3話 友との約束
「一体、陛下は私で何がしたいんだろ?」
頬杖をついて、澄んだ池の中で揺れているだけの釣り糸を、紅琳は隣に座った華月と共に、憮然と眺めていた。
「うーん。そうですね。陛下に関しては、先々代の泰楽帝によく似て、後宮に入り浸ってばかりで、政には余り興味がないという噂ですものね。今、政の中心にいらっしゃるのは、先々代の皇帝からお仕えになっていた
「玉榮……ね」
紅琳は、眉間の皺を一層深く刻んだ。
かつては、泰楽帝付きの宦官の一人であったのに、紅琳の兄が重用したことで、
紅琳が嫁ぐ前から、泰楽帝のお気に入りだったらしいが、紅琳が玉榮と会ったのは、つい最近、蒼国に戻った時の挨拶のみだった。
離縁されて戻ってきた、役立たずの公主に対して、玉榮は欠片も興味を抱いていないようだった。
まあ、紅琳も玉榮から漂う、甘いような酸っぱいような、独特な香りに、気分が悪くなって、早々に退出したのだが……。
「玉榮に皇帝に取り継げって、頼むか? でも、あの宦官にはもう会いたくないしな」
そもそも、紅琳のような野蛮な育ちをした怪しい女に、あのお高く止まっている宦官がわざわざ会おうとするだろうか?
元々、紅琳は人里離れた母の実家で、集落の子として自由奔放に暮らしていたのだ。
それが……。
父が皇帝だなんて知ってしまったがために、とんでもない人生を送ることになってしまったのだ。
――まったくもって、腹立たしい限りだ。
紅琳の父は、先々代の皇帝・
この諡は、嫌味だろう。
放埓の限りを尽くした帝に対する、最大限の当てつけに違いない。
要は世の中を乱し、私欲を追求し、己が楽しむことだけを優先した暗愚な皇帝ということだ。
父の死後、即位した紅琳の兄も、志は高かったそうだが、在位は短く、病で急逝した。紅琳は沙藩に嫁いでいて、葬礼すら出席しなかった。
そして、今はその兄の子が皇帝として即位したはずなのだが……。
(私は一度も会ったことがないんだよな。即位式すら出なかったし)
「あーあ。蒼国に戻ったら、最低な父のことも、公主なんて面倒な地位も全部捨てて、好きな絵だけ描いて、暢気に生きていこうって決めていたのにな。意味不明な甥っ子のせいで」
池の真ん中に架けられた赤い朱塗りの橋。
後宮なんて住みたくもなかったが、絵心だけは刺激される景色だ。
(沙藩製の絵の具なら、綺麗な赤が出るかも……)
精々、目に焼き付けておくしかない。
いつの日か芸術方面で鬱憤を晴らしていくために。
(画材さえ、返してもらえたらな……)
晴れ渡った空を、紅琳はぼんやりと仰ぐ。
その横顔を見ていた、華月がぽつりと言葉を零した。
「私もそういう生活、憧れます。自由に……生きることが出来たら」
「じゃあ、あんたも来ればいいじゃないか」
「えっ?」
「陛下からお許しが出たら、華月も私と一緒に田舎生活をしよう」
「二人で……ですか?」
「だって、憧れているんだろう?」
「ええ、行きたいです。紅琳さまと一緒だったら、毎日が面白いでしょうね。二人でずっと……。それが……出来ることなら」
――どんなに良いか……と、華月が言いかけたような気がした。
紅琳の知らない何かが、この娘にはあるのだろう。
後宮に入宮したのは、紅琳より先だというし、彼女なりに辛いのかもしれない。
紅琳は華月を元気づけたくて、出来るだけ屈託なく笑ってみせた。
「大丈夫だよ。きっと、行けるさ。陛下には私から話してもいい」
「……そんなこと」
「気軽に話せる友が傍にいてくれたら、私の絵画製作も捗るだろうからな。楽しみだ」
「友? 私が紅琳さまの友で良いのですか?」
華月が怪訝そうに瞬きをしたので、紅琳は……。
「あんたと会ってから、たったの二ヶ月だけど、親しみを感じるのは、長さじゃないだろう。私は友にしか、ここまで突っ込んだ話はしないよ」
素直に告白した。
「嬉しい! ありがとうございます。紅琳様。私、今の言葉を支えに生きていきますね」
「そんな大げさな」
華月の表情が見えなかったが、紅琳には泣いているように見えた。
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