分の勉強に取り組んでいるのは、まったくお構いなしだ。

コイツのジャイアン的性格は、小学校の頃からまったく変わってないな。

僕はタメ息をついて千春の問題集を覗いた。


「どこがわからないって?」


「コレコレ、52番。『ルート1080aのルートを外すため、最小のaの値を求めよ』ってヤツ」


「こんなの簡単だろ。これはさ……」


僕はコピー用紙に考え方を書いて説明した。


「おお、さすが『ラジオ工作部』なんてマイナー部活に入っているだけあるな。耕介は理科と数学は得意だもんな」


「『マイナー部活』は余計だろ」


千春が言う通り、僕はラジオ工作部というクラブに入っている。

実際の活動内容はラジオ工作と言うより、電子工作とプログラムでのゲーム作りなんだが。

千春の方は女子バレー部と陸上部の兼務だ。

女子バレー部の方が本業らしいが、足が校内一速いので、陸上部の顧問に頼まれて 仕方なく両方所属しているらしい。


三時間ほど経過しただろうか?

ちょくちょく千春が質問して来るので、僕の方は思ったほど勉強が進まなかった。

既に周囲は暗い。

七月に入ったせいか、夜になってもけっこう蒸し暑い。


「アッチいな。フロは沸いてるのか?」


こう言ったのは千春だ。


「まだだよ。浴槽を洗ってからかな」


「入れて来てくれよ」


「この家で入るつもりか? 自分の家で入れよ」


僕がビックリして聞くと


「一人で風呂を沸かして入るのは、ガス代も水道代も勿体ないだろうが。そういう現代人のムダを省く事が地球温暖化を食い止めるんだよ。おばさんもそう言ってただろ?」


と堂々とのたまわった。

確かに、母さんも、そして千春のおばさんもそう言って、風呂はどちらかの家で入る事は多いが……。


「じゃあ何で僕が風呂を入れて来るんだ?」


「ココはオマエん家だろ? さっき自分でそう言っていたじゃねーか」


この自分勝手さ、都合のいい屁理屈。

さすがは女ジャイアンだ。

だがここで言い争っても何もならない。

この手の事で千春が譲歩する事は絶対にないからだ。


僕は黙って立ち上がると、浴室に向かった。

浴槽は、僕が学校に行っている間に、母さんが洗っておいてくれたみたいだ。

僕は浴槽にお湯を貯めるだけでいい。

これはスイッチ一つで出来る。

この家は家屋自体は古いが、浴室やキッチンなどはリフォームされていて最新設備だ。

僕は浴室のスイッチ『浴槽にお湯を入れる』を押して、居間に戻った。


「アレ? 早いじゃん。もう風呂掃除は終わったのか?」


千春がテレビをつけながら、そう言った。


「母さんが浴槽は洗ってくれていたんだ」


「楽できて良かったな」


自分はもっと楽してるクセに、良く言うよ。


十五分後、『お風呂が湧きました』という自動音声が流れる。

千春は当然のように「フロ、先に貰うな」と言って、サッサと浴室に向かおうとする。

僕はそれにはもう、反論しない。


「晩飯は焼きそばにするから」


後ろを通り過ぎようとする千春に、僕が短くそう言うと


「え~、オレは白いご飯が食べたいんだけど」


と千春が若干不満そうに言う。


「明日は試験なんだ。そんな余計な時間はないよ」


僕はそう答える。


「チェッ、仕方ないな」


そう言って千春は脱衣所に入って行った。

僕の方も立ち上がって夕飯の仕度に取り掛かる。

キャベツとピーマンと安い豚肉の細切れを、適当な大きさに切る。

中華鍋に油を引いてそれらをブチ込み、しばらく炒める。

適当な所で、市販のやきそばの麺を入れて、蒸らすように炒める。

水を入れず、野菜から出た水分だけで麺をほぐすのが美味しくするコツだ。

最後に粉ソースとカツオブシ粉を入れて、よくかき混ぜれば完成だ。

千春はまだ風呂から出て来ていない。

焼きそばだけだとまた文句を言われそうだから、卵焼きを乗せて「オム焼きそば」にする。

卵を三つ取り出しボールに入れて軽くかき混ぜ、フライパンで丸く薄い卵焼きを二枚作る。


「おっ先ぃ~」


千春がその時になって風呂から出て来た。

バスタオルで頭を乱暴にゴシゴシと拭いている。

その拭き方も男みたいだ。

いや、千春は『女の形を真似た男』か。

装いも大き目のTシャツに短パンという、完全に『自室にいる独身男ルック』だ。


僕は二人分の皿を出し、それぞれに焼きそばを盛り付けると上に卵焼きを乗せ、居間の座卓まで持っていった。


「お、オム焼きそばか? 美味そうじゃん」


さっきは「ご飯がいい」とか文句を言っていたクセに。

僕は二人分の箸と水を入れたマグカップを出して、オム焼きそばに取り掛かった。


「いただきます」


すると千春がキョトキョトと座卓の上を見渡す。


「おい、ケチャップとタバスコは無いのか?」


「焼きそばのソースで、十分に味は濃いよ。必要ないだろ?」


「いやいや、『オム』が付いたらケチャップとタバスコは必須だろ?」


下品な舌しやがって。

僕は無言で立ち上がると、冷蔵庫からケチャップとタバスコを取り出し、千春に渡した。


「ホラ」


「さんきゅ~」


まったく感謝を感じられない軽い返事を返すと、千春は上機嫌でオムやきそばの上にケチャップとタバスコをかけた。

さっそく卵焼きを切り崩すように食べ始める。


「うん、うまいよ! さすが耕介。ムダにラジオ工作部なんて、陰キャな部活に入っているだけあるな」


「ラジオ工作部と料理は関係ないだろうが。それから文化部を下に見る、その発言は止めろ」


「お? 怒った? じゃあちょっとは男らしい所を見せてみろよ。後で腕相撲の勝負をするか? オレに勝てるようになったか?」


僕はジロリと千春を睨んだ。

実は中一の終わりまで、僕は千春に腕相撲で勝てた事が無かった。

その後は一度も勝負をしていない。

中三になった今では、千春に腕相撲で勝っても自慢にならないし、万一負けた場合、コイツは学校で何を言いふらすか解らない。


「やらないよ。黙って食べろよ」


「やった~! また不戦勝! これでオレ様の全勝記録は更新中だな」


……勝手に決めるな!……


僕はそう思いながら、オムやきそばの残りを口にかき込んだ。

僕が食べ終わるのとほぼ同時に、千春も食べ終わった。

僕は二人分の食器を流し場に持って行く。

放っておいても、千春は絶対に片付けない。

使った食器は軽く水道で流してから、食洗器に入れておく。

洗うのはもうちょっと食器が溜まってからでもいいか?


そのまま浴室に向かった。

浴室もけっこう暑かった。

もう季節的にシャワーだけでいいかもしれない。

僕が風呂から出て来ると、千春はまだ居間で寝そべってスマホを弄っていた。

僕を見ると上半身を起こす。


「フロ、長ぇよ。待ちくたびれたじゃんか」


「誰が待ってろって言ったよ?」


僕のその言葉は無視、千春はまた問題集を開いて指さした。


「ココ、この問題。『二次関数y=2分の1xの二乗と、y=マイナス2分の1x+3の交点と原点の三角形の面積?』って、どうやって考えるんだ?」


「これはさ……」


僕は問題の考え方を図に描いて説明した。


「お、そうか。簡単じゃん」


千春はそう言うと問題にとりかかった。


……普通はまず、教えてくれた相手に礼を言うのが先だろ?……


そう心の中で呟く。

もっとも千春は元々頭は悪くない。

一度説明すれば大抵の問題はすぐに出来るようになる。

単に脳筋体質で嫌いな勉強はやらないだけだ。


その後もしばらく二人で勉強した。

だが千春は二時間もすると


「ハァ~、疲れた。ちょっと休憩」


と言って、再び居間で横になった。

そのまま大の字になって目を閉じている。


……これでやっと自分の勉強に集中できる……


僕はそう思って、自分の問題集に取り掛かる。

それから二時間は自分の時間としてミッチリ勉強できた。

千春の方は、その間ずっと寝たまんまだ。


……ちょっと休憩じゃなかったのかよ……


そう思って時計を見ると、もう十二時を回っている。

僕は千春の肩に手をかけ、軽く揺さぶった。


「千春、千春。こんな所で寝るなよ。寝るなら自分の家で寝ろよ」


「ん、ん……うぅんん……」


千春は寝返りを打って背を向けた。

起きる気配は全くないし、どうやら起きる気もないようだ。

僕はまたもやタメ息をついた。

仕方がないので、となりの部屋から千春用の毛布を持ってくる。

この家には千春の部屋だけじゃなく、専用の布団も一式あるのだ。

まだこの時期は、毛布も無しじゃ明け方は寒いだろう。

僕は毛布を広げて千春に掛けてやる。


「……うん……」


千春は満足したように毛布にくるまった。

僕は部屋の電灯を豆電球に切り替えると、居間を出て行った。



そして……これが僕と千春の関係を変える第一日目になる。

この時の僕は、そんな事は1ミリたりとも考える事はなく……

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