第2話「朝市の風と、初めての笑顔」
朝日が差し込む頃、ハルトは早くも起きていた。牧場の空気はまだ冷たく、草の上には露がきらめいている。コケ丸たちは元気に鳴き声をあげ、まるで「行ってらっしゃい」とでも言っているかのようだった。
「さて……今日は勝負の日だな」
前夜に整えた卵の箱を荷車に載せ、ハルトはゆっくりと村への道を進み始めた。シエルは彼の肩にちょこんと乗って、鼻歌まじりに朝の空気を吸い込んでいる。
「いいねー、朝の空気。……でもさ、本当に売れると思ってる?」
「思いたい、かな。売れなくても、経験にはなる」
「その真面目さ、昔の坊ちゃんぽくて嫌いじゃないよ」
ハルトは笑って答えず、ただ歩を進めた。
村の広場に到着したのは、朝市が始まる少し前。すでに幾人かの商人たちが荷をほどいており、テントや屋台が並び始めていた。
「おや、新顔さんだねぇ」
隣の区画にいた女性が、焼きたてのパンを手ににこやかに声をかけてきた。
「はい。今日が初めてなんです。牧場の卵、持ってきました」
「まあ、あの牧場が!そりゃあ珍しい。昔はいい牛乳があったんだよ。頑張ってね、お兄さん!」
ハルトは深く頭を下げ、手早く箱を並べていく。卵の上には手作りの布巾を敷き、小さなポップで紹介文を添えた。
『自然飼育の鶏から採れた新鮮な卵です。数は少ないですが、まごころ込めて育てました』
市が始まると、ハルトの区画にもちらほらと客が訪れた。最初はただ見ていくだけだったが、一人の少年が足を止める。
「お母さん、ここの卵、見て!ほら、においが牧場の匂いがする!」
「まあ……本当。どこか懐かしい匂いがするわね」
その親子は卵を一つ手に取り、じっと見つめたあと、静かに頷いて買っていった。
「……売れた」
「第一号だね、おめでとう」
シエルがくすぐったそうに笑う。だが、その後もポツリポツリと客は現れ、やがて昼には持参した箱がすべて空になっていた。
「はあ……終わった」
「すごいじゃん、初日に完売なんて」
「本当に、びっくりだ」
ロシュが市場の奥からやってきて、ハルトの肩をぽんと叩いた。
「ほら見ろって言ったろ?みんな、本物をわかってるんだよ」
「……ありがとう。ロシュ、君のおかげだ」
帰り道、荷車は空っぽだったが、ハルトの胸の中は満ちていた。人との関わりが怖くて、一人きりでいようとしていたはずなのに、今日だけは誰かと笑い合うことができた。
「シエル、俺……この村で、ちゃんとやっていけるかも」
「ふふん、今さらなに言ってんのさ。あんたは、動物だけじゃなくて、人にも優しい男だよ」
そんな彼女の言葉に、ハルトは自然と笑みをこぼした。
それは、この世界に来てから初めての、本物の笑顔だった。
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