落語 「新旧」

神宮 雅

第1話


 落語というのは、現代まで続く日本の伝統芸能の一つにございます。

 ですが、娯楽の増えた現代、「落語はつまらない」と仰る者が増え、人気娯楽という肩書は見る影も無く、廃れの一途である事も事実。


 それはひとえに、「話し手がつまらない」。「話自体がつまらない」という、過激な娯楽を知り過ぎた若者が増えた。という事。


 御百度参りの様に、面白い話し手、面白い話に巡り会えるまで、寄席に通い詰めれば、面白い話し手、面白い話に巡り合い、「落語の面白さ」に気付く事が出来る。そう、私は考えます。


 ですが、つまらないと一目感じた物を、「態々通い詰めるか」。と聞かれると、それは馬鹿のやる事だ。と、笑い飛ばすでしょう。


 それでも通い詰める者が居たとするなら、「反骨精神の塊の様な変人」か、「暇を持て余した富豪」、「経験豊富な御老体」位でしょう。


 要は、ここに見えます皆々様は、その内のいずれかに属しているという訳でありまして。

 変人の姿が見えませぬので、富豪の方々か、経験豊富な方……ただの暇人も混ざっているやも知れませんが。皆々様、此度はこの様な場所まで御足労いただきまして、誠、感謝の所存にございます。




 さて、話は変わりまして。


 昔々、ある町に。一軒の菓子屋が開店いたしました。


 それはそれは珍しい菓子屋でございまして。曰く、「異国から渡来した茶菓子を再現した菓子屋」だそう。

 海の外から来た菓子。名を、「洋菓子」。店主はその名を往来で、来月開く。来週開く。明日開くと叫びながら、毎日の様に宣伝を続けて、開店前から町の皆皆が期待に胸を膨らませ、ついにその日がやってきたのです。


 開店数時間前から、店には数多くのお客さんが長蛇の列を作り上げ、周囲の店店も仕事を休み並ぶ程。


 皆が、町が期待する中、いざ目の前に出されたのは、一つの菓子。


 角張った形に、表面に塗りたくられた詰め物。色も白く、上部には干した果実が乗せられており、如何にも「異国」の菓子に皆が目を丸くして嫌悪したのです。


 品の無い、汚らしい見た目の茶菓子。ですが、味はどうだろう。折角並んだのに、見ただけで帰るのは勿体無い。

 それに、「流行り」を見過ごしては、つまらない者として爪弾きに遭ってしまう。

 各々が思案を巡らせ、菓子を頼み、期待が消え去り穴の空いた場所に勇気を詰め込むと、一思いに口に洋菓子を「パクり」と頬張りました。


 ……結果は言わずもがな。


 ある者は「歯応えが足りない」。

 ある者は「甘さが足りない」。

 ある者は「品が足りない」。

 またある者は「華やかさが足りない」。


 そして、殆どの者が口にした感想。


「腐ったお麩に豚の油を乗せた菓子」


 あれ程の長蛇の列を作った店は見る影も無く。

 数日が経つ頃には閑古鳥が鳴き、来客といえば「味や見た目は関係無く新しいから」と来る若者や、「皆不味いというが自分は好物」と眉を顰める変人。後は、「歯や顎の筋肉が無い胸焼けを恐れる」老人だけ。


 その僅かな客だけでは稼げる訳も無く。店主はもっと沢山の客に足を運んでもらえる様、洋菓子に自己流で手を加えていきました。


 歯応えを良くする為に生地に手を加え、

 甘さを際立たせる為に砂糖を増やし、

 ですが、品と華やかさは洋菓子だからと手を加えず。


 ですが、そうして手を加えていく内に、今まで足を運んでいた客からも不興を買ってしまい、仕舞いには客足が完全に途絶えてしまいました。


 店主は悩みました。

 皆に気に入ってもらえる洋菓子を。

 皆に愛される洋菓子を。

 皆に売れる洋菓子を。


 歯応えが足りない。だから、麦から出来た粉では無く、米粉に変えて噛みごたえのある生地に。

 甘さが足りない。だから、甘さが引き立つ様動物の乳では無く、豆に変えて風味と塩気のある餡に。

 品が足りない。だから、餡を生地の表面に塗るのでは無く、生地の内側に詰め込み。

 華やかさが足りない。だから、純粋無垢な白では無く、花の様に見応えある色に生地を染め上げた。


 出来上がった洋菓子は、赤子の頬の様にモチモチで彩り豊富な、角の取れたまぁるい洋菓子。


 これでも売れなければ、菓子の道から降りよう。

 店主は前回以上に気合を入れて往来で叫びました。


「歯を押し返す弾力に、甘さ引き立つ豆の香りが楽しめる、上品で華のある洋菓子だ」


 そんな店主を見た町の人々は、最初の頃は「またあの人か」。「洋菓子はもう懲り懲りだ」。と、見向きもしませんでした。が、


「口に合わなければタダで喰って構わない。だから、もう一度足を運んでくれ」


 宣伝ではない懇願の声に、皆が意識を奪われた。


 そして数日。いざ、再開店の日。

 やはりというべきか、初開店の時と比べると列は短く、客の顔色も明るくは無かった。

 だが、店主は初開店の時以上に喜び、満面の笑みを浮かべながら、お客一人一人に丁寧に接客し、新作の洋菓子を手渡したのです。


 その丁寧な接客が功を奏したのか、数日後には初開店など比べ物にならない程の長蛇の列が往来を独占し、町の外からも客が来る程、洋菓子店は劇的な復活を……いえ、華々しい始まりを切ったのでした。


 そして、数十年間も町に菓子を売り続けたその店は、突然の洋菓子ブームの到来に当てられ、他の和菓子店同様不況の波に溺れて店を畳んだのでした。


 その結果を受け、洋菓子店の常連達は、皆、口を揃えてこう言いました。


「あの和菓子屋の饅頭が食えなくなったのは、新しく出来た洋菓子店のせいだ」。と。




──「新旧」。新しい物、流行りの物は、古い物を廃れさせてしまう。

 それが例え、皆に愛された物であったとしても。


 ですが、出る杭が打たれるのも事実。新しい物、流行りの物が受け入れられるとも限りません。


 新しい物が古い物を廃れさせると同時に、古い物が新しい物を排除する事も、世の常です。




 ……落語も昔は新しい物でした。それが、皆々様に愛される様、姿形を変えて、今に受け継がれているのです。


 皆が楽しめるように。それはとても難しい、夢物語のようなものです。


 ですが落語には、百の話し手に千の話がある。そしてそれは、現在進行形で増えている。

 

 この話が落語だとは思わないでください。ただ、この話を見て、聞いて、少しでも落語に興味を抱いていただけたのであれば、暇な時、暇潰し程度で構いません。


 落語の為に、あなた達の時間を分けてはいただけないでしょうか。

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落語 「新旧」 神宮 雅 @miyabi-jingu

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