その瞳が俺を映した日

朝霞みやこ


王家に生まれし者として、政に身を捧ぐは理。


俺、メイナード・アコナイトはブルームヴェイル王国の第一王子として、この世に生を受けた瞬間から『国のため、民のために在るように』と育てられてきた。

だから政略結婚が決まった時も務めとして受け入れた。


――ナスターシャム公爵家。


もともと強大な財政力があったが、ここ数年で軍事力を合わせ持ったことによって「武力と金を同時に握る者が、王家を差し置いて権勢を振るうのではないか」「いずれ中央に楯突くつもりなのでは」と他貴族からの疑念と警戒が強まっていた。


 ナスターシャム公爵家にそのような反意などないと言っても、一度浮かび上がった疑念はなかなか消えない。

 そこで持ち上がったのが、ナスターシャム公爵の令嬢――マルティナとの婚約だった。


 王家が縁戚となることで「公爵家の独走を王家が制御した」「公爵家の力を“中央の一部”として吸収した」と印象づけさせ、派閥の均衡を保つ。そんな政治的思惑のもとで。


 実際のところ、ナスターシャム公爵家が軍事力を得たのは、自領――ひいてはブルームヴェイル王国を守るためだ。


 近年、隣国では政変と内乱が相次ぎ、国の情勢が著しく悪化。難民や山賊まがいの集団の増加に伴い、国境沿いの治安が不安視されていた。

 そうした情勢に対し、ナスターシャム公爵家は有事の際には即座に対応できるようにと、その潤沢な財政力を活かして常備軍の再編成と軍備の拡充を行った。

様々な懸念を考慮し、事前に王家の承認を得たうえで。


 そんな公爵家の行動は「国のために在ろう」とする姿勢の表れに思え、敬意を抱いていた。

 だからこそ、公爵家の令嬢であるマルティナとの婚約は派閥の均衡を保つためだけのものではなく、互いに「国を思う者」として信頼を築くことができるのではないか――そんな未来への期待を抱いた。


 ――けれど。


 婚約者として顔を合わせたマルティナは柔らかな微笑みを浮かべながらも、その瞳の奥に隠し切れない恐怖を滲ませていて。

 張り詰めた薄氷のように触れたら崩れてしまいそうなほど脆く見えた。



 顔合わせの場は、表面的にはつつがなく終わった。


 けれどそれ以降、マルティナが公の場に出てこなくなったと報告が入った。

 もともと体があまり強くないとのことだったが、あの表情を見てしまった後ではそれだけが理由とは思えない。


 疑問を抱えたまま、婚約者として幾度か文を交わし、非公式な茶会の場を設けた。

 文には丁寧な返事があり、茶会の打診を断れることはなかったが、いつも一定の距離を感じた。


 マルティナは俺を見ているようで、俺を通して別の『何か』を見ている。

 そして、その『何か』に恐怖している。


そのことに気付いたのはいつだったか。


(何がそこまで君を怯えさせている?)


 問いかけたい衝動に駆られたが、言葉にしなかった。

 王族である俺が問えば、マルティナは答えざるを得ない。強制したくなかったし、なにより彼女は知られたくないと思っているようだったから。

 無理に踏み込んで、苦しめることは避けたかった。


 そう思う一方で、婚約を解消することはできなかった。

 マルティナの眼差しから、彼女の抱く恐怖が「王太子という存在」に起因しているのは明らかで。つまりその苦しみの一端は、間違いなく俺自身なのだ。


 であれば、その枷から解き放つことが最も優しい選択なのだろう。

 もし俺が何のしがらみもない立場であれば、それも選べたかもしれない。

 だが俺は次期国王として生きる運命にあり、この婚約は国の均衡を保つために結ばれたものだ。


(……マルティナ。君を、解放することはできない)


 ならば、せめて――


「この婚約は政略によるものだが、ちゃんと君を知りたい。君の家族になりたいと思っている」


 この関係を苦しみだけのものにしないよう、できるかぎりの誠実さを尽くしたい。


 政のためではなく、婚約者としてでもなく。

 ただ一人の人間としての思いを告げると、マルティナは驚いたように顔を上げた。その双眸がまっすぐに俺を捉える。


 それまで俺を通して別の何かを見ていた彼女が、初めて「俺」自身を見ている――そう認識した瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 この感情をなんと言い表したらいいのだろう。言葉にならないまま、ただ静かにマルティナを見つめ返す。


 真摯に在ろう。心を預けるに値する相手だと信頼してもらえるように。

 待とう。いつか君が、自分の言葉で話してくれるその時まで。


 芽生えた感情が、義務ではない未来へと俺を導いていく――そんな予感がした。

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