君の死体に、まだ名前を呼ばれている

辰巳しずく

君の死体に、まだ名前を呼ばれている

 今日は律が死ぬ日だ。

 僕はそれをもう――何度目になるのか分からなくなるくらい繰り返している。


「はぁ……」


 目が覚める場所はいつもここ。通学路のど真ん中だ。

 朝の冷えた空気に混じって夏の匂いがする。日差しもまぶしい。

 今は涼しいけれど、日中には袖をまくりたくなるほどに暑くなる。

 最初はその暑さも。猛暑を予感させるまぶしさも。挨拶を交わす鳥の声も。

 ここに戻るたびに胸がぎゅっと締めつけられていたけど、今はもう慣れてしまった。


「どうしたの、夏月なつき


 隣で歩いていた律が不思議そうに振り返る。立ち止まった僕に向かって。

 こうして律がいつものような声で呼んでくれるのが嬉しくてたまらない。

 でも同時に怖い。だってこのあと、彼は死ぬ。夕方になったら死んでしまうんだ。

 何をしても、どんなに手を尽くしても、律の死は避けられない。

 横断歩道での交通事故。学校の窓からの転落死。建物が崩壊して、その瓦礫が律に降り注いだ時もあったっけ。


「……いや、なんでもない」


 返事をするとき、声が少し震えてしまった。

 とっさに律に悟られないように目を逸らす。けれど自分でも変だったため、誤魔化すために制服のポケットからスマホを取り出した。

 時刻、午前8時04分。時間を確認するように装いつつ、本当に何でもないように歩き出す。

 大丈夫。この時点ではまだ律は元気で、笑っている。

 だからこそ僕はまだ諦めずにいられる。あるかもしれない未来に少しだけ希望を持てる――でも怖くて怖くて仕方がないこともホントのこと。


 何故、ループなんて現象が起こったのか全く分からない。

 それに律だって――時々、会話が嚙み合わなくなるのがとてつもなく恐ろしい。


 僕たちは自他共に認める親友だ。

 少なくとも僕にとってはそうだった。

 毎日を同じ場所で過ごして、夢を語って、たまに喧嘩して。それでも帰り道は一緒。

 だけど今、隣にいる律はそのことを覚えていない。

 いや、正しくは具体的な内容について知らなかったかのようにふるまうのだ。

 そうだっけ? と首をかしげて笑う表情に何度も騙されそうになる。


 でも僕は覚えている。たとえば律、君がクラスメイトの仲のいい女の子を好きになってしまい、僕に相談した日とか。

 たとえば昨日――僕にとってはとても昔だけど――、その子に告白して付き合うことになったと耳まで赤く染めて報告したこととか。


 どうして覚えてないんだよ、大事なことだったろう?


「ほんとに大丈夫? 顔色、悪いような気がするよ」

「いや、ホントになんでもないってば」


 きっとこのループには秘密がある。

 それが何なのか、まだ分からない。

 その糸口すらつかめていない、ましてやこの日をあとどれだけ繰り返せばいいのか途方に暮れている僕には自分のふがいなさが悔しいし、それが痛みとなってジクジクと苛む。


 そんな僕にもできるのは――

 今日も律のそばにいること。

 君を失わないために。たとえ何度、繰り返すことになってもだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 太陽が昇って教室の空気がぬるくなった頃、律は少しぼんやりし始めた。

 この時間帯になると、必ず同じ表情になる。

 不安でも、迷っているとかそんなんじゃなくて……吹っ切れたけど、それでも心残りがあるような顔と遠くを見るようなまなざし。


「なあ、律」

「ん?」

「……今日はさ、寄り道しないでまっすぐ帰ろう」

「なんで?」

「なんとなく……嫌な予感がするからじゃダメか?」


 律は苦笑した。

 いつもと同じ笑い方。けれど僕にはその顔がコピーのように見えた。

 たしかに僕は数えるのがバカらしくなるほどループしている。

 そのせいか、律の表情や声に新鮮味を感じないのだ。

 まるであらかじめ撮影された映像を毎日、見せつけられるだけみたいな感覚にたびたび襲われてしまう。


 そのたびにこう思ってしまう。

 僕とこのループする世界、一体どちらが狂っているんだろう? と。


「いいよ。テストも近いし、家で勉強しようか」


 それでも世界の時間は進み続けるし、僕の目標も変わらない。

 放課後、僕たちはまっすぐ帰路を歩む。が、不意に律が立ち止まる。


「律?」


 律の視線をたどれば何てことない、通学路のそばに佇んでいる公園を見つめていた。

 懐かしい。公園には桜があって、春になったら律はいつも桜の花を見上げるために近づくんだっけ。


 その横顔が僕はとても――

 何なら夕日に染まる今の律だって――


 オレンジ色の光が射す。

 爽やかな風が吹く。


 ――その瞬間、どこからか車のブレーキ音が鼓膜を裂いた。


「律!!」


 僕はすぐさま律の肩を掴もうと手を伸ばす。

 大丈夫、間に合う。何度もここには来ているから。

 パターンだって全部、頭に入っている。だから次に何が起こるのか、どうすれば良い方向に転ぶかも知っている。


 でも――僕の手は律に触れられなかった。

 掴もうとした肩がすり抜けていったから。


(……え?)


 直後、律の体が走り抜ける車の衝撃に弾かれて宙に浮く。

 そのままアスファルトに投げ出され、頭からゆっくりと血が広がっていった。

 僕は叫ぶことすらできず、立ちすくむしかない。

 

 どうして――触れられなかった?

 これまでだって、何度もこうした場面は繰り返されてきた。車が来るタイミング、律が立ち止まる位置、僕の動き。全部覚えていたはずなのに。

 初めてだった。律の体が透けるようにして、僕の手をすり抜けたなんて。


 ――こんなの、想定外だ。


 膝が崩れ落ちる。思考が追いつかない。

 律に駆け寄る人々の怒号や悲鳴が耳の奥で反響する。

 血の匂いが鼻を刺すが、けれどそれらはまるでガラス越しに聞こえるみたいに遠く、ぼやけていた。


 いや、実際にぼやけていく。

 目に映る全ての動きが不自然なほどにスローモーションになっていき、それとともに世界がセピア色に沈んでいった。


 ――ループが始まろうとしている。


 そのとき、視界の端に色鮮やかな人物が立っていることに気づいた。

 喪服姿。無表情。年上の同性。手にはユリの花束を持っていて、その目はまっすぐに倒れた律を見ている。

 まるでそこで起こった出来事を透視しようかとするように。


「……夏月」


 その声を聞いた瞬間、僕の心臓から音が消えた。

 男性はそばで硬直している僕に気づかず――、いいや、最初から存在していないかのように見向きもせず、律のほうを見つめながらかがんで言った。


「君のこと、噂で聞いたよ。あれからずいぶん経ったけど、君にとっては何もかもがあの日のままなんだろうね。でも……もう十分だろ。安らかに眠ってくれ」


 男性は微笑んでいるような、泣き出しそうな、歪んだ笑みを浮かべる。

 そして持っていた花束を電柱に立てかけるように置くと両手を合わせた。

 その姿がだんだん白く淡くなっていき――



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「……はぁっ!」


 目を開けると、朝の通学路だった。

 いつものように風がそよぎ、夏の匂いが鼻先をくすぐる。

 でも僕の呼吸は乱れていた。背中なんか汗でびっしょりだ。


「……おいおい、夏月? どうしたの?」


 また律が隣にいる。

 優しい顔で僕を見ているけど、その表情すら今の僕には怖かった。


「今の……何だったんだ」


 息を呑む。

 ユリの花束を持った喪服の男性。あれは幻覚とか妄想とかじゃない。たしかにあの瞬間――ループに存在しなかった人物があらわれた。

 いいや、それだけじゃない。何故、僕の手は律の体に触れられなかったんだ?

 もしかして――このループに変化が起きている?


「……なあ、律。今日って何日だっけ」


 なるべく平静を装って尋ねてみる。

 すると律はちょっと驚いた顔をして、それから笑った。


「何日って……今日は6月18日じゃん。変なこと言うなって。テスト前なんだし、気合入れなきゃ」


 律の言葉にゾクリとした。

 やっぱり日付は変わっていない。

 何百回、いや、何千回と繰り返したこの日は律が死ぬ日だ。

 だというのに異常が発生した。律に触れられなかったこともそうだけど、あの喪服の男性がひときわ異彩を放っている。


 だってあの人は僕の名前を呼んでいた。

 それはすなわち僕を知っているということだ。でも僕は知らない。彼のことを。会ったことすらない。


「……なんでだよ」


 つぶやいた声は自分のものとは思えなかった。

 体が、足が重くてたまらない。まるで泥に引きずり込まれたように。

 それでも僕は考えてしまう。喪服の男性や彼が発したセリフの意味を。


(あれは……もしかしてループの外にいる人間? だから今まで会ったこともないし、ループの寸前でも滑らかに動けた?)


 彼は律の死を悼んでいた。

 それはつまり律を知っている人物ということである。

 おまけに僕の名を呼んだことから、僕のことも知っているのは間違いないだろう。


(しかもループを知っているような口ぶりだった……)


 ――いや、とそこで理性が待ったをかける。

 本当に喪服の男性が口にしたことはループだったんだろうか?

 だって彼が最後になんて言ったか覚えているだろう?


(まさか……)


 頭の奥で警鐘が鈍く鳴る。

 目にした変化のかけらを呑み込んではいけない。その意味すらも受け入れてはならない。


 でも、もしも。

 もしもこのループがためではなく、ものだとしたら?


 ――そんなのは嫌だ。


「夏月?」


 不安げに覗き込む律。その優しさに僕は答えられなかった。

 恐怖に口が閉ざされたからじゃない――律、お前と会えなくなる。そんな未来を想像するだけで圧迫感で吐きそうになったからだ。


(もし、あの男にまた会えたのなら。その時は声をかけてみよう。何が起きているのか、その時に確かめればいい)


 自分にそう言い聞かせ、僕は深く息を吐きながら「なんでもない」と返す。

 そこでようやく律は笑った。「変なやつ」というおまけつきで。


 それでもいい。それで構わない。

 僕は今日を繰り返す。もう一度、いや、何度でも。

 たとえ僕がもう幽霊だったとしても。


 僕は君に会いに行く。

 せめて名前を呼んでもらうために。


(了)

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