35話 後日
◇◇◇
「やっと見つけましたよ。紅琳さま」
「何だ。華月か」
後宮の大池の畔。
なるべく人気のない場所を選んで、紅琳は返してもらった画材で、早速、絵を描いていたのだが……。
(また、バレたか……)
想定外だ。
やっと見つけた秘密の場所だったのに……。
(次は、何処に隠れたら良いのか)
紅琳の目下の悩みは、それだった。
――玉榮の正体を晒し、捕縛してから一カ月半が過ぎようとしていた。
妖に国が乗っ取られかけていたなんて、有り得ない醜聞はもちろん口外禁止にした。
表向きは、玉榮を反逆罪で捕えたということにしている。
それでも、後宮内では真実が知れ渡っていて、紅琳の存在は、妃嬪たちの恐怖の対象に変化していた。
(馬鹿にされたり、勝手に憧れを抱かれたり、今度は怖がられるとか……忙しいことだよ)
ともかく、これ以上、後宮内で悪目立ちしたくないのだが……。
「何? 重要な話でもあるのか? 華月」
「玉榮のことです。朔樹殿が見張ってくれているのですが、解呪の方法を吐かないのですよ。困ったものです。尋問方法を変えた方が良いのでしょうか?」
「何だ、そんなこと。解呪なんて時間の問題だろう。ひもじくなったら、玉榮だって白状するさ」
「しかし、私には喫緊の問題です。心が落ち着きません」
「悲観的に考えなくてもさ。完全な男に戻ったら、念願の欲望解禁なんだ。妃なんて選び放題。どの娘が良いか、今のうちに、吟味していれば良いじゃないか。後宮は広いんだ」
「…………妻に浮気を勧められる夫の気持ちって……ね?」
「別に、浮気じゃないだろう? 立派な皇帝の務めだ」
「……で? 貴方は皇帝から疎まれ、堕落しきった皇后として、再び離縁されることを目指しているというわけですか?」
バレているなら、話が早い。
華月の呆れ果てた溜息に、紅琳は肩を竦めてみせた。
「これが最善なんだよ。あんただって知っているだろう? 私は皇后の器じゃない。二度の離婚で、更に悪名を上げてる方が性に合ってるのさ」
「……なるほど。以前のように、私と一緒に政務をこなしてくれないのも、そういうことですか。本当にいつも貴方は逃げてばかりで、いっこうに私と会ってくれなかった。ここだって、李耶をお菓子で懐柔して、ようやく教えて貰ったんですからね」
(……李耶め)
あれほど、華月に居場所を教えるな……と、頼んでおいたのに、お菓子ごときで、簡単に懐柔されてしまうなんて。
「あの……な。華月。政務は皇帝がするものだ。今までは、不測の事態に備えて、私もお飾り皇后として、あんたと一緒にいたけれど、他人が出しゃばるとロクなことにならない。あんたはそういうこと、一番よく分かっているはずじゃないか?」
紅琳は華月を淡々と諭しながら、筆を動かしていた。
離縁したら、後宮の景色を見ることは出来ないのだから、早めに仕上げておきたかった。
「他人事ですね?」
「私の役目は終わったんだ。あとはあんたの仕事。私は絵を描くのに忙しいんだよ」
「それね、一応、友からの助言ですけど、残念ながら、貴方の腕では、画家と名乗るのは難しいと思います」
「はあっ!?」
紅琳の肩越しに、華月は斬新な構図の絵を見ていたのだろう。
率直な友の意見に、紅琳は唇を尖らせるしかなかった。
「あんたには、この私の躍動感溢れる豪快な筆致で描いた画が、理解できないのか?」
「まったく」
一蹴されてしまった。
(おかしいな)
なぜか、昔から紅琳の絵は、評価されないのだ。
「それでも、貴方が絵を描くことをこよなく愛していることは伝わってきました。だったら、もうしばらく、絵の勉強をしてみたら、いかがですか? 後宮でなら、一流の師を招くこともできますし、思う存分、学ぶ時間が取れますよ」
「後宮でなくても、学ぶ時間は得られるだろう?」
「ここにいた方が早いじゃないですか」
「華月……」
紅琳は肩を落とすと、今度こそ、筆を止めて、真面目な口調で言った。
「私に「後宮を出ろ」と促したあの時、それが、あんたの策だということくらい、さすがに私だって、気づいていたよ」
「…………そう……でしたか」
ばつが悪そうに、華月は上擦った声で頷いた。
紅琳は年長者らしく、子供をあやすように続ける。
「大方、朔樹の入れ知恵だろう。あんたは、私に、本気で介入させたかった。アイツにどうしたらいいのか相談したんじゃないか? 朔樹は、きっと、こう言ったはずだ。……押して駄目なら引いてみろって。あいつは私の性格をよく知っていたからな」
「……その……通りです」
「ほら、やっぱり。分かっていたよ。でも、それで、私も沙藩を巻き込もうって、覚悟ができたから……。良かったんだよ。これで」
得意げに華月を一瞥したら、彼は物足りなそうに眉間に皺を寄せていた。
……納得してくれないらしい。
「何だ? あんただって、沙藩王を巻き込むことは、嫌だったろう?」
「嫌も何も言っていられませんよ。私は」
「……ああ、仕方なかった。無力だったからな。そうすることが、現時点では手っ取り早かった。でも、玉榮が言っていた「間者」というのも、間違いではない。誰もが、そういうふうに、私を見るし、あんただって……。これ以上、私が皇后でいたら、華月の立場がなくなるんだよ。だからな、あんたは、佳い女性を妃に迎えて……」
「ねえ、紅琳」
「へ? 何? この流れで、いきなり呼び捨て?」
「貴方、まだ清い身ですね」
「………っ!?」
瞬間、絶句して硬直した紅琳は、筆を膝の上に落としてしまった。
「突然、何てことを言うんだ!? あんた、また変な呪いでも掛けられたのか?」
おかげで、お気に入りの着物に、墨染みが出来てしまったではないか。
ぎこちなく振り返ると、皇帝しか身に着けることが出来ない、濃紫色の衣を堂々纏った華月が、むくれ顔で紅琳を見下ろしていた。
「私は、いたって正常で問題ありません。ついでに、人払いは徹底していますから。今の会話は、私と貴方しか知り得ません」
「いや、そういう問題ではなくて」
赤面を隠すように、紅琳は下を向くが、華月はお構いなしだった。
「貴方が男慣れしていないことは、分かっていました。触れようとすると、避けたり、ぎこちなかったり……。私がそういった話をすると、貴方は顔を真っ赤にして目を逸らす。今のように……ね」
「試していたのか、私を?」
「いや、まさか。ただ触れたいという欲求の中に、照れる貴方を見てみたいという探究心があっただけです」
凄まじく言葉を装飾しているが、要するに紅琳の反応を「試していた」のだろう。
六歳も年下の甥に対して、情けない話だった。
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