仕事は妖精と一緒だと楽しい? はぁ?
うちの会社には、ある怖い噂がある。
それは一階の会社でも特に大きい女性トイレから、誰もいない時に声が聞こえるというもの。
たまたま声を聞いたおばさんの社員を通して、その情報は瞬く間に広がっていった。そのトイレは、心霊系を全く信じないかむしろ興味のない社員しか使わなくなった。
使う頻度や人が少なくなった。
だから清掃をしなくていい、というわけにはいかず、清掃メンバーの中でベテラン枠の肝っ玉の大きい和田さんがそのトイレの担当をしていたのだ。
しかし、和田さんが今月で定年退職で辞めるというニュースが流れた。
みんなは和田さんの退職祝いよりも、あそこのトイレ誰がやるんだろう問題に話が発展していく。
こういう時、人は案外冷たいものだなと思う。
上司に呼び出されるたびに、私なのかも、と女子清掃社員が怯える中、今日、私が上司に呼び出された。
要件は、そこのトイレを代わりに清掃してほしいとのことだった。
私は心霊系はとても苦手である。
小さい子向けに作られたお化け屋敷ですら、苦手な私がそんな心霊スポットを清掃するというのか、と反論したかった。
「そ、そうですね……」
私はあえて引き攣った顔をする。これで察してくれと言わんばかりに言葉の歯切れを悪くするが、上司は全く気づかないどころかこう言った。
「もしかして、あの女子トイレの噂信じてる? あんなの噂だよ、絶対」
あ、もうこいつダメだ、と私は思った。
何を言っても分かり合えない奴が世間にはいる。だから、わかろうとすることが大事。なのはわかっているけど上司の私を馬鹿にしたような顔を見た途端、あー無理無理と、私の心が閉店ガラガラ、ぴしゃりと閉じてしまった。
正直、環境はいいし、福利厚生もしっかりしているし一人で作業できる利点もある。
清掃は正直私には向いていないと思うけど、お金が結構もらえるのと友人たちのクソ上司に比べればまあまだマシと思える人間関係だからこそ転職する気にもなれない。
私は、そこのいわくつきトイレを任されることになった。
同僚たちは、何があったら言ってね、とか塩用意しとくよ、など心配そうな顔を向けるが、内心では私じゃなくてよかったと思っているんだろう。
あーあ、人間嫌いになりそうだ。
お前ら全員に、このどでかい溜息を聞かせてやりたいよ、と言いたい気持ちを我慢して私は塩を常備しながらそこのトイレに向かった。
一歩入ると、空気が淀んでいる気がした。
私は後で掃除するし、という理由でまずトイレの中と自分に塩を振りかけた。
効果があるかはわからないが、とりあえず気分だけでも……と思っていた。
「ぺっ‼ ぺっ‼ しょっぱあ! 誰じゃ!」
「うわああ、幽霊!」
いきなり聞こえた叫び声に私が悲鳴を上げて、腰を抜かすとどこからともなく雲が流れてきた。小さい黄色の雲だ。
私は目をこらした。ゴシゴシと目をこすって再び見ても、黄色い厚みのある小さな雲が目の前にいる。
「へっ?」
「貴様か! むやみやたらに塩を振った奴は⁉」
雲から光を放って出てきたのは、お玉を持って割烹着を着たしわくちゃの小人のおばあさん⁉
私は素っ頓狂な声をあげて、自分の頬をつねる。
「痛い! え、小人?」
「小人ではない、妖精じゃ」
私がぽかーんと口を開けていると、その妖精とやらはお玉を私に突きつけてきた。
「おい、ここもう五日も掃除しとらんぞ! 早く掃除しろ! 塵も積もれば山となるという言葉を知らんのか!」
「あ、の……、あなたは、な、なんなんですか?」
「わしか? わしの名前はコトコトじゃ」
「こ、ことこと?」
「ことわざの妖精じゃ」
「あのさっぱり意味が分からないんですけど」
私が飲み込めずにいると、妖精は私の顔の真ん前まで来てこういう。
「煮詰めるぞ」
「コトコトだけに?」
「そうじゃ、わしはなこの会社が出来た当時からおる、ことざわの妖精じゃ、ことわざを用いて仕事を手助けするのがわしの役目じゃ、それなのに貴様は塩なんか振りおって」
「だって、幽霊がいるって……、あの、あなたって私以外にも見えるんですか?」
「見せようと思えば魔法をかけていつでも見せられる」
なるほど。頭の良い私は、その時点ですべてを理解した。
おそらくこのトイレには幽霊ではなくこの妖精がいたんだ。そして妖精の姿が見えた私のような人間が話しているところを、聞かれたというわけか。
「じゃあ、和田さんのことも知っているんですか?」
「わだ? ああ、前にここを掃除していたやつか、あいつはわしを見た途端いきなりビンタをかましてきて、話が通じなさそうだったから諦めた」
さ、さすがだ……。
腰を抜かしている私とは全く違うな、と思った。
「ともかくほれ、早く掃除しろ」
「あの、ずっとここにいるんですか?」
「わしを暇人だと思うな、この会社を巡回しているだけじゃ」
「な、なるほど……」
私はできるだけ静かにコトコトと会話した。
「おい、煮詰めるぞ」
「その煮詰めるぞってやめません?」
「わしの口癖じゃ、それよりお前……、それで掃除というのか?」
「見てくれ綺麗じゃないですか」
「なってない‼ もっと、細かい所まで丁寧にやれ!」
「ええ、面倒くさい……」
私はため息を吐きながらコトコトが、付きっ切りで監視する中掃除をする。
すると、そこに青い雲がふよふよ~と現れた。
「紅葉(もみじ)あそこの便器の内側汚れていたよ」
「わざわざどうも……って、また別の妖精ですか?」
「ええ、私の名前はワザワザっていうの」
青い雲に乗って杖をついてお茶をのんでいる、これまたおばあさんの妖精だ。
「ワザワザが来たんなら、わしは三階を巡回してくるか」
「いってらっしゃい、二階はもう巡回したよ」
そしてコトコトは、雲に乗ってトイレから去っていく。コトコトよりワザワザの方が、ゆっとりした喋り方だからうるさくないだろう、と思わせておいてコトコトの方がましと考えるのは早かった。
「ここ、汚れているよ」
「掃除用具、これじゃ取りづらいよ」
「泡が残っている」
それ、わざわざ言うかね? って思う事と、わざわざどーも‼ と言いたい気持ちで、この妖精の名前の意味を痛感する。
「はあ、いつもより三十分もかかった……」
「うん、綺麗だね、掃き溜めに鶴のように私たちがいてよかったね」
「それ自分でいう?」
私はワザワザに突っ込みした後、別の掃除場所へ向かおうとする。
すると、同僚が前から走ってきた。
「紅葉さん、どうだった? 幽霊いた?」
「いや、いませんでしたけど」
「三階に行ったのかしら……、今、誰もいない会議室から声が聞こえるんですって…」
「へえ~」
私はとっくに恐怖心はなくなっていた。
おそらく、コトコトがその会議室の汚さについて喚いているのだろう。
ただただ、あの妖精コンビにこれから振り回されるのかと思うと、どことなく胃が痛くなるとともに、少しだけ楽しみが増した気がした。
完
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