回復薬はデーエス!?

 弟の梅がコソコソしながら外に出ることが最近多くなった。彼女ができたんだろうな、と勝手に解釈した。

 恋愛のれの字すら知らなさそうな梅にも、ようやく幸せが訪れたのかもしれない。

 姉として祝福したいのに、私は嫉妬で狂いそうだった。

 恋愛にうつつを抜かしている弟に対して、彼氏もいなければ好きな人すらいないことから嫉妬は膨れ上がった。

 しかし、その嫉妬は正直、今の現状が大きく関係しているように私は分析できる。


 今日は帰ってくる時間が深夜の0時だった。風呂に入りたくなくて、自分の部屋に真っ先に行ってベッドに横たわる。


「はぁぁぁぁぁぁ……」


 明日も明後日も明々後日も仕事だ。

 正直バックれたい。サボりたいし逃げたい。死にたい。でも、きっと世の中にはもっと辛い人がいる。もっと残業時間がある人もいるし、私は実家暮らしでまだ親の脛を齧っているから救いの方だ。

 冷たくなったご飯も、レンジで温めれば美味しくなるし洗濯物も年老いた母がタンスにしまってくれている。

 帰ってからご飯を作らなきゃいけない。

 冷たい洗濯物を取りこんで、コインランドリーにこの夜中に走る人だっているだろう。

 弱音を吐いている場合じゃない。

 この現実に感謝して甘えずに、明日を生きていかなければ。私は毎日毎日、自分に鞭を打つたびに心の中で幼稚に叫ぶ感覚がした。

 その声を掻き消すように、私は耳を塞ぐ。

 不必要だ、いらない、邪魔だと切り捨てる。

 明日も理詰めで詰めてくる上司の相手をしなきゃいけない。

 一度接し方を間違えれば、一生ぐちぐち言うような上司に媚を売らなければいけない。

 前のようにミスをすれば、周りから冷たい目で見られる。極めてトラウマになったその出来事は、私をさらに完璧主義へと追い込んだ。

 毎日、ご飯を食べれば気持ち悪さが私を襲い、仕事中もストレスで腸がやられ何度トイレに籠ることか。

 そして人の顔色を気にして五分で戻れば、スマホを見てサボっていたのでは? と勘繰られる。

 そしてまた、胃がキリキリ痛んでは、太田胃酸で誤魔化している。


 明日を生きられる自信もない。

 寝ることも嫌だった。明日が来るのが何より嫌だった。

 寝なければ、明日が辛くなるだけなのに。

 ネットで無意識に、「仕事 辛い」と検索してはいつも目にする転職サイトや休むことを促すサイトが出てくる。

 転職するほどの余裕もなければ、時間もない。それに今よりもっと悪い所に行ってしまうかもしれないと思えば、動こうという気にもなれない。

 一度、あまりにも嫌悪感を抱いて仕事を休んだことはあるが、一日中誰かにきっと悪口を言われているに違いないと思ったり、人に迷惑をかけてしまった罪悪感で到底休むことはできなかった。

 ため息をついて、スマホを充電器に差し込み寝返りを打つ。

 体も心も、仕事に行きたくない、休みたいと叫んでいるようだ。

 こういう夜は社会人になって何度も経験したが、寝れたためしはない。

 いっそのこと、寝ずに気絶でもして倒れたら、誰か私を救ってくれるのだろうか?


「寝れないや……」


 私は、もう寝ることを諦めた。

 このまま目を瞑って横になっているのは、休めるようでいて私の場合は余計、思いつめたりだるくなることの方が多かったからだ。

 部屋の電気をつけて、自分の部屋の汚さにため息をこぼす。

 思えば土日も寝ているばかりで部屋の掃除なんてほとんどしていない。

 そういえば、部屋を片付けると心もリフレッシュするなんてことを昔聞いたことがあるようなないような……。


「やるか……」


 じゃあ私の心を少しでも晴れやかにしてみなさいよ、と思わんばかりに私は足元のノートから手をつけはじめた。

 好きなポテチの袋が転がっていたので丸めて捨てる。乱雑に置かれたノートたちをしまう。机に並べられた五本のペットボトルを潰すのは音がでるので明日にしよう。

 ノートをしまえる場所を探すために、棚に入っているボックスたちを開ける。


「あ」


 私は、ものすごく懐かしいものを見てしまった。

 黒く大きなディーエスと、青いスリーディーエス、そして子供の時に家族から買ってもらったカセットたちがセットになって入っていた。


「懐かしい……」


 ディーエスは画面が二つあり、上と下に分かれている。下の画面がタッチパネルに対応しているもので、任天堂が発売した携帯型ゲーム機だ。

 当時はこれが欲しくてほしくてたまらず、親とテストで九十点取れたら買ってあげると約束され、死ぬほど頑張った記憶がある。

 普通のディーエスよりサイズが大きいものを買ってもらい、デカディーエスと言われたそれは友人に自慢するにはもってこいの代物だった。

 私は片付けの手を止めて、久しぶりに電源を入れてみた。

 ティロンロン、リン……、と音が流れて注意事項の文章が表示され下の画面をタッチペンで押した。


 ああ、この音……。涙が出るほど懐かしい。

 カセットが入っていなかったので、私はもう遊ぶ気満々で選び出した。

 マリオカートに、太鼓の達人、ミステリーものも入っていた。もっと買ってもらった気もするが、なくしたものがわずかにある。


「お、トモコレだ!」


 私が一番、時間を費やしてはまっていたゲーム「トモダチコレクション」というものだ。

 ある孤島が舞台で、島に名前をつけて、その島の真ん中にあるマンションに住民を作成して、住民に奉仕するといったゲームだった。

 住民は、当時は友達や家族、推しのアイドルなどを作り服屋やインテリ屋なども島にはあるため、誰がどれなら似合うか考えるのがとても楽しかった。

 そして、住民同士が仲良くなったり付き合うといったイベントも発生する。

 え、この人とこの人が付き合うの⁉ なんていう、発見があったり、奇跡だったのはトモコレ内で付き合っていた友人同士が、現実の世界でも付き合い始めたとか。


 私は久しぶりに自分の島である、さくら島がどうなっているか気になり、トモコレを始めようとして、カセットを入れるが古いせいか、久しぶりすぎるせいか読み込まなかった。

 私はカセットを取り出して、カセットに息を吹きかける。

 どこからの知恵か知らないが、こうすると読み込んでくれるということを覚えていた。

 カセットが読み込み、トモコレが始まる。

 始めると、ゲーム内でニュースが流れた。私が最後にトモコレをやった時に、保存してなかったことを住民の一人がニュースキャスターとして話し出した。

 トモコレは保存をしなければいけないのに、よくこうして保存を忘れてはニュースにされていたことを思い出す。


 さあて、やり始めようと思った時、母が私の部屋を開けた。


「桜(さくら)、あんた……明日も仕事なんでしょ? 早く寝なさいよ」


 眠そうな目をこすり、大きなあくびをして不機嫌そうに言ってくる。それが気に食わなかったのと、楽しい時間を中断されたように感じて、私は別の場所に行こうとした。

 といってもリビングにいようと、トイレにいようと、誰かが起きてくればばれてしまう。

 うーん、どうしよう。私は今、どうしてもトモコレがやりたい。


「よし」


 私は意を決して、母のサンダルを履いて玄関を静かに開けて外に出た。

 三月の夜は田舎では、寒くて、厚い上着を着てきて正解だったと思わされた。

 勢いよく外に出たはいいものの、どこでやればいいかわからず、私はディーエスを持ったままついでに散歩しようと思った。

 宮月町には街灯がほぼない。真っ暗闇の時がほとんどだが、今日は好都合にも満月が奇妙なほど光っていたので完全な暗がりではなかった。

 とりあえず、私として作った住民に会いに行く。


「超久しぶりですー! また会えてうれしいです!」


 独特のイントネーションで出迎えられる。多少、美化して作られた私はレベルが最高潮に達していて、金ぴかのインテリアの中でゴシックのドレスを着せられていた。


「どういうセンスだよ」


 私は、当時の自分に突っ込みをする。

 住民は九十九人いて、百人が上限だった。色んな住民を見れば、家族や友人がいたが、ほとんどがアニメキャラや推しのアイドルだった。

 私は時間も忘れて、歩きながらディーエスを楽しんでいたので気づかなかったが、前から腰の曲がったおばあさんが杖をついて歩いていたのだ。

 ふと前を見たら、そのおばあさんがいて、こんな夜中に歩いているなんて変人すぎる、と自分を棚に上げてそう思った。


「あんた、それ……デーエスかい?」


 突然声をかけられて、心臓が飛び跳ねるほど驚いた。月の明かりに照らされたおばあさんはパジャマ姿にしわだらけの顔、目を瞑っているんじゃないかと思えるほどの垂れ目が特徴的だった。


「え、え? あ、はい」


 私は混乱しながら、言うと、おばあさんは私の画面を見て食いつく。


「なんだい、ともこれじゃないかい! あたしもさっきまでやってたんだよ!」

「あ、へ、へえ……」


 こんなおばあさんがディーエスを知っている、そしてトモコレをしっている、さっきまでやっていたと言っている。そのすべてが、私の頭には入ってこなくてとりあえずから返事をした。


「あんたとは話が合いそうだね、そこのベンチで話さないかい? こんな夜中に歩いている変わりもん同士、仲良くやろうじゃないか」

「え? うわっ!」


 おばあさんは弱そうに見えて、私の手首をぎゅっとつかんで近くのベンチに引っ張っていく。なんだか、とても面倒なおばあさんにつかまった気がした。


「あんた、飲み物飲むかい? なんでもいい、買ってやる」

「え、あ、こ、コーラを……」


 しまった。コーラなんて自販機の中で一番高いものをリクエストしてしまった。訂正しようと思ったが、おばあさんは百九十円出して私にコーラを手渡す。


「あ、お金を……」

「いいさ、あたしのおごりだよ」


 おばあさんは、よっこいしょと杖を使ってゆっくりとベンチに腰掛ける。満月が私たちを照らす。静かな時間が流れるようで、私はドキドキしながらも不思議と肩の力は抜けていた。


「いやあ、まさかデーエスをこんな時間にやっている人がいるなんて……あんたも、また思い悩んでいるように見えるけど」

「ま、まあ……現実逃避みたいなもんですよ」

「お、それならとことんあたしと一緒だね」


 おばあさんは、さらに声を弾ませていう。いや、どういう状況?と思いながら私はディーエスを膝の上に置いて、コーラのふたをあけた。

 プシュッ、と音を立てて炭酸が少しだけシュワシュワ、と音をたてた。


「眠れなくてね、この歳になると起きたときには死んでいる気がしてね……、あたしは今、独りだから見つけてくれる人はいないんじゃないかと不安に思ってさぁ」

「そ、そうなんですか……」

「そうなんだよ、それで気晴らしに部屋ん中片づけてたら、小さいころの孫に買ったデーエスっていうのが出てきたんだ、あの頃は、ばあばいっしょにやって! なんて言われて、あたしも結構ゲームしたもんで……」


 おばあさんはきっと誰かと話したかったのだろうことが、わかるほどデーエスについて語り始めた。

 私はそれを「へえ」「そうなんですね」など言いながら相手をしていた。


「あんたはどうして、こんな夜中にデーエスで遊んでたんだい?」

「私は……、同じく眠れなくて、明日が来るのがすごく嫌で……、気晴らしです」

「そうかい、明日ねえ……、明日は確かに怖いもんだ」


 うんうん、とうなずくおばあさんに少し私の心はほぐれていく。


「私……、幸せなはずなんです、この歳で実家にいさせてもらえてご飯も洗濯もしなくて済む、仕事だって出来ているのは幸せなはずなんです……、なのに、なぜでしょうね? 何かが苦しくて、それが甘えに見えて、自己嫌悪がとまらなかったんです」


 初めて出会ったはずのおばあさんに、私は自分の心情を吐露する。なぜか、このおばあさんなら聞いてくれる気がしたからだ。それも甘えの一種なのに、と自分の心の中で自分を嘲笑った。


「甘えて何が悪いんだい?」

「えっ?」

「人なんて誰かに甘えなきゃ壊れちまうくらい脆いのさ、現に今の私だってあんたに甘えているんだから」


 おばあさんは、何が悪い! というように胸を張って言う。


「……でも、私よりもっと現実には辛い人はいっぱいいるし」

「そんなの関係ないね、あんたの辛さはあんたの辛さ、他人は他人、そこで自分の辛さを軽くする必要はないよ」


 生きていた時間が違うからか、その言葉に重みを感じた。

 私は「辛かったね」と言われるよりも、なんだか心にじんわりと温かみが広がる感覚がした。


「……ありがとうございます」

「せっかくいいもん持ってんだ、頭空っぽにして楽しめばいいじゃないか、仕事だって同じだよ、ずっと詰め込んでたら苦しくなる、作業中だって隙を見て頭空っぽにしたっていい」

「頭を空っぽに……、難しいですね」

「いい塩梅ってのは、難しいよ、あたしもいまだに模索中だ」


 このおばあさんに、できないなら私なんて到底無理だと思った。


「なあ、あんたの島にわたしを入れてくれるかい?」

「あ、いいですよ」


 私は、おばあさんそっくりの住民を早速作る。垂れ目にしわ、眉毛の薄さなどリアルに作りたくてゲームとおばあさんを交互に見た。


「お名前、なんていうんですか?」

「幸(さち)」

「いい名前ですね」

「幸せな人生だったかは分からないけど、今日は良い夜だった、ありがとうね」


 幸さんはそう言って笑った。

 私は、幸さんを百人目の住民として作り、彼女を家まで送り届けて家に帰った。

 その日から、幸さんは私の人生の相談相手とトモコレ仲間として付き合ってくれた。

 私たちの、明日のことを考えず頭を空っぽにする秘密の夜はこれからも続いていくのだろう。


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